バケモノの子のレビュー・感想・評価
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さんざん言われてることだが
なんでちゃんとした声優使わないんだかなあ。
特にこれ、主役の子の面倒みる三匹の化け物がほんと三人とも下手。
役所広司は声優やらせるとこんなに下手なんだ、やる気ないのかと思ったよ。
他の二人は元々役者じゃないわけだけどだからって我慢ならんよ。
どうしてこういう状況になっちまったんだろう、ある巨匠監督が「演技過多の声優使いたくない」とか言ってそれが加速させたことは明白だがね
そんでそーだそーだ言うやからも多くて…おれは吹き替え世代?だいたいテレビで洋画を吹き替えで観てきた世代なんで、シラケるんだよ下手な声当ては
自然な演技?バカ言ってんなよ。
山路さんが出てきてホッとしたもんなマジで。
あと、「サマー・ウォーズ」みた時も思ったけど
細田守のアクションはまるで形どおりですごくつまらん。
本人格闘技経験はないようだから、おそらくネットの動画とか、格闘技や武道の映像作品などで調べてるんだろうが
形どおりすぎで、すごくつまらない。
今回、主人公が弟子になるオオカミみたいなやつは、自己流の格闘術と言うが
いやいや、自己流の動きじゃねーよ(笑)
それに主人公が終盤でみせる刀の使い方はありゃ居合いだろうがどうみても。
待ちの姿勢から、抜刀して逆袈裟か横殴りに切りつける感じかな。
もうそこらへんのシーンは飽きちゃってちゃんとみてなかった
ストーリーとしても、なして主人公は急に超能力みたいなこと身に付けるの?フォースなの?ジェダイの騎士なの?とか
なして突然異世界と、現実世界を自由に往き来できるようになんの?とか違和感ばかり
ほんとは「サマー・ウォーズ」からこの監督には飽きてた。次は観ないだろうなあ。
なんかもっと一皮むけられないのかな細田守。ほんとジブリの後追いばかりしてる気がする。
意味なんて、てめぇで見つけんだよ。
映画「バケモノの子」(細田守監督)から。
「神にすらなれる我らバケモノと、なれぬ人間とでは、
生きる世界が違うでな」の設定で物語が設定され、
渋谷の街とバケモノたちが住む「渋天街」という2つの世界が
交錯するストーリーを楽しみながら、
書籍「十二国記」シリーズ(小野不由美著)を思い浮かべた。
注目は、人間の少年がバケモノ(熊徹)の弟子になり、
複数の賢者に「畏れ多くもお尋ねいたします」と前置きをし、
「強さとは何ぞや?」と尋ね歩くシーン。
(賢者1)は「幻は、時として、真実よりもまことなり」
(賢者2)は「そんなもの求めて何になる?」
(賢者3)は「それをわしに問うのは筋いじゃ」
(賢者4)は「わしは、達観などせん」
どれも、納得のいく答えは見つからなかったと思うが、
少年は「強いって、いろんな意味があるんだな」と悟った。
「どの賢者の話も面白かった」と言いながら、
「意味なんて、てめぇで見つけんだよ」と言うアドバイスで、
「意味を自分でみつける」ことの重要性を理解したはずだ。
この気付きが、彼を成長させたことは間違いない。
いろいろな人に助言を求めるのは悪いことではない。
しかし、最後は自分で意味を見つけ、自分で判断し、
自分の信念に従って行動することこそが、大事だと知る。
生きている意味も、自分で見つけなくちゃなぁ。
すべてが乱暴な作品、一生好きにはなれない
個人的に細田守監督の作品は好きではないです。
それでも公開当時「3回」観ました。
1度目は「今度はどんな映画を作ったのか、見せて貰おうじゃないか」という、海原雄山のようなスタンスで
2度目は、ヒットしている本作に対し、「この映画のどこがいいんだ?」と思いながら
3度目は、(自分の感覚がおかしいのかを確認するため)友人に観て貰うために
正直「何がそんなにいいんだ?」と思いながら、今でもときどき「金曜ロードショー」の録画を観返しています。
