トイ・ストーリー4のレビュー・感想・評価
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おもちゃ達の新たな物語に感動です。
3の終わり方は完璧だった。
だから、そこからどんな物語が続いていくのかと思いましたが。
まさかの展開、そしてウッディの決断にはとても驚いたけれど、ウッディらしくもあると感じました。
いつも仲間を引っ張り、助けてきた頼れる存在だったけれど、ボニーのおもちゃになってからは、いわゆる二軍・三軍のおもちゃになりつつあった。
ウッディは、アンディと遊んだたくさんの思い出から、本当は前に進めていなかったのかもしれません。
新しい持ち主、ボニーとの関係にも、どこかアンディを重ねていた。
そして、おもちゃって何?
ウッディ自身が迷いそして見つけた答え。
トイストーリーファンとして、心から応援したい。
子供はおもちゃを飽きてしまうし、無くすことも多い。
ボニーな無くしたと思われるであろうウッディは、もっと広い世界へと飛び立っていく。
彼の物語はまだ続いていくのだと思ったら、とても嬉しいエンディングだと思う。
子供は1人じゃない。
世界は広い。
無限の彼方へ、さぁ行こう!!
驚き
これ 子供向け映画なん?
よーこんなストーリー考えつくなー
驚きと感動やわ
ウッディの成長物語でもあり、、、
いろんな事、考えてしまうわ。
正直、、もっかい観て
ちゃんと理解したい思てます。
(深いメッセージが有るような無いような)
(大人になってウルトラセブンの良さが分かって、
その面白さに気付いたし。)
うん。映画良かった。
4 もアリやな!あの終わり方も良いと思う。
(3 観た時は泣いたもんなー)
自分の息子の成長まで潰された気分。
14歳の息子と観に行きました。
息子が3歳の時、トイストーリーのDVDを観て、おもちゃが動いているかもしれないと言う夢を持ち、おもちゃを大切にする様になりました。
トイストーリー2を観て、ウッディの友達を思う大切さを学び、ジェシーやブルズアイも一緒に大切に、自分の友達も大切にする様になりました。
トイストーリー3を観て、大人になった時、ウッディやバズ、その他のおもちゃを手放す気持ちを目の当たりにして、泣きながら自分はおもちゃを大切にするからと言いました。
14歳になった息子は、おもちゃでは遊ばなくなりましたが、未だに10年以上経つおもちゃ達は、傷1つ無く、大切にしまっています。
アンディの様に、ウッディを肩車しながら走り回ったり、映画の様なワンシーンを段ボールで作って遊んだり、大切に扱って来たのです。
そして、いつか、自分の家庭を持って、子供が生まれた時に、DVDを観せて、おもちゃを大切にする様になったら、自分の名前の書いてあるおもちゃ達を渡そうとしていたんです。
今回、トイストーリー4 を観た息子の感想は、「良かったと思う」と言いました。
何が良かったかと聞いたら、「ボニーは、ウッディを大切にしなかったから」と言いました。
小さな頃から、トイストーリーが大好きで、アニメの世界を、もしかしたら、自分の世界でも起きているかもしれないと言う夢を全て壊したんだなとその一言に尽きました。
誰しも、大人になる事は止められないけれど、誰しもがこのトイストーリーをみれば、幼かった自分の目線で観たと思うのです。
大人の目線で描かれ過ぎていて、夢や思い出までが壊された気分になりました。
大人目線から見たら、きっとこのストーリーは納得出来ると思います。
でも、子供の目線で観た時、今までのトイストーリーから教えてもらった夢は無くなったんだと思いました。
それでも、14歳になった息子は、子供の目線と大人の目線で物事が判断出来る年になり、結果として、声を無くしたウッディにショックを受けたけれど、子供は1人じゃないと言ったボーの言葉で、ウッディは自由になったと思うと言った息子の気持ちを考えると、傷を残した結果だったんだなと思いました。
母親の目線から言わせてもらうと、3歳の時からの思い出は、息子は忘れてしまうけれど、親としては一コマ一コマ、全て覚えているんです。
息子が幼いなりに、必死で大切にしていた姿も、トイストーリー4を観て、思い出と一緒に潰された気分でした。
大人目線は、いらないんです。
子供に夢を与えて来たトイストーリーだったのに、全てが終わった映画でした。
とても残念です。
ウッディの精神
