劇場公開日 2016年7月29日

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「ぼくのかんがえたさいこうのゴジラ」シン・ゴジラ チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0ぼくのかんがえたさいこうのゴジラ

2016年7月31日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

庵野映画。それだけ。
キャラクターたちが台詞を喋る度に顔がアップになり、一言毎にそれがパパパと切り替わる早い画面回し。
無表情、微動だにせずに早口で喋るインテリ、
無駄にリアクションが激しいオタク、
マヌケな言動を繰り返す首相代理。
まるでアニメのようなキャラクターたちとカメラワーク。そう、庵野さんは人間を描くのは下手くそなのだ。ナウシカで作画に参加したとき宮崎駿から指摘されていた事実。
アニメなら許されても実写でこれは許されない。マヌケな描写は事の重大さを忘れさせる事態を生んでいる。
そんなマヌケなキャラクター描写が効果的に働いてる部分もある。まるで伝言ゲームかのように対策を決める政府会議は非常に皮肉が効いており、先の震災で起きた事態を彷彿とさせる怖さがあった。
だがそれが効果的だったのは最初まで。途中から同監督作品のエヴァンゲリオンのBGMを使い出してから、政府のマヌケ描写は皮肉から単なる受け狙いと呼べるほど無意味な台詞が繰り返される。

よく言われる「ゴジラは災害」とか「原発そのもの」とかいう意見だが、そんなものこの映画には微塵たりとも存在しない。
災害と準えてるなら、自殺したと思われる博士はいらない。ラストのシーンで人を彷彿とさせてる時点で災害でもない。
原発と準える人は、この映画のラストシーンの状況をわかっていない。
半減期間近で除染すれば復興可能となる状況が福島原発と重なる?何百年しなければ半減期が訪れない福島の現状を知らないのか?30年過ぎたチェルノブイリ見ても、本当にこの映画、ゴジラが原発をイメージしていると言っているのか?
ポンプ車で冷やしてれば原発イメージか?そういう貼り付けただけのイメージしかないんだこの映画は。
石原さとみの無理矢理な設定は言わずもがな。キャスティングの時点でもうこれはそういう緩い映画なのだ。
そもそも300人もの俳優を使う理由がわからない。それぐらい有名俳優がエキストラ的な立ち位置にしている。当然出すからには金がかかる。つまり金の大半がそのエキストラ的な部分に費やされているのだ。
ゴジラというネームバリューを使って、庵野秀明という人間が思い描いた最高の画作りをしただけだ。キャスティングやBGMの輸入をした意味はつまり「ぼくがかんがえたさいこうのかいじゅうえいが」ということだ。

それもそのはず、エヴァンゲリオンは庵野秀明自身を自己評価した、極めて映画的手法で締め括られた怪作で、つまりはエヴァンゲリオンで描かれたものは庵野秀明自身そのもの。だから今回エヴァンゲリオンのBGMを使ったのは怪獣映画大好きな自分の夢を実現させた一種の印のようなもの。
終盤のご都合主義的な作戦もそうだ。全ては怪獣映画的画作りのために用意されたものに過ぎない。だからツッコみを入れるのも野暮な話というもの。

許せないのは20年も経っていまだにエヴァンゲリオンから離れられてない製作スタンスで作品を作ってる点だ
何回同じものを見させるつもりだ?氏の破壊描写や独自の空気感は大好きなのに、作品の芯の部分にエヴァンゲリオンを持ってきてどうする
ゴジラというネームバリューを利用したかっただけか?そんな奴が特撮好きと語るなんて片腹痛い
いい加減エヴァンゲリオンから離れてくれ。新しい庵野秀明作品を見せてくれ

チンプソン
2016年8月5日

レビュー読ませて頂きました
後半の部分特に同意します

エヴァはたしかに人気だし面白いけど
もう20年前の作品です。
いつまでエヴァにしがみつき、過去の栄光の残り汁を吸う気なのでしょうかね?
今作もゴジラを描いてるはずなのにエヴァのBGMをそのまま使用するなどの姿勢からその意図が感じられました。

庵野監督は才能ある方です。
今後ずっとエヴァの二番煎じを作り続け、
「エヴァを作った人」の肩書きで終わるのはもったいない。
まったく新しい物を作り、エヴァを超えてほしいと願います。
ファンの方にも庵野=エヴァの図式で見てる方もいるでしょうが、その姿勢も庵野監督の新たなものづくりを邪魔してると思います。

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