日本のいちばん長い日のレビュー・感想・評価
全231件中、141~160件目を表示
映画「日本のいちばん長い日」の感想
ポツダム宣言受諾、玉音放送まで鈴木内閣の奮闘を描く作品。陸軍将校たちとのギリギリの駆け引きです。
とてもスリリングで、テンポよく仕上がっています。ちょっと当時の知識が無いとついていけないかもしれません。
阿南大臣は腹を切って将校の独走を止めようとし、鈴木総理は聖断を仰いだことの責任を持って辞職する。また、独走する将校は最後には自決して、反乱や自分の思いに決着をつけた。
起こした出来事には批判すべきだとしても、現在日本の「責任を持って辞職する」とは一線を画するような気がします。
昭和天皇が退位せず、その後の新日本の有り様に努力され続けた点からも、首を切って(辞職して)何かが解決すること、という問題について深く考えさせられる物語だったと思います。
戦争を知らない世代に見てもらうために
旧作品も力作ですが、昭和天皇の描き方は、より深く親しみやすくなっています。戦争の辛さ無意味さを今の世代により印象深く伝える工夫をお願いしたく思います。ひもじく勉強したくても出来ない毎日、周りの人々が死んでいく痛ましさ、大人や国や軍隊への疑問を、学童目線で捉えた描写があれば広がりが出たと思います。しかし前回使えた建物も近代美術館に建て替えられた今、映像で戦争を伝える困難さを見事に克服した立派な作品でした。賞の獲得を楽しみにしています。
誰が戦争を終結させたのか?
天皇か、内閣か、アメリカか、ソ連か?
今、開戦を止めることができるのは誰か?
いつまでも戦後が続くことを願いながら見ました。
The Emperor in August
邦題の「日本のいちばん長い日」より、副題のこちらに近い内容。
予備知識なく見ました
戦争について何の知識もない者ですが、気になって映画館に足を運びました。
戦争映画と言うと、最前線の生死をかけた残酷な戦い、あるいは一人の人生ドラマとして見る機会はありましたが、こうした終戦の時の国の動きを具体的に見たのは初めてでした。
政府ではどのような議論がなされ、天皇は何を考えていたのか、ただそれを知るために、見る価値のある映画だと思います。
強く感じたのは、やはり戦争は政治なんだということです。始めるにも終わるにも、安全な場所での机上の議論及び手続き、限られた人の思惑がある。そう考えると、なんだか一国民として恐ろしくなります。
仮に天皇の聖断なく、2000万の特攻によりこの戦いに日本が勝ったとして、日本は何か得られたのか。そのために失った貴重で優秀な人材は国力の低下には繋がらないのか。
今の日本の復興は、聖断による敗戦あってのものかもしれません。平和に感謝します。
お勉強させて頂きました
太平洋戦争中の日本軍の映画は、約1年半ぶり
これは、歴史勉強映画ではなくサスペンス映画だ!と特集で宣伝されているのを、見終えた後に気付いたのですが、
反して個人的には、サスペンスというより歴史ドキュメンタリーのように感じるほどエンタメを排し、リアリティ、臨場感溢れる作品でした。
ポツダム宣言受諾という歴史的決断の背景にあった、日本を背負い指揮する人々の一挙手一投足、熱い想い
教科書の中でしか知り得なかったことが、少しづつ立体的にこの時代の事をイメージ出来た気がします。
ドンパチを期待する人の期待には添えない作品ですが、邦画らしい人々の感情・心情表現を重んじた素晴らしい作品でした。
忠のありよう
あえて旧作とは比べない。
ただ、あの頃にはまだ戦争体験者が多くいた。そのために旧作に必要だったのは、まずは「あの時に何があったのか」だ。
そして戦後70年が過ぎた今となっては、知りたいのは「あの時に誰が何をしたのか」だ。