ウッディからの子ども達への愛、おもちゃ達への愛が深すぎます。
感動しました。最高のラストでした。
1から3で描かれていた事は、1人の子どもとおもちゃ達、1つの子供部屋の中での、子どもとおもちゃの最高の絆のお話。
そして4では、ウッディのラストの決断により、これからは1から3に描かれていたトイストーリーのあの幸せが、ウッディの手によって、無数の子ども達と、無数のおもちゃ達へと、無限にこの世界に広がっていくその可能性。
4のラストに描かれていたのは、ウッディの子ども達とおもちゃ達への深く大きな愛と、無限の可能性を持ったウッディのおもちゃとしての新たな役割でした。
それは、子どもに愛されたいと願うおもちゃ達と、おもちゃを必要とする子ども達とを、自分が裏方となり繋いであげて、おもちゃと子ども達、その双方を無数に笑顔にしてあげること。
そうやって、無限の子ども達と無限のおもちゃ達を無限に幸せにしていくこと。
『トイストーリー』のその幸せを、どこまでもこの世界に無限に広げていくこと。
です。
ギャビーと迷子の女の子のあの出会いから、悲しいおもちゃと悲しい子どもの双方を笑顔にできる、そんな自分の役割がこの世界にはあるのではと見出したウッディ。
それはボニーの子供部屋のクローゼットに眠っていては、決して出来ないこと。
自分にはあの子供部屋で求められる仕事はもうないのかもしれない。
そんな時に自分がおもちゃとしてできる新たな可能性を見つけた。
だからウッディは、大切な持ち主や大切な仲間達と離れることになろうとも、あの選択をするのです。
もっと多くの子ども達とおもちゃ達を、自分の力で幸せにするために。
ウッディは子供部屋での子どもとおもちゃとのその全てが大好きで大好きで、何よりも大切な宝物だと思っているからこそ
その素晴らしい体験を、沢山のおもちゃ達にも、沢山の子ども達にも、最高のあの幸せを体験してもらいたいのです。
その場所とその仲間たちが大好きだからこそ、信じているからこそ、そこを巣立てっいく決心ができるのです。
単にボーといたいだけじゃなく、単に外の世界への憧れだけじゃなく、自由に生きたいだけじゃなく
ウッディにとって1番大切なのは、自分がおもちゃとして果たせる『子ども達を笑顔にできる仕事』その新たな大きな自分の役割を、そこに見つけられたことではないでしょうか。
しかもそれは悲しいおもちゃ達も幸せにできること。
1から3のトイストーリーに描かれていたことが、最高の幸せだと誰より深く知っているからこそ、ウッディは、今度は自分が繋ぎ役となって、沢山の子ども達に、沢山のおもちゃ達に、どこまでも『トイストーリー』の幸せを、無限に広げていくのです。。
という4のラストだと思いました。
ウッディの手によって、トイストーリーの最高の幸せが、いろんな子どもとおもちゃ達の元へ、今度は届いていくのです。
沢山の子供部屋での『トイストーリー』が、ウッディの手によって、この世界に無限に広がっていくのです。
ウッディの深すぎる愛を感じる、最高のストーリーでした。
1から3に描かれていた最高のトイストーリーに、誰よりも強い思い入れがあるからこそ、より沢山の子ども達とおもちゃ達の、笑顔を作っていく役割を、これからのウッディは果たしていくという。
例え特定の持ち主の子どもがいなくても、特定の子供部屋にいなくても、大切な仲間達と離れることになっても、自分にはおもちゃとして、1番大切な役割を果たしていく事が出来ると思ったのでは。
『子どものそばにいること』それがおもちゃとして一番大切だと思っていたけれど、もっと奥にある、おもちゃとしての自分の根本的な信念に気付いたウッディ。
それは『子どもを笑顔にしてあげること』。
それがおもちゃにとって1番大切な仕事で、そしてそれはおもちゃとして生まれてきた1番の喜び。
工場で生まれたおもちゃでも、手作りのおもちゃであっても、どんなおもちゃでもそれは同じ。
おもちゃとして必要とされていない環境にじっと止まっているよりも、外にでる事で、沢山の子ども達とおもちゃ達を、両方笑顔にしてあげる仕事が、自分には出来るのだと。
それを4の中でウッディは見つけたのです。
ウッディの精神が詰まった素晴らしい道です。
バズもウッディの事は誰よりも分かっているからこそ、新たな役割と新たな場所を見出した、そんなウッディの事を応援するのです。
To infinite, end beyond.
