「ようやく「怒」の意味がわかった。」怒り あひるさんの映画レビュー(感想・評価)
ようやく「怒」の意味がわかった。
原作既読。
読まずに先入観なしの状態で観たほうが良かったか、と最初は少し後悔したが、映画には役そのものの人物たちが生きていて、いつの間にか引き込まれていた。
そして、原作を読んでもピンと来ていなかった、あの「怒」の意味が、映画を観てようやくわかった。
あれは、山神一也の心の叫びだ。
日雇いの仕事で糊口をしのぐしかない日々の中で起こった勤務地の伝達ミス。
仕事を与える側はミスも笑って済ませられるが、彼にとっては一日の仕事が全て飛んでしまう死活問題だ。
やりきれなさにぐったりしているところで、高価な一戸建てに住む幸せそうな女性に冷たい麦茶を恵まれる――。
自分には一軒家も伴侶も望むべくもない。その諦めや苛立ちとは対極にある余裕を見て、施しを受けたという感覚が彼の感情に火を付けてしまったのだろう。
沖縄に渡ってから、バイトとして働いていた旅館で客の荷物を放り投げていたのもそうだ。
それまで彼を「いい人」だと思っていると唐突に見えるシーンだし、実際原作を読んだ時もなぜだかわからなかったが、映画でようやく理解出来た。
気楽に酒を飲み、美味しいものを食べて騒いでいる若者たちを目の当たりにして、自分はああなれないという苛立ちや悔しさをぶつけていたのだ。
だからと言って、山神の罪に同情の余地はない。
自分ではどうしようもない人生を生きざるを得ない、という条件はあと二人の容疑者も同じだ。
親の借金のせいで住処を追われ、名前を変えながら怯えて生きる男。
孤児として生まれ育ち、家族のいないまま不治の病に蝕まれる男。
彼らと山神を分けるものは何だったのか。
山神は自分を信じた少年少女をあざ笑っていたけれど、もしも殺人を犯す前にあの2人と出会えていたら、何かが変わっただろうか――。
映像の力によって、改めて色々と考えさせられた。
重苦しいし、万人に勧められる映画ではないけど、わたしは観て良かった。