シン・ゴジラのレビュー・感想・評価
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非常に面白かったです。 大迫力のゴジラをみて興奮しました。 徐々に...
非常に面白かったです。 大迫力のゴジラをみて興奮しました。 徐々に進化するゴジラ、 自衛隊との こうぼう、 日本政府の戦略、 など、 みていて楽しめる要素が満載でした。
以前、 別のゴジラの映画をみて、 [やっぱり にほんの映画は詰まらない] とおもい、 それ以来 にほんの映画をあまり見なくなりました。 しかし、 シン・ゴジラ をみて、 にほんの技術力の高さを感じました。 と言っても、 これは [庵野秀明 監督の能力の高さ] というべきであって、 相変わらず にほんの映画の技術力は低いのかもしれませんが。
ただし、 不満点も有りました。 音楽がエヴァンゲリオンの流用でした。 同じ庵野秀明 監督の作品なので流用可能なのでしょうが、 せっかく新しい映画なので、 新しい音楽を楽しみたかったです。
また、 字幕の一部が背景に溶け込んでしまい読めませんでした。 それも問題ですが、 もっと深刻な問題は、 字幕が読めなくても なんの問題もなかったことです。 要するに、 字幕の内容は、 なんとなく [それっぽい雰囲気のこと] を喋っているだけで、 直接ストーリーには関係ありません。 そういう [雰囲気作りの言動] が非常に多かったです。 もう少し ストーリーに直結する部分を増加してほしかったです。 言い換えれば、 ストーリーが希薄だった、 とも言えます。
緊迫感のない棒読みの せりふ、 不自然な日本語、 などが時々挿入され、 現実に引き戻されてしまいます。 もう少し、 演技や せりふ回しでひっ迫間を創出してほしかったです。
日本の40%へ向けた映画
日本人が誰も「ゴジラを知らない」という世界には違和感を感じざるを得ない。
笑ってスルーすれば良いと言われればそれまでなのだけれど、伝説の云々というくだりは特撮物特有のウソ臭さを感じてしまう。
リアリティを重視して「一度もゴジラが来ていない」設定にしたのだろうけれど、一度もゴジラが襲来していない世界の我々がゴジラを知っている。
子どもが絵本を取り落として”ゴジラ”とつぶやく…で良かったのではなかろうか?
で、本作にはパーソナリティを持った”一般人”は出てこない。市民側から見た喜怒哀楽のようなものは殆ど感じられない。あくまで政府側視点である。
それはそれで面白いが、皆が感情移入出来るか?は疑問に感じる。
初代ゴジラに対比させて、東日本大震災の惨状を重ねたのは解る…が、ゴジラが襲ってくるのは東京である。
東京が狙われることはシリーズの定番とは言え、物語がリセットされている以上は過去の理由は使えない。
実際に類似する事態になった時に、政府は「東京だけを守る」という判断を下すだろうか?
選挙の毎、東京の一等地よりも限界集落の方が国政への影響力が強くて不公平だ…などと言う人達だから、切り捨てられてもおかしくは無い。可能性はゼロでは無い。
地方在住としては、そんなことを考えてしまう。
殊更に地名の案内も出ないので、終盤は地元民と軍事オタク以外は蚊帳の外という感じである。
東京の人は気付かないのだろうが、東京を全国民が知っている訳では無い。
そんなわけで、これから頑張っていこう!というメッセージも、どことなく他人事に感じてしまわざるを得ない。
「ゴジラ」を見たかった
タイトルなし(ネタバレ)
身近な見た人がみんな大絶賛していたので楽しみにしていた。のが悪かったのか、普通に感じてしまったー、、、
ゴジラのビジュアルはかっこよかったし、音楽もよくて、見応えはたっぷり!
ゴジラが出てきた日本の描写がリアルで面白かったけど、あっけなさを少し感じてしまった。
何回か見ると変わっていくかなとも感じたのでまた見てみようと思う。
おうち-21
で、どこで笑うの?