無限の彼方へさあ行くぞ
ここに今回のトイストーリーの全てが詰まっています。
子ども達の事も、仲間達の事も、心から愛し誰よりも大切に思っているウッディだからこそ、その場所を巣立ってでも、もっと多くの笑顔を作る役割を、自分が果たしていこうと。
他ならぬウッディの手によって、トイストーリーの幸せが無限に広がっていく未来。
最高すぎます。
トイストーリーファンで本当に良かったです。
ウッディは仲間達を捨てて自由にボーと生きていくという、そういう選択をしたのではありません。
クローゼットに眠るよりも、おもちゃとして無数の子ども達を笑顔にできる方法を、外の世界に見つけたのです。
4は、1から3の価値観を覆すものでも全くありません。
むしろ1から3の価値観を、誰よりも心底素晴らしく誇らしく最高のものだと思っているからこそ、これからはもっと多くの子ども達に、もっと多くのおもちゃ達に、無限のトイストーリーを作っていってもらいたいのです。
その役割を担うのがウッディ。
持ち主の子どもとの絆、仲間のおもちゃ達との絆、その大切さ、その素晴らしさを、誰よりも深く深く知っているウッディだからこそできた選択。
バズ達の進む道もウッディの進む道も、どちらが良いとかではなく、どちらも両方、子どもを笑顔にするための素晴らしい仕事。
ウッディやバズ達はどこにいてもその絆に変わりはなく、その根本にある『おもちゃの力で子どもを笑顔にしたい』という、その心は、ウッディもバズもどこにいても同じです。
例えそばにいられなくても、離れてしまっても、おもちゃとして生きていくのに1番大切なその信念があれば、その可能性は、どこにいても無限に広がっているのだと。
トイストーリーの紡ぐ無限の可能性とその幸せを示してくれた4でした。
そしてこれは勝手な憶測ですが、この4は、ピクサーを去ったラセターやアンクリッチ氏へ捧ぐ一面もあるのでは。
この物語のウッディは、ラセター
バズ達おもちゃ仲間は、ピクサーのスタッフ
子供部屋は、ピクサースタジオ
そう思っても見れる内容で、そう思うとより一層感動します。
そこでの全てが大好きで何よりも大切な存在で、仲間達のことを心底信じているからこそ、そこを巣立って、もっと先へ進めていけるのですよね。。
全てのおもちゃ達と子ども達と、そして恐らくはラセターやアンクリッチ氏への、ピクサーからの愛と感謝の気持ちが、4には沢山詰まっています。
だからこその4で、だからこその結末でした。
トイストーリー最高です。
いつもレビューは見る専門ですが、トイストーリーが大好きだからと低評価をつけられている方がいるのはちょっと寂しいと思い、トイストーリーファンの1つの感想として書きました。
より広い視点から、子ども達とそしておもちゃ達の両方の幸せを、誰よりも強く願って生きている
そんなウッディの大きな精神、大きな愛が、沢山の人へ届きますように。
一つの幕開け
トイストーリーは長編シリーズ3作はもちろん
短編2作品も含め全作品を鑑賞してきました。
「おもちゃは子供のために」というシンプルな
メッセージ性は全作品を通して描かれてきたもの。
そしておもちゃは親以上に子供を見守る存在だったこと。
ここが最も重要でアンディ編では父親は出てこない。
つまりウッディがアンディの父親であるというメタファーだった。
時系列ではトイストーリー2以後のボーが
いなくなった話から始まり、3のボニー家での生活へ続く。
冒頭、1〜3でのウッディたちとアンディの生活から
ボニーへのバトンタッチも泣ける演出の一つ。
2の頃から持ち主不在のおもちゃたちの話は
それ以後ずっと描かれ続けてきました。
今作ではその内容に一つのピリオドを打ち
新たな幕開けを表した作品とも言える。
子は巣立つ時が来る…
いずれ自分の元から離れ好きなものを選んでいく。
今作は子供向けと言うより、一緒に鑑賞に来るであろう
親(孫を持つ親)に向けて作られていた気がしました。
ウッディにとっての子アンディは巣立った。
彼が託したボニーは言うなれば孫。
ウッディは祖父としての立場ながらフォーキーという
小さな赤ん坊を見守るがその役目は本来、
ボニーが自身の成長のために必要な行為。
そのため、ウッディがボニーの元を去る決断をしたのは
孫の成長はウッディが関与してはいけないというメタファーなのかなと。
またおもちゃの状態で子供は心が満たされないということ。
フォーキーはゴミから作られるがボーの心を満たすに反して
ギャビー・ギャビーは古いおもちゃながらも修復の末、
状態は完璧になるも残念ながら、子供の心を満たすことはできなかった。
(物語の展開するうち、ある子供の心を満たすようになる。)
劇場で鑑賞できるうちに是非お近くのIMAXで体感して頂きたい。
4作目にしてこのレベル!
