劇場公開日 2016年7月29日

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「日本政府VS呉爾羅」シン・ゴジラ ao-kさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0日本政府VS呉爾羅

2016年7月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

ニッポン対ゴジラ。ポスターに記されたキャッチコピーであるが、実のところ、日本政府VS呉爾羅(ゴジラ)とするのが正しいのではないか?未曾有の事態に、国を動かすのは政府の役目という着眼点は実に良い。物語の中心が全て官僚たちによる対策本部での会話劇というアイデアは、今までにありそうでなかったゴジラ映画のスタイルだ。

ゴジラ映画はその時代を反映するものであると私は思っている。オリジナルのゴジラが核兵器、敗戦国のトラウマのメタファーであったとすれば、今作は原発、東日本大震災のトラウマのメタファーとして見ることができる。故に机上の空論ばかりを唱え、想定外の事態に対応できない無能な閣僚たちなどを描き、子どもが喜ぶ怪獣映画ではなく、大人が楽しむ社会風刺映画としてゴジラを復活させた点も悪くない。

しかし、ゴジラの襲撃に巻き込まれ、一番被害に遭っているはずの民間人の様子が全くと言っていいほど描かれないのは如何なものか?どうも映画の中でも格差社会が生じ始めていると感じざるを得ない。苦しめられるのは弱者、避難所でストレスフルな生活を強いられれる被災地の声が反映されてこそ、主人公の官僚としての正義感が生きてくるはずなのだが…。故にゴジラが東京を火の海にする絶望的なシーンさえ、どこか他人事のような目でしか見れなくなってしまうのだ。

「もうすぐお父ちゃまのところへ行くのよ…」オリジナルのゴジラで描かれた悲痛な親子の叫びが印象的なのは、物語を庶民の目線に向けた名場面であるからだろう。何か一つだけでもいい、誰かの一言だけでもいい、庶民の苦しみを伝えるフッテージが欲しいのだ。そのせいか、子どもの頃に大好きだったゴジラが、暫く会わない間に庶民の手の届かないところに行ってしまったようで寂しい気持ちになる。あの赤い皮膚は実は議員バッチのメタファーだったのか!?戦っているのは、官僚や自衛隊員だけじゃないはずだ。真の意味で日本対ゴジラと呼べる「真・ゴジラ」の登場を私は切望する。

Ao-aO