あんのレビュー・感想・評価
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人生の最大の輝かしい時間
随分以前に映画館で鑑賞して結構感動したのに、 なんでかレビューを書かずにいました。 他のレビュアーさんの感想を読んで ああ、そうそう!!と思い出した次第。 映画の記憶はかなり薄くはなっているのですが 印象に残っているのは 樹木希林さん演じる徳江さんが本当に楽しそうに 餡子を炊いていたこと。 物語の後半、同じ隔離施設の 市原悦子の演じる友人が語る徳江さんの半生が 胸に迫って来る。 狭い施設の中で時々は餡子を炊いて 周りの友人達はきっと喜んでくれたのだろうけど 自分のできる最大の特技をやはり施設の外でも 試してみたい!と思うのはとても自然な事。 あの短い時間は徳江さんの人生の 唯一の輝かしい日々だったのかも(涙) 徳江さんの生きる喜びや張り合いを奪ってしまう 一般人の「無知」による「差別」の なんと恐ろしく罪深いことか~~。 ぜひ、ご覧になって下さい。 で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては 色んな方のレビューを読んで 中身がないとか、話は退屈とか、お涙頂戴とか 書いてる人がいて、そこは個人の感想ですから 私なんかが文句を言う筋合いでは無いけど ちょうどコロナに全国民が苦しんでいる今、 コロナに罹った人々がその後、 社会から差別を受けたとしたらどう思うのだろうか? 本人の責任でもないのに病気にかかったというだけで 人生の大半を限られた空間に閉じ込められて 子供を持つことも許されず、職業の自由も無く 死ぬまでそこだけで暮らさなければならないとしたら? そういう想像力と共感力は失いたくないですね。
どら焼き
素晴らしい映画だった、なぜ、公開時に観なかったのだろう。 樹木希林と永瀬正敏の演技の凄さに尽きる。 浅田美代子も嫌な役回りを良く演じてくれました。 医師でありながら、1996年と割と最近に「らい予防法」が廃止された事を知った。
魂が手をつないでいるよう。
千太郎と徳江さんの寄り添い方が絶妙で泣いてしまう。 希林さんも永瀬正敏もとても丁寧に演じているのに ただただふたりがそこにいるよう。 徳江さんが生き生きと働く姿が愛おしい。 「世間」はいつまでも、そう愚かではないと信じたい。 ラストのぎこちないけれどまっすぐな声が、どこまでも届きますように。
自由を楽しむ
最初は永瀬正敏が何か凄い過去抱えているのだろうなと思いながら観ていたけど、まさか希林さんの方が壮絶な経験をされていたとは!収容所とか刑務所にいる様な生活だったのだろうね。
店長は自分で招いた過去、希林さんは自分ではどうしようもなかった過去。対照的だけど希林さんの鋭い五感、母性が息子のような年齢の店長を元気づけたいどうにかして助けたいと思ったのだろうね。どら焼き作りを通してみんなが幸せになれて良かった。時々笑えるようなセリフがあるのだけど全て不発に終わる感じ。希林さんの友人浅田美代子は嫌な役柄だった。お孫さんは初々しくてそれがいい感じでした。日本語だけじゃない生活をしているのかな?