続編モノの4作目。
リブートや新三部作ならともかく、単純な4作目って成功のためしが無い。
が、さすがピクサー。期待を裏切らず。
新たな子供のオモチャとなったウッディ達が、仲間に加わったフォーキーがひょんなことからはぐれてしまったため、彼を救うためにアンティークショップや移動遊園地を縦横無尽に大活躍。
言葉にするとそれまでの話だが、一つ一つのプロットが素晴らしい!
その素晴らしい点をいくつか。
一つ目は過去の作品にモヤモヤポイントを解消。
1作目では仲間に加わったバズに嫉妬し、はっきり言ってイヤな奴だったウッディ。
でも理由はさておき、子供のお気に入りになったフォーキーの為に献身的な活躍を見せる。
また、2作目、3作目では決して
改心しなかった悪役には多少なりとも後味の悪さがあったが、今回はきっかけは別として、最後は一人の少女について行くことを決意。涙を誘う。
二つ目はキャラクター達のキャラ立ちの素晴らしさ。
フォーキー、モフモフコンビ、スタントマンなど次から次へと笑いを誘い飽きさせない。
また古参のバズも適切な笑いや活躍をバランスよく見せそれがラストシーンの感動に繋がる。これが新キャラクターに埋もれバズの活躍が無ければラストシーンもとってつけたものに。
三つ目はスピード感。3作目は中盤で、ある場所に閉じ込められ閉塞感あり。
でも今回はウッディが中盤のアンティークショップからアッサリ脱出するなど、展開が早い。
最近は大作でありながら一人の脚本家や監督の独り善がり的なストーリーに対してだれも事前に突っ込まなかったの?と色々思うところがあったので彼らの組織としてのプロ意識を垣間見た気がした。
最後にオモチャとゴミの違いや
違いが無いことを語る場面では社会の人種や民族、性別の差別や区別のメタファーとなり、考えてさせるところが流石かと。女性キャラクターの活躍も含め説教くさく無く語れるのがエンターテインメント作品の素晴らしさでしょう。
おもちゃたちの望みって・・
フォーキーやダッキー&バニー、カブーンとか、愉快なキャラクターもたくさん出てきて楽しませてもらったけど、全体的に印象が薄いかなぁ。ストーリーが今までの作品と似たような感じだった気が、、以前の作品にそこまで詳しいわけじゃないけど 笑
出てきて最後にむりくりウッディの決断、別れをねじ込んだけど、その決断はどうなんでしょう?過去の作品含めて、ウッディが貫き通してきた「おもちゃは、子どもたちのために」を簡単に覆す展開。エンドロール中に、フォローのようなシーンはあったけど、決めたシーンは明らかに子どもたちよりも、ボーとの刺激ある未来を取った形だったよね?「無限の世界が広がってる!」グローバル社会で最近よく聞く言葉だけど、おもちゃが?世界に羽ばたく?どういう世界観?
最初に挙げたキャラのおかげで、楽しいシーンが多くあったけど、逆にいうとそれ以外のキャラクターは、イマイチ。バズはほとんど確約しないし、ボーは性格の悪さが出てたし、それ以外はもはや空気・・。ギャビーギャビーとお供はまあ良かったかな。
色々な道がある?
最後の「無限の彼方…」は良かったですね!
