「オタクに対する警告か」ゼロの未来 parsifal3745さんの映画レビュー(感想・評価)
オタクに対する警告か
かなり刺激的な作品。現代社会を基に、未来社会を予見したかのような作品。巨大なAIが人間の社会の隅々にまで浸透し、個々人を適切に管理しようとしている。より多くの利益を生み出すために、AIによって様々な職業が作られ、あてがわれ、目標時間を示されゲームをクリアするかのように人々は駆り立てられている。まるで、我々を取り巻く現代社会を風刺しているかのよう。コーエンが行うゲーム自体は、プログラムされたものを、こなしているだけ。ゲームと同じ創造性などは問われていない。
コーエンは、修道院の廃墟に住み生きる意味ややりがいのある仕事を与えてくれる電話を待っている。周囲の人は、マニュアルやプログラム通りに動いていて、作為を持っている人たちであり、彼の問いに対して意味を持たない人たち。だから付き合わない。そこで、彼に対してマンコム社から大きな仕事、ゼローTが与えられる。ゼロの確率が、100%であると明らかにするかのような仕事のよう。詳しい説明もないことから、無意味な匂いがした。時間内に複雑な数式のパズルのブロックを当てはめ続けるもの。自室で行っても良い仕事だ。自室は、元は修道院でキリスト像がかけられているが、頭部は監視カメラに置き換えられている。過去において人生に意味を与えていた宗教は、AIに置き換えられているということだ。
コーエンを気にかけてくれる若い煽情的なベインズリーも、AIによって指示され仕事をしている。実際に接触して、情欲を想起させて、その後は仮想空間で疑似的な男女関係によって癒しを与える仕事。しかし、不器用で純粋なコーエンによって、心を動かされたのか、すっぴんになって彼の修道院を訪問し、どこか知らない所に二人で逃げようと誘うが、彼は自分が信じる使命を優先し彼女の誘いを断った。長い間の洗脳というのは、なかなか解けないのだ。現代の男が、女性よりもゲームやコンピューター等に夢中になっていることへの皮肉か。コーエンが孤独なのに、我々という言葉にこだわるのは、自分がやっていることが、人類にとって意味があると信じているからなのだろう。
AI管理者であるマネジメントの息子が派遣され、マンコム社のシステムを暴露しながら、病んでしまった彼を救い、ミッションを続けさせようとする。ネズミに餌を与えるのが、何かを意味しているのだろうがわからなかった。コーエンが、彼を時間通りに返すというマンコム社のルールを破ったために、マンコム社からのゼローTのプロジェクトは中止、周囲の人たちも解雇される。
ベンズリーへのアクセスアイテムを使って、自分とAIを接続させたら、仮想空間内にマネジメントが出てきて、コーエンの部屋の監視動画が映る。コーエンは神経ネットの一部でしかないこと、マネジメントは、人生の目的に対する答えは持たないこと、自分は真実を求めるただの人間だと告げる。そして、「真実は、封じ込められた混沌(カオス)である。終末は始まりと同じ混沌。無を追求したい理由は、混沌=無秩序とは商機であり、金になる」からと告げる。そして、コーエンに対しては、「神を信じたがる人間は、より崇高な目的を求めるあまり、人生が無意味に思えてしまう。そして、全てが永遠への通過点でしかなくなる。コーエンが選ばれた理由は、信念の人であり、商売とは無縁だったから。」商機を広げる何かを提供してくれるかもしれなかったからか。
コーエンは、電話が意味のある言葉を伝えるのを待って、無意味な人生を送った。コーエンのマンコム社での存在意義はなくなり、彼へのプロジェクトは終了。彼は仮想空間でカオスであるブラックホールへ身を投げる。ベンズリーと行った仮想空間の海岸で一人、夕陽を見ながら平穏が与えられる。
人生の意味は、自分で勝ち取らなければならないって言われているかのよう。AIやアプリ、商売をする人たちに頼ってしまってはダメだよって。でも、これから先の未来は、どこからが自分の判断で、どこからがプログラムやマニュアルなのかが難しい社会になりそう。いや、もうなっているのかも。世界系の映画やらアニメは、自分のやっていることが世界の救済に繋がるって話になるけれど、それに対する皮肉、アンチテーゼを感じた。そんなものはないんだよって。
コーエンは、中年に差し掛かった冴えないオッサン、ベンズリーがちょっとおバカっぽいけれど、情け深く、お色気たっぷりで、その取り合わせがオタクの世界に合っていた。