だから監督のアプローチは間違ってはいない。いないが、それが『金融腐食列島』や『突入せよ!あさま山荘』や『クライマーズ・ハイ』等でやった「組織(歴史込み)と個人」の展開で落とし込まれたせいで、ある重要な要素があやふやになってしまった。
その要素は“忠”だ。
“忠”は愛とは違う。愛は見返りがもらえる。それが他からみれば身勝手な自己満足でも愛は見返りがある。
“忠”は見返りを求めない。見返りを求めずに“忠”の中心に全てを奉げる。自分の命さえもだ。そして自己満足すら感じてしまうと、その“忠”は無くなってしまうほど厳しい要素が“忠”だ。
あの頃のエリートが持っていて当然で、無ければ軽蔑されるのは当たり前なのが“忠”なのだ。
それが、無くなりつつある現在では映画での鈴木、阿南、以外のキャラが身勝手にみえてしまう弱点がこれにはある。
監督もそれはわかっていて、だからこそ楠木正成の挿話を映画に入れている。鈴木や阿南を中心に「忠のありよう」を通して終戦という歴史的事実を描いている。のだが、やはり一側面を強調しすぎたせいで他が矮小化されすぎた。そのために……
わかりやすいが、奥行きが足りない。
それでも映画としては見ごたえはあるし、決して不満な出来でもない。それにこの種のドラマで画期的な場面をやっている。
それはラストのひとりでたたずむ天皇の姿だ。
“忠”の中心である天皇は中心であるがゆえに“忠”の束縛を受けずに国民と国土の未来ための決断ができた。しかし、そのために何を失ったのか。
「ひとりになってしまった」
ふつうの映画ではありきたりの場面だが、それを天皇で描写したのが画期的だった。今まではありえなかったからだ。
それも70年の月日なのだろう。
若い将校陣が映画を壊している
私は「歴史」映画が苦手だ。歴史を知らないから、描かれていることについていけない。軍人が出てくるのも苦手だ。軍服をきているから、ひとの区別がつかない。今回のように出てくるのが「日本軍」だけだと、なおのこと区別がつかない。海軍と陸軍は制服が違うから区別がつくが、登場するのはもっぱら陸軍。役所広司以外は、だれがだれだかわからない。
昭和天皇というのは、ほんとうにこの映画に描かれているような立派なひとだったのかどうか、よくわからない。天皇に関して、ひとつ感心したのは、「天皇陛下ばんざい」という戦争映画に特有の「声」がなかったこと。ここに、もしかすると原田眞人監督の深い「意図」があるかもしれない。私は原田の作品を熱心に見ているわけではないので、この点ははっきりとはわからないが、見終わって、ほおおおっと思った。途中で「陛下」だったか「天皇」だったかという「ことば」が発せられるたびに軍人たちがすっと背筋をのばす。その時の制服のこすれる音を再現しているくらいだから、きっと「天皇陛下ばんざい」という「声」だけは出すまいと意識しているのだろう。
そういうことと関係があると思うのだが、この映画は「ことば」にこだわっている。「ことば」にこだわっている部分をていねいに描いている。天皇が「動物学」と「畜産学」の違いを言ったり、「さざえ」の「比喩」を叱ったり、さらには宮内庁の職員が文書館へ「行く」と言うか「戻る」と言うかで工夫するところなど、なかなかおもしろい。こういうこだわりが、ポツダム宣言をどう訳するか、あるいは最後の天皇の終戦宣言(?)の文言を調整するところにしっかり結びついている。また、切腹した役所広司に向かって、妻がせつせつと次男が戦死したときの状況を「ことば」で再現するところにつながっていく。「どんどん行け」という父親の「ことば」を次男が引き継いでいたというところなど、なかなかおもしろい。
ただし、このおもしろさは、やっぱり「小説」(文学)のものであって、映画そのもののおもしろさとは違うなあ。小説(原作)の方がおもしろいだろうなあ、と感じさせる映画である。