冒頭から「よくきたな。まぁ黙って、我々の話す物語を最後まで聞きなさい」だって。
この「聞きなさい」が、スクリーン越しに観客の「僕」へ向かって言っているのだとしたら、僕は今からスクリーンの中に居る「架空のキャラクター」に、「架空の世界であるバケモノの世界」について、一方的な説明を受けるわけです。
そんな乱暴な説明で、「わかったか?わかったら、今から始まるこの映画の世界観を納得して受け入れろ」といきなり言われても、受け入れられるわけがありません。
そんなわけで、のっけからかなり強引に作品の世界に「押し込まれた気分」でした。
思いやりなど微塵も無い大人(親戚)に「牙むき出し」で啖呵をきる主人公の蓮。
主人公の境遇を端的に見せることで、彼の行動原理に共感・同情・納得して貰おうと思ったのでしょうが、感情移入どころか「ケンカドッキリ」に居合わせられたような不快感すら覚えます。
この時点で、この主人公(ひいては細田監督)に付き合うのが苦痛になっていました。
~で、いきなり「闇」を産み落とすし・・・
歩くこと「だけ」を命じられたような、生気の無い渋谷駅前の通行人の群れ
補導すること「だけ」を命じられたような、体温の感じられない警察官の態度
街も車も道行く人間も「パーツの寄せ集め」にしか感じられない渋谷という街を、エピソードが発生するポイント(チコに謎の白い固形物を与える、熊鉄を見て『ば、バケモノ!』と言ふ、など)を1個ずつ消化しながら、何者か(細田だな)に誘われるかのようにスンナリと渋天街へ迷い込む蓮。
すべては細田監督の「思惑通り」に事が運びます。
細田監督に出口をふさがれた蓮は、生臭坊主の豚に誘われ、為すすべもなく熊徹に「飼われる」ことになります。
蓮にできた唯一の抵抗は「本名を明かさない」こと。
熊徹が「勝手」に名づけた「九太」という名前。
蓮には最後までしっくりきていなかったことでしょう。
(果たして彼は、渋天街の中ですら、一度でも、自分のことを「九太」と名乗ったのだろうか?)
「憎まれ口」という言葉がありますが、多分、蓮は熊徹のことをずっと「好きではなかった」と思います。
(クライマックスで細田に丸く治められたように仕向けられていますが、ラストで人間界に戻って平穏な普通の生活ができることになって、清々しているはずです)
※心に宿ったことに満足する熊徹の「独りよがりな笑顔」が虚しく映ります
(この独りよがりな笑顔は、そのまま細田監督のものとして映る)
熊徹の足の動きを読み取ることができた蓮は、これまでの「憂さ」を晴らすかのように、熊徹を追い詰めていきます。
熊徹の「胸を借りる」のではなく「熊徹と張り合う」のが、彼の「修行」です。
一方の熊徹は、「得体の知れない人間の子供」との共同生活の中で、より「乱暴者」に磨きを掛けていきます。
何年経っても平行線を辿る二人の関係性に変化をつけたい細田監督は、一旦蓮を人間界に戻すという「荒業」を使います。
この演出に「シビれた人」は何人居たでしょう。
ここから、前作の「おおかみこども」と同じようなことがしばらく続きます。
※僕の中で、前作の「彼(死んだオオカミ人間)」は、彼の祖先が「渋天街出身だった」ということにしました
「いつもと違う蓮くん」をひっぱたいて、すかさず引き寄せ、背面のフェンスにぶちかました楓。
老けないオヤジ。
蓮の「心の闇」は広がっていくばかりです。
~というか、8年も前に渋谷で産み落とした「心の闇」がまだ残っているとは・・・。
そして、それを見つけた蓮が「あれは・・・オレ?」
いやー、わけがわからない。
もっとワケがわからないのは、エスパー一郎彦と、結局「弱いヤツは大嫌い」な二郎丸。
細田監督の都合に合わせて、何の脈絡もなく突然蓮を痛めつける一郎彦は、いつまで「自分の種族の被りもの」を被っているのだろう?
(あんなアホみたいな補完あるか?)