無知はなんて愚かな事
多磨全生園に行く機会があり、国立ハンセン病資料館を見学しました。 そこには国や世間の、病に対する間違った知識や偏見により、罪の無い患者さん達の想像を絶する闘いの歴史が 刻まれていました。 私も、ハンセン病の裁判で国に過失があったと認めたニュースがあり、その時に知ったので私も無知で愚かな人間だった。
このどら焼きを食べたくて仕方ない
樹木希林と永瀬正敏の演技がすごい。。演技を超えてるというか、魂のまま(良心のまま)に演じればこうなるのかなと思った。 浅田美代子はこの役やるのも嫌だったんじゃないのかな?てくらい憎い役だわ!今どきこんな差別だらけの無知な人いるかな…。 「よく分からないけど」と主観で差別を押し付ける。無知、それが差別意識の根源!勉強すればハンセン病は何も恐れることは無いと分かるのに。療養所の近辺ににこんな無知な住人居るのかな。 全生園は看護学生の頃に授業の一環で訪ねたことがある。映画の随所に緑豊かな全生園の風景が散りばめられており懐かしかった。本当に空気の透明な楽園のような所。桜の時期に花見に行きたいな… 最後の「どら焼きいかがですか」は徳江さんに呼びかけていると思う。
人の優しさと怖さを感じる作品
人との出会いが人を変え、救うこともある。 たった1つのことが連鎖して大きなものや流れを作り、人を傷つけてしまう。 差別と区別は違う、区別というのは特別という意味ではなく、違いがあるからこそそれを受容して周りが受け入れていく。 そんな世の中につながればいいなと思った次第です。
圧巻の演技、泣けます
あん 美味しそうなどら焼きでした。 希林さんにしても永瀬さんにしても、迫力ある演技が、観ている人を物語にひきつけます。 孫との共演もよかった。今は天国でこの作品にも出ていた市原悦子さんと甘いもの食べて談笑してるんでしょうね。 こんな甘味処があって、話ができるおばあちゃんがいたら、悩み多き子供世代は、いいオアシスになるんだろうなぁ~ ハンセン病患者の隔離は、本当につらい悲しい話だ。私たちは過ちを繰り返すことなく教訓として、あらゆる差別なくしていかなければいけない、と考えさせられた。
お婆ちゃん
「私達はこの世を見る為に、聞く為に、生まれてきた。この世は、それだけを望んでいた。…だとすれば、何かになれなくても、私達には生きる意味があるのよ。」
樹木希林のメッセージ、遅ればせながら受け取りました。
映画ってやっぱり素晴らしい。
ハンセン病というものがあって、隔離されていた、というのは聞いたことはある。
ただ、96年て、最近じゃん。
なんだか昔のことと思って無関心に過ごしてきたが、そういうことに気づかせてくれる。
それだけでなく、きちんと生き方のヒントも与えてくれる。
この世は確かに生きにくいけれど、周りの事物に目を向ける、耳を傾ける。
そのくらいのことはできる。
それに意味があると考えられれば、そんなに難しいことではないと。
昼間の月に気づくこともなく過ごして来たが、ちょっと空を見上げてみよう。
お婆ちゃんを演じられる人が、絶えてしまった。
日本最後のお婆ちゃん女優のメッセージ、受け取りました。
なんでだろう、意味なく、涙が枯れるほど、泣いたんだよ!
いや、いまさら、ハンセン氏病かとは思うのだが。 これはドキュメンタリーなのかな? なんだろう、ひたむきでも、報われない、それに共感するわけでもない。 いや、映画は良いな、そんな演技を観れたのか? 何故か、良いなと感じたんだよね。 桜を見て、来年の桜を見れないと死んだ知り合いを思いました。 行間の多い映画です、これ、なんですが、自問自答する、そんな映画でした。 何故か、涙が枯れました。 何故か、爽快な気分です。 ありがとうございました😊!
やっと観ました。
もう2年近くになるんですね、樹木希林さんが亡くなってから。市原悦子さんも昨年初めころでしたっけ?! 本当にいい女優さんを失いましたね、日本映画界は。 追悼上映として映画館で再上映された際、不覚にも何か見たい映画と重なって見落としてましたし、できることなら映画館で、と思ってましたがそれが逆に災いしてTV放映もスルーしてしまいやっとVODで観ることができました。 「店長さん、美味しい時は笑うんですよ!」店長とともに涙してしまいました。 徳江さん(樹木希林さん)のセリフ 「私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ」深い言葉です。 ここ最近の自粛警察ではないですが、人間の中に巣食う黒い心、 どら焼き屋の経営者の奥さん(浅田美代子さん)が発する「よく知らないけど、らいらしいわよ」のような何気なく出てくる偏見や差別が今のご時世においてとても胸が痛み考えさせられます。 感動とはまた違った感覚ですが心震えるような素敵な映画でした。 色々と深い想いはありますが、何しろ樹木希林さん、永瀬正敏さんが役柄ではなくそのままのドキュメントのごとく感じてきました。 それくらいお二人の演技が素晴らしいということの証明なんでしょうね。 『日日是好日』でも淡々と進むお話の流れに逆に感銘を受けたこと思い出しました。 なんだかすさんだ心持ちになりがちな今日この頃、多くの方に観てほしいと心から思いました。