最後まで持主に忠実であって欲しいというのは、特に日本人が持っている根本の部分だけに、日米で評価が分かれたのでしょう。3の最後の方が感動したのは確か…
けど、3の後にボニーに戻る様な話では、4を作る意味はないと思います。4はウッディの成長のお話…
立派なトイストーリー ワールドの話だと感じました。
全てにおいて微妙
「4」単体で見た場合にはそこまで悪くは無い(良くもない)作品ですが、普通に3からの続編なのでかなり問題。
・アンディ(とボニー)が、言及しないだけで、まるで呪いの様に扱われている
ウッディがやけにアンディへの未練が長く描かれており、また「子供を喜ばせるオモチャ」が理想であると考えているウッディが、ラストの展開で「アンディから託された一番大事なオモチャ」であるのに「新しい持ち主の元を去ってしまう」ということをしてしまっている。よりによってウッディが。
・ウッディに辛辣
結局は自分のやる事は押し通すのだが、作中では大抵の提案や行動はまず否定される。逆に押し通させることでウッディの判断力が消えてしまっている。
・やたらと多いドッキリ描写
1回だけでなく10回近くやられるのでくどい。ただでさえ要らない要素なのだが…
・全体的に陰鬱
過去作では豊富だったギャグもかなり控えめで盛り上がりにくい。
・年代を重ねすぎてモデリングに違和感
特に回想のアンディとボー。幼少期アンディは最近のピクサー作品のモデリングとなっており、帽子が無かったら誰かわからないぐらい。
ボーも新たに作り直したのか、形まで変わっている。付け替えタイプでも無さそうだが。
・空気オモチャが多い
ボニー家、スリンキー、ハム、ポテトヘッドは一言二言喋る程度で活躍どころが無い。
作品単体では「クソ映画ではないが微妙」
続編としては「最悪」
評価は賛否両論らしいですが、個人的には賛を見つけることは難しかったです。
今までとは方向性は違ったもののよかった。
フォーキーがコミカルで可愛かった。
これまではみんなのために自分を犠牲にすることも多かったがウッディの最後の決断は自分の幸せを考えた行動だったので私的にはハッピーエンドだったと思う。
物語の安楽死
これ以上何を語ることがあるのだろう… というぐらい完璧に終わった前作にまさかの続きが!
という事で 不安が9割ぐらいの気持ちで見に行った。
感想としては なんという決断を下しやがる!ピクサーよ! という感じ
シリーズに思い入れのある自分のような人間(恐らく自分はアンディと完全に同い年笑)がみんな思っていた 「シリーズに泥を塗るような出来は勘弁してくれよ 」という思いに対して作り手から
ウッディのオモチャとしての役割
そして
トイストーリーシリーズそのものの役割
この二つがもう終わったということを宣言されている
1〜3で語った話をアンディからボニーに持ち主を写してもう一周させる つまり 現役バリバリのオモチャとしてのウッディの物語をまだ継続させるという脚本であれば当然今作のラストのウッディの選択はあり得ないが、見る側も そして当然作り手も ウッディのオモチャとしての物語はもう終わっている という認識はある。
いわば、 語るべき物語が無い 状態で、それでも何かを語るのであれば それはもう 現役引退宣言 以外ないだろう。
そんなこと思ってるならそもそも作らなきゃ良いじゃん。 というツッコミもあるだろうけど、作り手達は もしそのこのシリーズでそのメッセージを発信するならそれは生身の人間などではなく ウッディ 以外あり得ない とおもったんじゃなかろうか。
つまり今作は ウッディによる現役引退会見 だったのだ。
晩節を汚す前に現役を退く というウッディ選手の決断はもちろん納得はいくし、シリーズにおける今作の役割としても間違ってはいない。
ただ、彼らとの別れがあんなに急ではスンナリとは飲み込めないのがやはりシリーズのファンというものだろう。 なんだか今でも頭がボッーとしている。
映画全体のまとまりとしては、綺麗な部分と え? という部分が個人的には混ざっていた。
特に①ボーへの恋愛感情とウッディの現役オモチャ引退の流れが混同されていたこと②フォーキー自体のキャラとしての立ち位置がテーマの中で浮いていたように感じた事 はけっこう気になった。
友達が出来ないボニーが作ったのがフォーキーなら当然、フォーキーの成長とそれに合わせてのボニーの成長(友達ができるとか)は描くべきだろう。
というか一年になってもまた新入りを作っているボニーちゃん。 家の外ではだいぶ引っ込み思案なのね…
トイストーリー3でも 一瞬人見知り描写あったけど。
悪役の位置付けはこのシリーズの中でもまだ上手くハマっている方では無いだろうか。
ピクサーは多くの場合悪役の処理がぎこちないのでこれからの作品も悪役はこのぐらいの 救いのあるバランス に収めたほうがいいんじゃ無いだろうか。
あとこれは完全なる想像だが、 今作のメッセージは アンチスターウォーズ化 という意思表明なような気がしてならない。 語るべき物語が無いのであれば、もう一回宇宙の平和を乱して同じ話をやり直せば良いじゃん という現在のスターウォーズの状態(映画が面白い・面白く無いは完全に別問題として)に対して、もうジェダイとかフォースの話は終わりね! と明確に宣言するようなもんである。
今作はウッディをみんなの元から去らせることで、いわばシリーズを 安楽死 させたのだ。
もしまだシリーズが続くとしたらそれは現役引退後の 後進育成監督業 としてのウッディの物語なので、今までのシリーズとは全く別枠のストーリーになるのかな?