「8年もあったのに、他に立候補するバケモノは居ないの?予選は?」
そんな僕の素朴な疑問を聞き入れて貰う余地すら無い、「武力による一発勝負」の宗師決定戦が始まる。
8年経っても「落書きが一個増えただけ」の渋天街。
熊徹も同様。
8年経っても大・丈・夫!(イナバ物置き)。
「8年間何をしていたの?」というくらい、あっという間にダウンする熊徹。
よせばいいのに檄(いや、あれはヤジかも)を飛ばす蓮。
数えりゃいいのに、カウントをやめるレフェリー。
あらゆる演出が「東映まんがまつり」と化す。
そして「火事場のバカ力(←“か”ではない)」で、一発逆転をかます熊徹。
刀刺さって、ちょっぴり「松田勇作」する熊徹。
高笑いするエスパー一郎。
猪王山「サイアクだー!!」
オレが言いたいよオッサン・・・。
東映アニメ風の超能力バトルを挟んで、一郎彦ワープ。
・・・彼は「人間」なんですよね?
ぱにくる渋谷。
「なに、映画?」
・・・そんな撮影があるなら見てみたいよ。
一郎彦にポンポン吹っ飛ばされる「えきすとら」の人たち。
絶対に逃げ出せそうも無い渋滞の山手線高架下で起きる大爆発。
「死傷者ゼロ」
イエモンの歌じゃないけれど、「死傷者は居ませんでした」
居ませんでした!
居ませんでした!
・・・僕は何て言えばいいだろう?
こんな物語が「野放し」で手放しで喜ばれている・・・。
【細田監督へ】
そういえば、細田守は「卵掛けご飯」はおキライなの?
渋谷で蓮がチコに食べさせた白い四角のカタマリは何?高野豆腐?
チコは「マスコット」以上でも以下でもないってホント?
「冒険の舞台は渋谷」って、本気で言ってるんですか?
・・・。
細田監督は、知識人めいた能書きをたれることはやめて、単純に「観る人が楽しめる・興奮するアニメを作りたい」って言えば良いと思ます。
細田監督の一連の作品を見ていると、家族の絆や子育てをするお母さんのすばらしさ、子供の成長を、本当に「描きたかった」とは、とても思えないのです。
よく作られた親子の成長物語
父親とは離婚の為別れ、母親に死なれ、たった独りになってしまった少年「蓮」。不愉快な親戚に引き取られることを嫌がり、ただ一人街へ飛び出す。
新宿の街をさまよううちに出会った謎の男。その男に誘われるまま迷い込んだのは、異形の怪物ばかりすむ「渋天街」。
そこで彼を誘った謎の男こと「熊徹」の弟子になる。二人は日々、大喧嘩しながらも、互いに成長してゆく。
この話のテーマとして感じたのは、 「親子」「成長」でした。
熊徹と蓮(九太)。ふたりは凸凹コンビですが、互いに嘘なく真っ直ぐに生きて行きます。良い親子だなと感じました。
九太は最初からたくましいですね。家を飛び出したり、バケモノの家に居ついたり。我の強さと、負けん気の強さ、勇気は相当です。
熊徹は良くも悪くも単純で嘘がなく、ひたすら真っ直ぐです。九太を通して、彼も成長していきます。
熊徹のライバル猪王山。全てに置いて熊徹を上回る男でしたが、息子の一郎彦には嘘をついていました。彼も人間だったのですが、伝えることがありませんでした。その嘘が、後半に大きなトラブルを起こすことになってしまいます。
一郎彦が成長するにつけ顔を隠すようになったのは、自分が人間であることに対する引け目。人間でありながら、バケモノの街で平然と生きていける九太への嫉妬だったんですね。
次郎丸はいじめっ子から、包容力のある立派な若者になったなと思います。今後が大変な一郎彦を支えていけるでしょうね。きっと。
多々良と百秋坊。2人が間にいたからこそ、熊徹と九太の関係が成立出来たんですね。
孤独ながり勉少女楓。
楓は九太が蓮として人間世界に帰るきっかけになります。
この作品は、九太の本来の親である父親との関係もしっかりと描いています。
バケモノの子九太としてだけでなく、人の子である蓮としての彼も描いていったのが秀逸だと個人的には感じました。
一見の価値ある良い作品でした。
最後に一郎彦と猪王山の親子関係。一郎彦の今後の生き方なんかを別作品で書いてくれたらなあと思ってたりします。
う~ん・・・
前半を観ていて、初期の宮崎アニメを小粒にしたようなノリだなと感じていたら、成長した少年が人間界への憧れを募らせてゆく後半から流れがやや変わり始める。
しかし、簡単に二つの世界を行き来できる所や主人公の少年が元の人間界で生きてゆく躊躇いや葛藤の描写が希薄。
クライマックスの渋谷での戦いも、相手側のライバルの少年との因縁を前半から伏線として何も描いていないので無理矢理に盛り上げた感は否めず、親父代わりの熊鉄の最後の決断も何か場当たり的に感じてしまう。
''親父越え''がテーマだと思うが、これでは結局親父代わりの熊鉄頼りで勝利した事になり、焦点がボヤけたまま終わってしまった。
日本の劇場用アニメの本当の意味での親父(宮崎アニメ)越えはいつになるのか。
かいさーん!