ささやかな そして 確かな幸せ
父親を看取り 落ち着いた頃、母と気晴らしに映画を観ようと訪れた映画館で樹木希林さんの追悼ということで「あん」を上映していた。本当は「コーヒーが冷めないうちに」を観ようと思っていたが、母が観たいというので「あん」にした。 樹木希林さんは本当に素晴らしい女優だった。思えば 樹木さんの映画作品を観るのは初めてだった。 彼女が 持て囃される(た)のは当然だと その存在感と繊細な演技力に 唸った。 惜しい。残念。まだまだ、たくさんの作品を見たかった! 樹木希林さん演じる徳江が 愛おしげに小豆に話しかけ 繊細に大切に小豆を「あん」に仕上げていく様が 優しい視線で描かれる。あんの美味しそうな甘い香りがしてきそうだ。 この物語は ハンセン病のために 一般の社会から隔離された場所に住む事を強制され、差別され生きて来て、やっと その政策が間違いと是正されたため、外に出られるようになった徳江が、その日暮らしの惰性で生きていた千太郎の人生に 味や色を与えていく… 私は ハンセン病がどうとか そういう事より 徳江の ささやかな事への喜びの姿を この映画は伝えたかったのではないかと思った。 桜を見て 愛おしげに微笑む。餡の煮える音に耳を傾け 満足げに喜ぶ。若い子と楽しげに話す。 なにより働くことを 楽しむ! そして 徳江は言う。 「人は この世界(の美しさ)を見る(聴く)ために生まれて来たのよ」 胸が いっぱいになった…! 私は 他人のために何かしたいと思うような立派な人間では無い。せいぜい迷惑掛けないように生きている。だけど… この世界は美しさに溢れている。だから 出来るだけ見たい!聴きたい!と思って生きて来た。わがままな生き方かもしれない。 でも 徳江のこの言葉で 肯定してもらった気がした。 人は何のために生まれて来るのか?大きな命題だ…。もし、徳江が言うように それが生まれる意味ならば、どんな 境遇にあろうとも、美しさを求めたい。 ささやかな事に喜び、感謝したい。美しい穏やかな世界を守りたい。 そう 思った。 私に世界の美しさを教えてくれたのは 亡き父だった。 映画やドライブや空を見上げる事などを通じて、教えてくれた…。 母が作る小豆のおはぎは 絶品(笑)私も千太郎のように、母から受け継がなければ! だいぶ 個人的な想いで観てしまったから 正しい見方でないかもしれない。でも それでいい。 母も とても良かったと喜んでいた。 素敵な樹木希林さんの温かい表情と声は決して忘れない。 追記 タイトルの『あん』が餡でないのは、「あ」から始まり「ん」で終わる五十音に人の一生を擬えて付けられたものだろうか……。
弱者でございます
是枝監督とならんで演出のリアルさが優れている。会話や仕草や表情など「この人たちは自分が映画に出演していることをわかっているのだろうか?」と思えるリアリティ。どうやってカメラを意識させないようにしているのか、わからない。 年譜を見ると、びっくりするほど多作な人だが、作風からして、興行も興行成績もひかえめだと想像する。その作風を、心境の変化か、興行主の意見か、解らないが、この映画から変えた。──と思う。 かわいそうな立場やしいたげられた人でシンパシーを稼ぐ作家とは気づかなかったのだが、この映画や光にはお涙系の演出が目立った。正直なところ、リアルな演出を取ってしまえばセンスのない映画監督だと思う。 オーナーに連れられて、甥っ子がガム噛みながら「どら春」に入ってくる。一目でわかる憎まれ役。観る者の反感を煽りたい意図が見える──というより、いまどき月9にすらこんな直截的描写はない。かなり衝撃を受けた。 店長には、負目と前科があり、母を亡くしている。呑み干したカップ酒に吸い殻、落ち込む度にお酒、短絡の目立つ弱者キャラクターだった。光で同じ永瀬正敏が演じている盲のカメラマンも、しいたげられた/かわいそうな設定で、シンパシーを稼いでいる。 アートハウスの監督と見ていたが、たんに辛気臭いだけなのかもしれない。 話も、餡が変わってすぐ行列できちゃったり、鳥カゴ抱いて家出したり、徳江さんが生前に録音遺していたり、どこまでも作られた話(原作)だと思った。 一杯のかけそばで言うなら「ハンセン病」は「貧乏」のようなもの。いい話というよりうまい話だが、かつての監督作よりもてなしがよく、裾野をひろげたものの、個人的には醒めた。
