「汚れていた世界の後から」心が叫びたがってるんだ。(2015) Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
汚れていた世界の後から
日本がフリーセックス化社会を黙認しまっている中で若者になってしまった人達。主人公の女子高生は、小学校低学年の頃、ラブホテルをお城だと思って憧れてみていたら、車で出て来たのが父親と知らない女。それがなんだか知らない主人公は台所にいる母親にそれを話してしまう。そして両親は離婚。父親が主人公にお前のせいだと言って別れるところが、最悪の父親で。誰のせいだって父親のせいだろう。汚い時代だから仕方がないアニメのスタートだ。小学生にどう説明すれば良いのか。そしてくだけた時代には妖精まで変なのが現れて、少女の口をきけなくする。話そうとすると腹痛になるらしい。そして女子高生の現在に話が飛び、地域と高校生の交流チームを男女二人ずつで担任が組ませる。そして、携帯のネットを使ってチームの男子の一人にどうして喋れなくなったか事情を説明する。タイトルが長いので略称があるのが幾つもあるスタイルがあるのか?「ここさけ」というとの事。だいたい、怪我をしてぐれている男子が女生徒と一緒になった時に、ラブホテルに付き合えというセリフが、シャレにならない現実である。離婚した主人公の母親は生保レディになって苦労している。男の主人公も、女の主人公とストレートに恋愛する話ではなくて、
別の女性と付き合っていたが別れたというような設定になっている。これも現実のフリーセックス社会が高校にまで蝕んでいるのが作用しているし、男の主人公も両親は離婚している。崩壊している中での物語である。現実が汚れてどうしようもなくなった時代には、こうしたアニメも仕方がないというか、修正を目論んではいるのかも知れないが。だが、男の主人公と別の女は手も触った事がないと言い、男の主人公は純真な真面目な人である。ここら辺に全員が乱倫に感染しているわけでもない事や、乱倫に陥ってしまった人も、克服へのヒントが残されている。男の主人公と同じクラブの男子二人も純情な奴らである。なんだか不倫だ離婚だの1970年代辺りの男女たちが息子や娘たちに恥ずかしいような展開を示して来る。ぐれていた男子高校生も、荒廃した後輩たちも本音を出してしまうと純粋な人達だったのが暴露される。間違いをしでかしてしまった人達も、その心の奥には?母娘の確執も出て来る。四人にチームワークが出来て来る。交流会はミュージカルになる。女性の恋のライバルのような存在は魅力をみせるのが難しい。視聴者に嫌がられたりする。実写の『四月は君の噓』なんかも、広瀬すずの恋のライバルを演じるのは難しい役柄だったと思う。
最初がひどい映画だと思わせてしまうようなのがだんだん純粋な物語構成と、それでも確執が残る部分があるという、現実味もあるが、汚い現実世界を変えていくためには、映画作品もだんだん良くなっていくのは順序である。けっこう砕け気味の世慣れたような担任もこういう時代に高校生をみるには、大事なのかと思わせる。四人の結束からクラス全体の結束へと繋がっていく。これは王道であり、『劇場版YAWARA それゆけ腰抜けキッズ(1992)』などにもみられていた。それを言えば、『木更津キャッツアイ(2002)』だって、『スクールウオーズ(1984)』だって、基本形である。一世代前でも、その時代の作品に触れて、純粋だった人はいたはずで、そういう人は今では夫婦仲良く子育てしていたりするのだろう。そして、四人の中で、三角関係のような片思いが交錯しているのも、不思議に昔からの物語である。三角関係の片思いとは一体何を表しているのだろうか。この作者たちが重んじているのは、『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。』にしても、男女混合のチームがあって、その中で友情と片思いの三角関係があったりしている。「少女は王子様の苦しみには気づいていなかったのでした。」最後をハッピーエンドに変えるという所。知らんが結局、ヌーベルバーグとかアメリカン・ニューシネマなどの破綻して現実的な悲劇の終わり方は、機能しない時代に入ってしまったのかも知れない。作者たちもそうした中で育ってしまった複雑さから、新たな修正を感じていたかも知れない。だがそれは最初の不倫シーンのような、現実から逃避しないで見据えるところから始めなければならなかった時代からの要請であったかも知れない。しかし下級生がキスシーンをしている場面は余計だったが、ごく少数でも現実かも知れない。だが、ラ接触的ラブシーンを入れてしまうクリエーターは下手糞であるだけだ。自然なら結婚出来る年頃なんだから人生は長い中で失敗してしまう。主人公たちのほうが上級生でも手さえ触れない中で、三角関係のもめごとの中で、主人公が陰で聴いていたりする。こういう場面も時々、物語に現れる。そして、言葉にしなければ伝わらないという辛い運命的な話は、むしろ凡庸である。最後の手前はちょっと残念な部分だ。マイナス1だろう。主人公のほうが悔しくて泣きながら走っていて転んでしまう。そこで変な妖精が出てきて、「痛みとは腹でなくて胸なんだよ。青春の痛みだ。封印を破った。」「しゃべるというのは言葉だけじゃない。心のおしゃべりもある。」「だからがっかりしたから封印を解く。」これはどうしたものか、難しいところだ。こうしたネタバレを書く下手くそな私のコメントだ。クラスメートが痴情のもつれなんていうのも現在風だ。ラストまでの構成はスリリング。これも基本形。プロの技だ。ここでコメントを辞めるのが素人の技だ。叫んだりもしたくない。じゃ、世代が違っていても教わっていない事になってしまうか。