渋谷がリアルに描かれていて、場所がわかるのが面白かった。
内容は、千と千尋のような、スターウォーズのような、ベストキッドのような、、新鮮味はあまりない。
誰しも持っている心の闇と向き合い、例え血が繋がっていなくても築ける周りの人との絆や強い信念で貫いて対峙しよう、というメッセージ性?
とはいえ主人公はなんだかんだで愛されていて恵まれているが、一郎彦は人間界に帰る場所もなく、育ての親の猪も微妙な性格で、弟は育ての親と血が繋がっている境遇。一番可哀想だと感じた。
役所広司はいつからかムサくてデリカシーのない役ばかりになっているが、今回の熊哲も。宮崎あおいと広瀬すずが良かった。
ウサギのか細い声での「かいさーん!」がツボ。
「おおかみこどもの雨と雪」が凄く良かったので、映画館で観た!
熊徹と九太の師弟関係がいい!9年も一緒にいたら愛情がわくよね。チコもかわいかった♪楓と出会ったことも知りたいことが増えたから良いことだ!後半はウルッとしてしまった(;_;)それにしても多々良役の大泉洋の声が一番耳に残ってる!(笑)
4.1
次々に予想できない展開があって楽しめた。なんかどんどん出来事が起こったけど、置いてきぼりを食らうことなく、退屈しなかった。あの人が人間ってことは想像ついたけど。
日本のアニメの文化の良さが十分に表されていたと思うけど、最後の人間界でクジラみたいなやつと戦うところはあまり好きじゃなかった。ぼくの好きじゃない感じで、アニメの気持ち悪さが少し出てた。でも終始グラフィックはとても綺麗で、ほぼ全てのシーンが絵になっていた。
あと、最後の熊徹が心の剣になってから、心の中で話してたけど、あそこは黙って欲しかった。何も喋らずにきゅうた自身が悟ればいいと思った。なんか終わり方が説明がましくて嫌いだった。
でも憎しみから人間が暴走するのは普遍のテーマだと思う。アナキンも憎しみから暗黒面に堕ちたんだしね。
この映画のテーマは絆とかそんなところだと思うけど、ぼくは性悪説について考えさせられた。
人間は傲慢、怠惰、嫉妬、憎悪、などなど自然にこう言った感情を持つのは普通。そういうことを踏まえた上で、自分の美意識の元に行動するのが人間が持つ理性であり、そういった葛藤の中で、純粋でありたいと努力する人は美しい。
最後に、あの豚の花のお坊さんみたいなバケモノがリリー・フランキーに似すぎて笑った。
一番しっくり来た
細田作品で一番しっくり来た。今までは後味は良かったなとか、あそこは良かったけど…みたいな感想だったけど、今作が一番全編通して面白かった。
親父の目線と思春期の少年の気持ちがしっかり描かれてて、この気持ち分かるなぁとか、なるほどと思えた。
ただ、大人よりのしかも男親にやや限定される内容な気はして、子どもや妻はイマイチだったようだ。
説明出来ない思春期の不安や闇を心の真ん中に「これ」と言う揺るがないものを抱える事で前に進めると言うメッセージにグッと来た。
親になる戸惑いや、バケモノ目線で人は闇を抱えてるという見せ方が、辛いのは一人じゃないんだ。と言う細田監督の優しさにも思えた。
クマテツと父親とのケジメの付け方もこれが一番だなと納得した。
クマテツは死んだわけではないけど、
僕は亡くなって、いなくなったらそれでおしまいじゃなくて、自分の中にある。距離が逆に近くなると考えてるので、悲しいけど幸せだなと言う印象を受けた。
細田作品は見終わった時に優しい風が吹き抜けて、優しい気持ちになれるのが良い。
ゲド戦記、もののけ姫、千と千尋を彷彿とさせたけど、パクりじゃなくてジブリへのリスペクト、オマージュのように思えて、そこが良かった。
