「多彩なテーマと、たったひとつのメッセージ」サンドラの週末 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
多彩なテーマと、たったひとつのメッセージ
一緒に観ていた旦那は「蟹工船」を連想し、ネットで感想を読んでいたら「LIAR GAME」と言っている人も。そして私は「十二人の怒れる男」を思い出した。「サンドラの週末」には、色々な側面が描かれている。
静かな映画だが、照明は明るい。サンドラの置かれた境遇は厳しいが、その実生命力に満ちあふれた世界を映し出す。
そのバランスが感動的で、素晴らしい。
この映画は、サンドラの復職を賭けた闘いの物語でもあり、市井の人々の暮らし向きを描く物語でもあり、人と人とのコミュニケーションを描く物語でもある。
体調が思わしくなく、休職していたサンドラが回復し、職場に復帰しようとした矢先、会社はサンドラの復職とボーナスの二択を他の従業員に選ばせていた。
考えれば考えるほどとんでもない話だ。
ボーナスが出せないとか、誰かを切らなきゃならない、というのは業績次第であり得る話だが、その責任から狡猾に逃げようとする会社の姿勢が最悪。
従業員たち自身に選ばせることで、「ボーナスは支給されるハズだったが自分で諦めた」、もしくは「サンドラが復職しないことを自分が望んだ」というように、その決定を内面化させ、巧妙に責任逃れをするのである。
さらに言えば、決定を従業員に押し付けることで彼らの対立も生まれ、労働者の団結を阻むという一石二鳥のアイデアでもある。
プロレタリア文学的な「資本家VS労働者」の構図はまさに「蟹工船」だ。
この狡猾な罠は、自分の決定次第で収入を得られるかどうかが決まる「囚人のパラドックス」的な面がある。
誰かを犠牲にすれば、自分は儲かる。まとまったお金を得るために、時に懺悔のような言葉を口にしながら他人の手を振りほどく行為は、確かに「LIAR GAME」だ。
そして、なんとか自分の復職に投票してくれるよう、同僚を訪ねて回るサンドラ。
自分はボーナスよりも価値のある人間なのか?
逆説的に、1000ユーロの為に見捨てられるような、価値のない人間なのか?という恐怖と闘いながら、対話を通して相手を説得しようとする会話劇は「十二人の怒れる男」を彷彿とさせるような、「他人の人生を左右する」ことの意味と覚悟への問いかけだ。
サンドラは常に、「ボーナスを選ぶ人の気持ちはわかる」という立場を崩さない。週末を使って一人一人の住居を訪ねるのだが、従業員たちにも家族がいて、サンドラは彼らの家族と対面することで彼らの稼ぎによって支えられている人々にも、申し訳ない気持ちになるのだ。
1対1の会話は重要だ。周囲の意見に流されることもなく、自分が発した言葉の責任を誰かに押しつけることも出来ない。
自分の発言が目の前の相手に反応を起こし、自分も相手の表情や仕草に反応する。そんなやり取りだからこそ、「相手の立場」に寄り添うことが出来るのだ。
サンドラの説得を通じて、サンドラだけでなく色々な人が自分の生きざまと向き合ったはずだ。映画に登場するキャラクターたちだけでなく、映画を観ている私たちも、色々な人たちを観ることで自分の価値観を見直せる。
苦しい生活が滲み出る人物たちとは裏腹に、舞台である街の景色は光と彩りにあふれて、とても美しい。暗がりの階段を昇り続けて、やっとたどり着くような家だったとしても、扉の中の住まいは優しい光に包まれている。
生きていく苦しみからうずくまっているうちは気づかなかった、明るい世界。その世界に気づくきっかけは、誰かに真摯に思いを伝えるコミュニケーション。
苦境を描いていながら、こんなにも明るいメッセージを伝えられる映画はなかなかない。