原爆を落とせば全て解決するにも関わらず
原爆を落とすことに異常な嫌悪がある日本国民への痛烈な皮肉ですね。
結局ゴジラは残ってしまっている(=原発の暗示?又はいつ落ちるかわからない原爆)のにも関わらず
何故か日本の底力を信じ、希望を持っている日本国民(=平和ボケ)への痛烈な皮肉でもありますね。
冒頭の会議シーンは正直寒い。(ex.以下略)
しかも、その後、会議が必要な理由について、登場人物が解説していて、もはや自己完結している。
皮肉としては破綻している。例えるならギャグを自分で説明している様子。
というか核落とせよ。
頭イカレてんのかよ。
肝心のところで感情論挟んでんじゃねぇよ。
スクラップアンドスクラップかよ。
庵野がつくったゴジラ。
シンゴジラ、庵野がつくったゴジラ。
特徴的なのは、台詞の早口、カット数の多さ、カメラ位置、字幕の無駄さ、、、まさにアニメーション監督らしい作品。
公開から1年以上経った今、様々な情報が飛び交っている。1つだけ確かなことは、庵野秀明が、これまでの作品と同様に魂を削って、本気でつくったという点だろう。
自分が信じているものしか作品に反映させられない庵野監督がこの作品を通して、伝えたかったことは、なんだろう。
ドラマ性がなく、メッセージ性もない。人の心の葛藤もない。単に、害獣に対して、最良の選択をとっていくポリティカルフィクションを撮りたかったのだろうか。
本当のところは分からないが、ゴジラの恐ろしさ、ゴジラの強さ、自衛隊の頼もしさ、巨災対のような組織の日本人が現実にもいてくれるはずだという安心感、限られた中で力を合わせて策を講じる日本人、そのリアルさがよかった。
完璧ではないが、最善を尽くす。
国を背負う政治家の全力の対応がよかった。
ゴジラの形態変化、東京の街を破壊するシーン、圧巻だった。
こういった特撮が日本映画を支えたのなら、またこんな映画を撮ってほしい。特撮には夢があると思った。
(ゴジラ+エヴァ+巨神兵)÷3
ストーリー展開がとても良い。
単純な怪獣映画じゃない、日本の政治問題の描写もすごい。
この切り口は新鮮。
気になる所は
音楽と作戦名は完全にエヴァ。
ゴジラが巨神兵。
そして、石原さとみのキャラクター設定にかなり違和感あり。
未来の大統領候補?
全く無いでしょうよ、そんな感じ。
日本人とは何なのか?問題作。
2回は観たかな?評価2.5
人間は何か巨大な畏怖や存在を怪物にしてしまう。
そして怪物とは時に祟り、時に零落するものである。
巷に溢れる萌えキャラもある種の神話の零落である。
「ゴジラ」と「原発」はどちらも「怪物とは何か?」
を日本人に厳然と思い出させたのだ。
そしてその新たな怪物の零落もまた始まりつつあるのだ。
かつて三島由紀夫は魅死魔幽鬼夫となる事を願った。
怪物として日本人の魂に刻まれたかったのだ。
我等、荒ぶる怪物と共に生きる事を宿命された民族。
奇しくもヤポネシア火山帯列島は龍体なのだ。
劇場では、ちゃんと見た「ご迷惑をおかけします」
シン・ゴジラは映画館の大きなスクリーンで観たいと最初から決めていたので、封切してから数日後に近くの映画館に観に行きました。
映画を観る時は俳優達の演技にはちっとも関心がなくて、製作スタッフ達のちょっとしたユーモアを見つけるのが大好きです。
それで、MOVIX周南で上映になった「シン・ゴジラ」で、ゴジラが鎌倉に再上陸した時に市街地の右手奥に「ご迷惑をおかけします」という横長の看板が見えたので、思わず笑っちゃってしまい、遠慮深い性格のゴジラなのだと自分勝手に思ったものでした。
でも、DVDになってすぐ買って観た時、この横長の「ご迷惑をおかけします」の看板のシーンは削除されていたのです。シン・ゴジラは遠慮なんてもってのほかで、凶暴極まりないのだと思うことにしました。
庵野は怪獣を撮ってくれ!
映画館で三回、自宅で五回。
計八回見ている。
公開された当初正直期待していなかった。
庵野秀明はエヴァンゲリオンを正直長く伸ばし過ぎているし、回を重ねるごとに詰まらなくなっているからだ。
それでも公開されれば見に行ってしまうのは90年代に10代を過ごし、エヴァンゲリオンが青春の時間の多くを占めていたからなのだろうが、正直庵野秀明はもう疲れている、と思ったのだ。
もう新しい事は出てこない。
エヴァンゲリオンや、トップを狙えのような傑作を生み出す力はもう無いだろうと、少し憐れむような気持ちで最初は見た。
だが悪い期待は裏切られた。
よくこのゴジラを作ってくれた。
ゴジラを、子供達のヒーローから、遠く異世界の住人に引き戻してくれたのだ。
このゴジラは理解出来ない。
人間の意思とは全く関係なく、ただ歩き、破壊し、蹂躙する。
人の生活する街を焼き尽くし、薙ぎ倒し、駆逐する。
こういうゴジラが見たかったのだ。
もともとゴジラは水爆の権化で生まれてきた。
人の生活する場所が根こそぎ奪われ、略奪される。
そういう様を、戦後の焼け野原がまだ残る中上映したのが初代ゴジラだ。
それと同じものが、現代に蘇った。
蒲田から始まり、品川、銀座、丸の内、そういった人々が住み慣れた東京の街が人の理解出来ない火によって焼き尽くされていく。
その様の美しさ!
人が内包する、住み慣れた場所に見慣れない景色を映し出す破壊衝動を、このゴジラは見事に描き切った。
そしてそれだけではない。
震災後復旧する街は、人の手によってまた復活していく。
その傷を負ったままで。
それが出来る。
そうしていくんだという、強い意志もこの映画に庵野が込めたメッセージとしてある。
この国が震災後復活していく様を、この映画は希望に満ちた目で見ている。
感動しました。
また撮ってくれ!
特撮ドラマを楽しんだ頃の気持ちで
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