何が足りないか、何が映画として問題かというと、この映画の隠れた主役(?)であるクーデターをもくろむ陸軍将校たちに「肉体の緊迫感」がなこと。これが映画を壊している。観客を(私を、と言い換えた方がいいのかもしれないが)引き込む「熱狂」がない。どうしてもクーデターを起こし、最後まで戦いたいという狂気のようなものが伝わってこない。「俺はクーデターを起こそうとする人間を演じているんだな」くらいの意識しか見え来ない。これでは、クーデター以前に失敗している。脚本を読んで(歴史を知っていて)、クーデターはどうせ失敗するとわかって演じている。おもしろくないなあ。「歴史」では失敗するのだけれど、映画なのだからもしかしたら成功するのでは、と思わせないと映画とは言えないなあ。
戦後70年。私たちはほんとうに戦争から遠いところに生きているんだなあ、と将校たちの演技をみながら思った。人を殺すことがどういうことなのか、「肉体」で思い出せる人間(役者)は日本にはいないのだ。(体験したことのある役者はもちろんいないだろうが、「体験」を聞いて「肉体」を反応させたことのある役者がいないのだ。若者がいないのだ。)
で。
脱線するのだけれど、映画から離れて、安倍のもくろむ「戦争法案」のことを思う。そんなものを成立させても、若者は戦争で人殺しを簡単にできるわけではない。人を殺すためには、人を殺す訓練をしないといけない。人を殺すというのは、まず自分の中にある「人間への共感」を殺すこと、自分の人間性を殺すことなのだから、これは難しい。戦場から帰ってきた兵士が精神破綻を引き起し、日常社会にもどれないという例をさまざまに聞くが、そういう問題をどう解決するかまで含めて「戦争法案」は考えないといけないのだが、安倍は、どうせ自分は戦場に行くわけではないと思っているからなのだろう、そんなことは考えていないね。戦争がはじまれば軍需産業がもうかり、そうなれば軍事産業から「政治献金」が入ってくる、政治献金が入ってくれば安倍(自民党)政権がつづくという「アベノミクス」効果しか頭にないね。
テーマを「ことば」にもどすと……。
人間の「肉体」は「ことば」そのものと一体になって動いている。ことばがしっかりしていないと「肉体」を正しく動かすことはできない。野党の質問に、きちんと向き合い答えられない安倍の「ことば」の先にあるものは、無意味な戦争と無意味な戦死だけである。不正直なことばしか言わない安倍に戦争に行けと言われて、そのとき誰が「安倍、ばんざい」と言って死ぬだろうか。命令されたって、誰一人、そんなことはしないだろう。そんなことも思った。
ご聖断の重さ
ちょうどNHK「カラーで見る太平洋戦争」を見て、生々しい映像で衝撃を受け、今の平和が大変な時代の犠牲の上に成り立っているかと、映画と合わせて知ることが出来て本当に良かったと思います。これは1人でも多くの人に観て欲しい。映画館はやはり年配の方が多かったのですが、エンドロール後、拍手が起こりました。
ポツダム宣言の新たなる真実(^_-)
終戦のポツダム宣言の新たなる真実が
わかる映画です!内容が内容なだけに重い感は仕方ないところ日本人として知っておくべき事を忠実に
事細かく描かれてます(^_-)日本史好きな方は必見かと(^.^)
コレは…どう触って良いのか…
なんともコメントがし難い一本。
あの日あの時を描いた、半伝記というか半ドキュメントとして捉えても良いのかもしれない。
ならばいっそ、再現ありの6時間ドキュメント番組でより深く知りたいし。
かといって抑え目の演技・演出の描き出す当時の世相は、映画として見逃すにはもったいない。
「時代」とはなんだったのか?