ぼくたちはなにも知らなすぎる
ハンセン病やらい病という言葉がどんどん風化していって、知らない人が増えていっている。どんな病気でいつの話なのか、どんなことがあったのか、やはり知っておく必要があると思う。そしてもっとも知らなければならないのは、ハンセン病を患った方々の人生だ。 いまコロナウイルスで同じように差別の対象とされる人がいるが、その構図はいつの時代も変わらないのか、変えることはできないのか。 なにかを学ぶ必要があると思うが、すこし目先が変わるだけで、人間の深層心理はほんとは変えることはできないのか。そんなことはないと信じたい。 この作品にそのような想いを感じた。
樹木希林さんの偉大さと、差別意識のありかをあぶり出す
樹木希林さんの眼差しや声はどうしてこんなに優しいのか…。作中に出てくる吹き抜ける風や緑の景色みたいだ。神様がいて世界を作ったのなら樹木希林さんは神様に近いところにいるのではないかと思ったほど。
個人的に印象に残ったシーンをふたつ。
・「(どら春で働いた日々を思い返しながら)楽しかったぁ」と言う徳江さん(樹木さん)の表情。
店長・千太郎さんの哀しい目が気になって声をかけた、と後に徳江さんは言っていたけど「働いてみたかった」とどら春に来た時に話した言葉もきっと本当だ。
お店の店子として必要とされたり、接客したり、アイデアを出したり。
施設の中で過ごしてきた徳江さんにとっては本当に楽しかったのだろうな。そしてそこに高校生のアルバイトみたいなことすら許されなかった徳江さんやハンセン病患者たちの哀しい過去が見える。
・「よくわからないけど」
千太郎のオーナーの奥さんがハンセン病のことを話す時に言った言葉。
何気ない一言のようで、差別問題の根幹を表した言葉だと思った。だから印象に残った。
よくわからないから不安なのだ。本作でワカナがしていたみたいにちゃんと興味を持って調べれば実情は見えてくるのに。
断片的なマイナスイメージと、「よくわからないから」という不安で私たちはいとも簡単に差別したり、線を引いたり、排除したりしようとする。科学的な根拠のないイメージだけで。
そしてそれが差別されたり線を引かれた人をどれだけ哀しくさせ、あるいは窮地にすら陥れることを想像できない。
心ない噂で、大好きな職場を自ら去らざるを得なかった徳江さんのような人を生むことを知らない。
そしてそう思った瞬間それはブーメランになって自分のところに帰ってきた。もし作中で噂を聞いた私はどら焼きを買いに行かなくなったのではないか?
ワカナのようにちゃんと知ろうとすることができたか?と自分自身に問いかけてしまった。
本作を観て鼻水と共に流れまくった温かい涙の味と一緒に、私にささったブーメランの痛みはこのままにしておきたい。
あとこの映画のすごいと思ったところ。
直接的に表現せずに受け手に行間を読ませている(受け手を信用してくれているともいう)。
たとえばワカナの母親。序盤のほうにほんの少しワカナと母親の生活の様子や会話が挿入されるシーンがある(その時点では本筋には絡まない)。
そして話が進み、どら春に人が来なくなって徳江さんが去ったタイミングでワカナが千太郎に「徳江さんがハンセン病だと話した人が1人いる。(それは)お母さん」と言う。
ワカナの母がそれを誰かに噂で伝えているシーンはない。他の人たちが噂話してるシーンすらない。
でも観客は「あ、あの母はおそらく近所の人に話すのだろうな」と薄々感じる。序盤のシーンで私たちはワカナの母親のパーソナリティをある程度掴んでいるからだ。
本作はそういった説明があまりなされずカットや表情(たとえば指を触る徳江さんの指のカットで、徳江さんが自分が原因で来客が減り始めていることに気づいていることを表す)で悟らせることが多い。
わかりやすくするために説明のセリフや演出過多な作品が散見される中で、観客を信じてくれる監督やスタッフの姿勢に感動してしまった。
良い映画だった。千太郎役の永瀬正敏さんも素敵ね…!
あとどら焼き食べたくなった。徳江さんの粒あんが入ったどら焼き。
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