アクションシーンも素晴らしかった。
細田アニメとしては物足りない
バケモノとバケモノに育てられる子供の人間の物語。
なんか他の作品のパクリを集めた様なアニメだった。
育てられた子供の人間は闇を持っていて、悪い事をすると一気にダークサイドまっしぐら、、、スターウォーズじゃないですか。
バケモノはある条件を満たすと神になれる、、、千と千尋の神隠しみたいな感じ。
大人になった主人公と出会う女性、、、主人公に惹かれる条件がおおかみこどもの雨と雪の母親に似ているし。
最後のバトルは何故クジラ?。こじ付け設定。
今までの細田アニメはテーマありきの媚びないアニメだったのに、協賛スポンサーが増えたからですかね?
完全子供向けのチャンバラ主人公勝利映画で良ければOKみたいな作り。
残念賞です。
映画館鑑賞価値300円
期待外れ
結構、評価が高くて
期待していたのだけど...
映画館で観たら映像は
鯨のところとか迫力もあったから
綺麗だっただろうな〜
けど色々と疑問があった。
①九太は8年間も九太として
過ごしてきたのに
名前を"蓮"と名乗ったシーン
急に名前を聞かれたら
"九太"と出るものではないかな?
または聞き慣れた名前で偽名!
出なかったということは
その名前に愛着もなく8年間過ごしていて
また、逆に"蓮"に固執していたんだなと
うかがえた。
②熊徹との関係
親子、兄弟、師弟関係...様々とみえるように
していた筈だけれど
熊徹との関係をハッキリ自覚して
大切だったと思わせるシーンで
熊徹の扱いが雑すぎる。
九太の心境に共感ができなかった。
それと共に九太の成長もあまり描写がなく
何を思って成長したのか、という事もなかった。
だからなぜ、戦闘シーンで
自虐的心境になったのか、とか
そういうところでも共感は得られなかった。
③キーパーソン
楓はキーパーソンだったはず。
色んなシーンで九太を支えてきているけど
キーパーソンにするには弱かった。
闇を閉じるシーンでも弱い。まだ熊徹が弱々しいなりに声を出すとか、そっちの方がまだ良かったな。
そして戦闘シーンでは、何も知らない筈なのに
一郎彦に"闇に負けたあなたに"というセリフ
そんな言葉が出てくるなんて...
私には理解すら出来なかったよ。
まだあるけれど...
この映画は観客に綺麗に思わせようという意志が
強かったように思う。
だから理解してないところに、こういうシーンを
いれたら理解してもらってると感じるだろう的な...?
観てて不愉快になった。
☆2つでもつけすぎかなって思う。
80点
今まで見たことない設定と展開!
声優陣全員しっくりきてた!
人間界戻ってから急に恋愛?
と思ったけどよかった!
メッセージ性強い話やった!
なんでクジラ?なんで読めたん?わら
小さい白いバケモノはなに?わら
おもろい
見たのはちょっと前ですが、とても良かったです。
クマテツのキャラクターがほんとによくできています
クマテツとイノシシの戦いは前のめりになって見るほどかっこ良かったです。
主人公が高校生になってまで生意気なのと、いきなりクジラがでてきたのが残念でした。
宗師について
宗師がなんで熊徹なんかを高評価しているのかわからない、という意見を見た。宗師には猪王山という立派な後継者候補があり、腕っ節だけは互角と噂された熊徹さえ、物語冒頭で軽く伸している。一方の熊徹は、力技で猪王山に劣るだけではなく、自分勝手で感情的でわがままでおまけに怠惰だ。宗師は熊徹のどこに未来を見たのか?