そんなことを強く考えさせられた点で。
やはり「終戦のエンペラー」と並べて観ておく事を強くお勧めしたい作品。
戦後70年。
いよいよ「この時期になるとやたら戦争戦争ウザイ」というようなつぶやきを、放送にのせた高校生が現れたと聞いた。
個人の政治・信条(なんて事を考え無くなっている事が問題なのかもしれないけれど)を問うなんて事は、今の時代にはそぐわないけれど。
どんな考えでも、自分という存在の中の流れとして、自国でかつて何があったのかを知るのは大切だと思う。
そうした視点で「過去の善悪」では無く、観て考えさせられるこの作品(ベテラン勢が見事!)は。
無条件に安易な反戦モノや空虚な愛国モノには無い、永遠にゼロにならない意味があるのでは無いか…
と、映画から離れた事を考えるので。
冒頭になる訳であります。
日常の平和があたりまえだと思ってはならない
日本のいちばん長い日を観た。
もし昭和天皇とその時の内閣が戦争を終わらせようとしなければ……
もし陸軍主導で一億総玉砕で本土決戦に持ち込んでいたら……
映画を見終わって、平和な日常に戻って阿南陸軍大臣の言葉を思い出した……「日本は亡びることはない、日本人は勤勉な国民だ、必ず復興する」
映画は終戦の年の4月の鈴木内閣の組閣から8月15日の玉音放送までを描いている。前半は収拾のつかない閣議と御前会議、後半は青年将校のクーデターそして玉音放送まで。
昭和天皇の言葉が印象的だ。「私の名によって始められた戦争を、私自身の言葉で収拾できるならありがたく思う」
子供のころは、戦後30年もはや戦後ではない…という言葉があった。
いま戦後70年、日常の平和な生活があたりまえのことだと思ってはならないと感じた。
実に日本的な分かりやすいドラマ
レビューを見るとある程度の予備知識がないとストーリーを追えないとの意見が多かったが、そうでもない。前半部と後半部に分かれてもなく、陸軍内部のクーデター計画遂行に向けて、その場の葛藤がよく出てました。改めて感じた事は、
1 天皇陛下はやはり、スーパースターなん だ。統帥権の総攬者であったし、今も日本国において絶対的な力があると思う。あの一言で、歴史が変わる、まさに黄門様ののこの印籠が目に入らぬか的な凄さです。
2 そして、国体の護持という概念、これは今日も生き続けている気がしました。諸外国、中国や韓国が拘るのも、結局、戦前と今は国体において変わってないじゃという事だろうと。
3 原田監督も書いてますが、これは実に家族のドラマ。マクロ的な題材を、家族の中に落とし込み、違和感があまり無いのは、実に日本的だと思いました。
4 この当たりからアメリカによる占領政策が日本の現代史のまるでブラックボックス。やはり、自決せず、生きて対米軍、対GHQをやっていれば、今の様にアメリカにこれほどまでに、なめられたマネはされなかったのでは。死んではいけない。
歴史家は、もうそろそろ、このあたりから、占領期に本当は何があったのかを、検証し、公にする責務があるのでは。
そういう意味では、二番煎じだが、今日的なタイミングで、こういう映画を公開する意味があると思う。
5 私が部分的なセリフだけど、一番、面白いなと、思ったのは、東条英機が陛下に奏上する時、サザエに日本を例えた所。殻がなければ、本体は生きられないと東条英機が言おうとすると、陛下は、トルーマンやスターリンは、サザエの中身も外側にも興味なく、サザエごと捨てるはずと、言われた所。国体とは、まさにサザエの殻の部分なんだと、そこがやはり、大事なんだ、東条英機的には。これは、集団や全体と個人との関係性の事で、この東条英機的な国体の概念は、今もキッチリ引き継がれていると思う。
見応えある重厚な演技、青年将校の狂気
2015/08/17、TOHOシネマズららぽーと横浜で鑑賞。
戦争は始めるのは簡単で終わらせるのは難しいとは聞きますが、本当にそうですね。特に陸軍はメンツや国体にこだわり、最後まで本土決戦で勝つつもりでいたのだから恐ろしい。
また、若い兵士というと戦争の犠牲者というイメージがあるが、この映画に出てくる青年将校たちはまだ少年と言ってもいいくらい若いのに国民総玉砕してでも日本民族の誇りを守るべきとか言っていて、更に狂気が増している。若い将校を演じていた俳優さんたちもみな精悍で、いまどきの若者に見えないくらい鬼気迫る演技をしていたと思います。
モックンの天皇だけは浮いてたかなあ、なんか若いんだよね。もう少し線の細い人のほうが良かったかも。
昭和天皇の印象変える
日本は歴史を伝えようと言ってる割には隠されてる部分が多い、結構残虐な歴史をもってる、45年程前のオリジナルはもっと過激だ。綺麗事にしてしまった感があるように感じたか。
元木の天皇はふっとした言葉など、昭和天皇を偲ばせるいい演技だ。
全231件中、141~160件目を表示