あの日のように抱きしめて : 映画評論・批評
2015年8月11日更新
2015年8月15日よりBunkamuraル・シネマほかにてロードショー
ナチスに引き裂かれた夫婦の愛の復活をめぐる心理サスペンス
ヒッチコックの「めまい」と強制収容所の生還ストーリーをブレンドする。クリスティアン・ベッツォルト監督によれば、それが映画の出発点だとか。確かに、妻は強制収容所で死んだと思い込んでいる男が、以前と異なる風貌で現れた妻に「妻のレプリカ」を演じさせる筋書きは、「めまい」と似ている。が、受ける印象が違うのは、この物語が女性側の視点から描かれているからだろう。顔とアイデンティティを失った女の真実探究の要素を持つ物語は、「めまい」よりもジャプリゾ原作の「シンデレラの罠」に近いかもしれない。
強制収容所で顔と心に傷を負ったヒロインのネリー(ニーナ・ホス)は、奇跡の生還後に整形手術を受けるとき元の顔に戻りたいと言う。新しい自分に生まれ変わるのではなく、ナチスに破壊された幸福な人生を取り戻すことが彼女の望みなのだ。だから、彼女をネリーだと認識できない夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)からの「相続のためにネリーの替え玉になって」というとんでもないオファーも引き受ける。それが、幸せだったころに戻る近道だと思ったからだ。「めまい」で過去の愛に執着するのは男性だが、この映画では女性のネリーのオブセッションがドラマを動かしていく。
そのドラマとは、愛の復活をめぐる心理サスペンスだ。人間は信じたいことを信じるものだが、ここでは、妻の死を確信するジョニーの心の闇と、彼に再び妻として愛されることを願うネリーの希望の光が、緊迫したせめぎあいを生み出す。「私の正体に気づいて」とアピールするネリーと、妻への罪悪感からかレプリカとも視線を合わせようとしないジョニー。両者の攻防戦が、たまらなくスリリングだ。
原題の「フェニックス(不死鳥)」はジョニーが勤めるクラブの店名だが、強制収容所の死の淵から蘇ったネリーを表す言葉でもある。さらに、終幕でネリーは現実という業火の中から再度蘇りを果たす。その場面のニーナ・ホスの凛とした後ろ姿にしびれた。
(矢崎由紀子)