ゼロの未来 : 映画評論・批評
2015年5月12日更新
2015年5月16日よりYEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
テリー・ギリアムが秋葉原にインスパイアされて描く新たな近未来映画
カラフルで奇抜なファッションの人々とコンパクトカーが慌ただしく行き交い、デジタル広告があふれかえる猥雑な街並み。テリー・ギリアムが初来日時に衝撃を受けたという秋葉原にインスパイアされた近未来の都市風景から始まる「ゼロの未来」は、世界有数のIT企業に勤める天才プログラマーの物語だ。
主人公コーエンは勤務先の代表取締役から直々に「“ゼロの定理”を解読せよ」という重要ミッションを下されるが、外出が嫌いで人付き合いが苦手という複数の“恐怖症持ち”である彼は精神的に壊れかけている。自分はごくありふれた存在で、会社の消耗品にすぎないと気づいてしまったコーエンは、生きる意味を見失っているのだ。ギリアム好きの映画ファンならば序盤を観ただけで、目敏く察するだろう。これは“国家”を“IT企業”に置き換え、管理&支配される人間の疎外感を描いた「未来世紀ブラジル」のアップデート・バージョンなのだと。
道化的なキャラクターからアナログなガジェット、主人公の住居兼オフィスである教会の廃墟まで、画面に映るものすべてがギリアム的なカオスに満ちている。複雑怪奇な3Dパズルゲーム風の解析作業に没頭し、矢継ぎ早に繰り出されるコンピュータの指示にストレスを暴発させるコーエンの日常は、滑稽さと狂気が背中合わせ。“ゼロの定理”=“すべてが無である”という解きたくもない数式と格闘する主人公を、スキンヘッドのクリストフ・ワルツが完璧なはまり役で演じ、ひと目では誰かわからぬほどの変わり果てた姿で登場するティルダ・スウィントンやマット・デイモンも負けじと怪演を披露する。
教会のキリスト像の頭部に監視カメラが据えられ、IT企業が神のごとく支配する世界で、ちっぽけな人間はいかにテクノロジーの呪縛から逃れ、自分の存在意義を見出せるのか。ゼロ→虚無→ブラックホールとイメージを奇想天外なまでに肥大化させ、その根源的な問いの答えをビジュアル化したクライマックスは、まさにギリアムの真骨頂。カレン・ソウサによるレディオヘッドのカバーソング「Creep」が流れる叙情的なエンディングで、鬼才の人間に対する“残酷な優しさ”を感じ取ってほしい。
(高橋諭治)