「ワン・イズ・ザ・ロンリエスト・ナンバー」ゼロの未来 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
ワン・イズ・ザ・ロンリエスト・ナンバー
『未来世紀ブラジル』『フィッシャー・キング』
『12モンキーズ』の鬼才テリー・ギリアム監督最新作。
いつも考えるのは、ギリアム監督のファンタジー映画は、
ファンタジー映画でありながら、観る者に現実逃避を許さないということ。
果たして本作もそう。
毒々しいほどにポップでカラフルな本作の未来世界は、
自己実現さえもメディアに依存する2010年代と地続きの悪夢的未来だった。
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ハタから見ればまるでTVゲームのような、
何の仕事かも分からない作業に没頭する主人公コーエン。
情報過多社会。監視社会。社会性昆虫的社会。
自分はユニークだ、唯一無二の存在だと思っていたけど、
所詮は大きな組織の目的の為に管理され動かされる、
数十億の働き蜂の中の一匹に過ぎない。
コーエンはそんな不安を抱いている。
ヒロインであるベインスリーと親密になる前、
常に苛立っているように見える彼が唯一
明るい表情を浮かべるのは、黒電話が鳴る瞬間だった。
彼は電話が鳴るのを待っている。
人生の意味が他の誰かから与えられるのを待っている。
自分の中からそれを探し求めようともせずに。
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彼はバーチャルな世界に依存しきっている。
そうしてバーチャルなものに囲まれ続ける内、
現実を信じられなくなる。すべてが嘘に見えてくる。
いや違う。すべてが嘘の方が楽になってくる。
主人公がベインスリーを拒絶する終盤のシーン。
主人公は彼女の言葉が真実だと信じたがっていたと思う。
それどころか、真実だと気付いてさえいたかもしれない。
だけど彼は彼女の涙ながらの懇願を拒絶した。
裏切られるのが怖ければ、最初から信じない方が楽だから。
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映画のラスト、電脳世界に閉じ込められ、
ひとり充たされる日々を送る事となった主人公。
ひとりでいれば、太陽だって彼のもの。
自由にできないものはないし、彼を傷付けるものもなくなった。
きっと彼はあの結末で幸福なのだろう。
けど、言わせてほしい。
あれは本当に残酷なラストだ。
自分はちっぽけな人間だという葛藤を抱えていても、
愛する人に裏切られて傷付くことがあっても、
僕は彼に、現実を生きて欲しかった。
ひとりぼっちは楽だけど、ひとりぼっちは自分がこの世に
存在するかもわからなくなるくらいに寂しいものだから。
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映画で語られる“ゼロの定理”――
世界が無から始まったなら、世界が存在する理由も無い。
よって、この世に存在するもの総てに意味など無い、という論理。
そうなのだろうか?
もしも世界の起源がゼロだとしても、
それで人生の価値もゼロだと言えるのか?
世界の成り立ちからでなく、他人から与えられた物からでもなく 、
自身の心の内から人生の価値を見出だすことは出来ないのか?
0と1の世界の外にこそそれはあると信じたい。
ひたすら孤独に生きる事もひとつの選択肢ではあろうが、
僕自身はそれを『生きる』と呼びたくはない。
<2015.05.16鑑賞>
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余談:
自分はサザンオールスターズの大ファンなのだけど、
(というかサザン以外はほとんど洋楽ばっか聴いてる)
彼らが1997年にリリースした『01MESSENGER 電子狂の詩』
の風刺的歌詞がこの映画にあまりにドンピシャで、鑑賞中に驚いた。
ここで抜粋するのはやめるが、
興味のある方が居られれば、歌詞検索されたし。
20年近く前の曲がハマるなんて、流石サザンだぜッ!(←と全肯定する信者)