「thinゴジラ。」シン・ゴジラ critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)
thinゴジラ。
なぜなのか教えてくれ。
1 前半の迫力が後半にはないのはなぜか。あのグロテスクな上陸者の不気味さが後半ではなくなったのはなぜか。
2 不要な配役と無駄な台詞はなぜなのか。主役と思われるアノ男女はなぜ必要なのか。多弁と過剰な説明では恐怖が薄れる。
3 現在の日本を語っているかのような軽率な問題設定はなぜなのか。フクシマを語らずして「現在」は語れない。時折オマージュが見られるものの、そもそもその問題意識をオマージュしなければ、この第1作へのレスペクトはない。でなければ、単なる表面的な反核映画にしかならない。HIROSHIMA、NAGASAKI、FUKUSIMAをきちんと顕在化すること、これがこの時期にこの映画に問われたことである。それを考えれば決して「エヴァ」の「延長戦」ではなかったはずだ。
可能であれば、60年かかってもかの問題を超克できないでいるこの国に、あえてセンセーショナルなタブーをぶつけて欲しかった。希望なき身も蓋もない最後から、何が見えてくるのか問うて欲しかった。でなければ、エヴァファンが喜ぶだけの、薄い映画にしかならないだろう。
1954年のゴジラを、今ここで問う意味を、3.11とフクシマの後にきちんと問いただして欲しかったと思うのは自分だけなのだろうか。
*映画終了後、自分の目の前で「すっごーく面白かったねぇ〜〜」と躊躇いもなく彼氏に笑顔を振りまいていた女の子。この時点で、この映画は、失敗作だと確信した。これは人の心の悪と罪に、届いていないのだと。ゴジラは我々自身であることが描かれていないのだと。
合っているかどうかわかりませんが、私なりの回答を。
1、作品前半は現実日本VS虚構ゴジラの図式。現実日本を細かく描いたからゴジラの恐怖感が引き立った。が、後半は虚構日本vs虚構ゴジラの図式。だからゴジラの不気味さが無くなった。
後半の「虚構日本」はリアルではないがロジカルではある。論理的に大きく破綻してないので、虚構日本でもなんとか納得できる。荒唐無稽にはならない。(だけど細かいツッコミどころはあるので気になって拒絶反応が出た→低評価な人はいると思います。)
2、さとみに関してはゴメンナサイ(笑
3、あれは「日本あるある」です。深い思想性などはありません。「日本ってこんなんだよな」「ああいうシーン有った有った」と観客に思わせる程度のものです。「思想的な何かを感じ取ってしまった人」は深読みです。おそらくその深読みに邪魔されて楽しめなかったのではないかと思います。
ですので、「面白かったー」という女子は深読みせず、うまく映画を楽しんだに過ぎないと思います。
このシンゴジラにおいては「人の悪と罪」を描いたり「ゴジラは我々自身である」必要など微塵もありませんから。むしろそういうものを自分勝手に設定してしまった人は楽しめなかったのでしょうね。残念です。
「自分の思っていたものと違うからつまらなかった」は仕方ありませんが、そのことをもって「失敗作」と断じてしまうのはいかがなものかと思います。
最後のエンディングが物語ってます。
初代からメカゴジラへと流れるエンディング。これは、この映画の流れと同じです。
冒頭の演出が初代の丸写し。そこから物語が進み、反抗作戦が本格的に活躍するクライマックスはメカゴジラとダブります。
そういう映画なんです。思想とかそういうのは飾りなんですこの映画では。特撮好きが好きなもの詰め込んだんです。
詰め込んで、エヴァを彷彿とさせたのは、つまるところ庵野秀明の自己表現。
エヴァンゲリオン自体がそういう話なんです。「ぼくはここにいてもいいんだ」というエヴァンゲリオンの主人公シンジの最後の台詞は、製作に困窮した庵野さんの開き直りを作品に投影したのです。
そんな作品のオマージュを組み込む理由。シン・ゴジラは庵野秀明さんの自己表現なんです。
「ぼくは特撮大好きな、エヴァンゲリオンを作った庵野秀明です」ということなんです。
全ておっしゃるとおりだと思います。ゴジラのテーマに沿うなら、メルトダウンした福島に出現し、日本各地の原発とその経済圏を破壊して東京に向かうべきであったし、エンタメに振るなら通常の兵器で傷つくべきでは無かった。
中途半端でどっちつかずの、弱い生き物としか描けていなかったですね。