だが、僕の意見はちょっと違う。宗師は熊徹を有望視したのではなく、猪王山の未来に不安を感じたのではないか、と思うのだ。猪王山は確かに人格者で非の打ち所が無いように見える。だが、僕には猪王山の「正しさ」が作られたものに過ぎない、と思えてならない。あえて言えば、無理して、自分を律することで真面目に生きている優等生ということなのだ。
劇中、そのような猪王山の「弱さ」「脆さ」「無理して作られた正しさ」の描写は少ない。だが、よく考えてみれば、本当に人間(バケモノ?)として強くて正しいのは猪王山ではなく熊徹なのだということが容易にわかるエピソードが1つある。それはあまりにもあからさまな故に却って見逃されているのだと思う。それは「バケモノの親」としての「人間の子」への接し方だ。終盤、人間界とバケモノ界に崩壊の危機をもたらす一郎彦の暴走は決して不幸な事故なんかではなかったことは容易にわかる。なにしろ「こういうことが起きる可能性があるから人間をバケモノ界に連れてくるな」という禁忌が厳然として存在し、当の猪王山がその禁を破ろうとする熊徹の難詰しているのだから。そのことを考えれば、実は自分勝手でわがままで自己の感情を優先して世界を危機に陥れているのは熊徹ではなく猪王山の方だということがわかる。なにしろ、九太が人間であることを公表している熊徹に対して猪王山はそれを秘匿しているのだ。密かに危険物を持っている方が、堂々ともっていることの100倍危険だ。それはあまりにも明らかだろう。
そして、九太が人間だと公言しながら弟子にできる熊徹に対して、それを公表できない猪王山の弱さは、ただひとつ、自己に対するプライド、優等生という印象を壊せないこと、だけだろう。もともとダメ人間の熊徹は堂々とルールを破れても、聖人君子(を装ってきた)猪王山にはその自由はない。結局、猪王山は自己のプライドのために世界を危機に陥れるという愚を犯している。その言い訳はただひとつ。「自分が育てれば大丈夫だろう」これほどの傲慢があるだろうか? 劇中、宗師が一郎彦の正体に気づいていたという描写はない。それでも、宗師はそんな猪王山の傲慢さ、慢心、自分が破っている(人間の子を連れ込むという)禁忌を、他人(=熊徹)が破ると公然と批判できるというご都合主義的な性格にうすうす気づいていたとは思えないだろうか。
猪王山の勝手なルール破りと、自分はバケモノじゃないのではないかという一郎彦の悩みに正面から向き合わず「そのうち牙も鼻も伸びてくるから」と言い放ってしまうひどい扱いが一郎彦の闇を実体化させた最大の原因であり、これは事故なんかじゃなく、起こるべくして起こったとしか僕には思えないのだ。
だから、僕は思う。宗師は熊徹を高く買っていたわけではない。そうではなく猪王山にだけは決して宗師の後を継がせたくなかったが故に次善の策として対抗馬の熊徹を、密かに育てていただけなのだと。
タイトルなし(ネタバレ)
序盤はテンポも良く爽快だ。見よう見真似で何か学び取れ。中盤も良し。ある程度極めたら自分の興味に従って学んで行け。恋もする。しかし、終盤は推進力を失う。特に一郎彦のキャラクターは描写不足で同情の余地がないキャラになっている。それを倒すことに意味が見出せない。
熊徹は理想の父親像なのだろう。現実の父親とうまくコントラストが出来ている。では、母親像は肩に乗ってる毛玉みたいな奴だろうか。少し問題ないか?
一郎彦。
一郎彦が主人公だったら、どんな映画になるかなと思った。
九太と同じ”人間”でも大きく違う、九太と一郎彦。
一郎彦の親は、傷つけないために嘘をついていたけれど、結局わかってしまうことだし、きっと、一郎彦は幼い頃からわかっていたんだと思う。
『誰でも闇を抱えている』
『人間だからってみんな悪いんじゃない』といったニュアンスの台詞や
ポスターの『キミとなら、強くなれる。』という言葉がとても印象に残りました。
あと人間の心にある『闇』が見えたらこんな感じなのかなあ、というのが面白かったです。
子どもも大人も楽しめて、ふと、考えさせられる深みもある素敵な作品でした。
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