彼は秘密の女ともだち : 映画評論・批評
2015年8月4日更新
2015年8月8日よりシネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
世間一般の倫理から逸脱して生きるすべての人々に送り届けるアンセム
妻のローラに先立たれた夫のダヴィッドが、なぜか女装して妻が残していった幼子にミルクをあげている。偶然、それを目撃して凍り付くローラの親友、クレールに対し、ダヴィッドは涙ながらに「ローラを求めるあまりやってしまった」と説明するけれど、それは言い訳に過ぎない。本当を言うと、彼は子供の頃からこっそり母親の下着を身につけるのが好きな、生来の異性装者なのだった。
初期の短編「サマードレス」(96)で、青年の曖昧なセクシュアリティが貸してもらった花柄のワンピースを着たことからゲイ方向にシフトしていく様子を、独特の清々しいタッチで描いてみせたフランソワ・オゾン。同じ頃、オゾンがルース・レンデル著の短編「女ともだち」を基に綴り放置していた脚本が、約20年後、ようやく映画化された本作でも、テーマはグロテスクだが軽やかなタッチは変わらず健在だ。男でいる限り我慢しなくてはいけない自分らしい生き方を、女装することで傷つきながらも実現していく主人公の道程は、終始エスプリに富んでいる。面白いのは、装うことで開花していくヴィルジニアことダヴィッドに影響され、ハンサムな夫、ジルの貞淑な妻だったはずのクレールまでもが、自分の中の女を改めて意識し、封印していた秘密の本能に目覚めていくところ。お互いに最愛の人を失った男女の"喪失"から始まる物語が、やがて、あるべき未来を"取得"していく物語へと転じるプロセスが、オゾン脚本の秀逸な点だ。
これは、自らゲイであることを公表し、度々自作のテーマにもして来たオゾンが、世間一般の倫理から逸脱して生きるすべての人々に送り届けるアンセム。それが喉ごし良く受け容れられるのは、ヴィルジニアに扮するロマン・デュリスが、あくまでも男性的なラインを残しつつ、物腰で女らしさを表現し尽くしているから。女性服の着こなしは一気に上達し、ラストシーンでは遂にストレッチデニムに黒のヒールという女性にしかできないマスキュリンな装いをモノにしてしまっている。女装の男優が一瞬女優に変化するマジカルな瞬間を、是非お見逃しなく!
(清藤秀人)