というか、もう流石にいいだろう! これ以上は笑
残念
小学生の頃からトイストーリーの大ファンで、1.2.3全部の作品を何回も見てきました。
3の終わり方があまりにも素敵すぎてこれを超えてくるのは厳しいと思いながらも上映を楽しみにして公開日に見に行ってきました。
僕の感想を言わせてもらうと正直ガッカリでした。
ストーリーの構成はとても良かったです。相変わらずのウッディの仲間を思いやる気持ち、持ち主の子供を幸せにするために行動する勇気。ウッディのその心が大好きで、途中まで少年の頃に戻った気で見ていました。
ですが肝心のラストシーン。なぜそっちへ行ってしまったのか?思わず、それは違うだろと呟いてしまいました。アンディはあんなことを望んじゃいないはず。おもちゃの世界だからそんなことわかるわけないっていうかもしれませんが、3のラストでアンディはボニーにウッディを渡すのをためらいました。なぜならウッディと共に大学へ行き一緒に過ごすつもりだったから。そんなにだいすきなおもちゃを手放し、自分の気持ちを押し殺してボニーへウッディを託しました。だからこそウッディはボニーのとこへいつづけなければならなかった。例え今までのように遊ばれなくなってきてても。たしかにウッディの気持ちもわかります。今までアンディにあれだけ遊んでもらってきたが、ボニーのとこではあまり遊ばれなくなっていた。それでもウッディがボニーのとこへいられたのは大好きなアンディが託した相手だからじゃなかったのでしょうか?持ち主を大事にして仲間を大事にするウッディだからこそあの結末はどうしても納得いきませんでした。
やはりトイストーリーは3で終わっておくべきだったと改めて感じました。この映画を見ての感想は人それぞれ変わってくると思いますが僕はこの結末がショックでなりませんでした。
裏切られました
1~3で描いてきた、
・ウッディーの持ち主への忠誠心(持ち主への幸せこそウッディーの幸せ)
・おもちゃ仲間たちの絆
という大きな2つの軸がぶっ壊された作品でした。
トイストーリー3を思い出してください。
アンディは、ウッディーだけを大学に持っていこうとしていたのに、
ボニーが欲しがるから、「大切にしてくれるなら」とウッディーを譲ったのです。
またその時、「ウッディーは絶対に仲間を裏切らない」とも。
そのシーンをすべて台無しにしたのが4でした。
仲間を捨てて、ボニーを捨てるなんて、ウッディーの今までの忠誠心や正義感はどこへ行ったのでしょう?
ウッディーが心変わりする模様をせめてもう少し丁寧に描いて欲しかったですし、
ほかの仲間たちはボーの話も聞いていないのに、なぜこんなにも簡単にウッディーとお別れできるのでしょう?
3で、ウッディーだけアンディとともに大学に行けるとなった際も別れを惜しんでいたブルズアイでさえも...
2で地獄から救い出してくれたジェシーでさえも...。
アンディが、ボニーのおもちゃ箱の中にウッディーがいないと知ったらどんな気持ちになるでしょうか。
想像すると心が痛みます。
ボニーが大きくなったら自分の子供に譲りたいと考えていたかもしれないのに。
もしかすると、この作品はディズニー社に残った人からラセターさんへの当て付けもあるのかもしれません。
旧キャラを全く活躍させないことにより、「ラセターさんがいなくてもピクサーはやっていける」というメッセージだったのかもしれません。
もしくは、ラセターさんが、「俺をクビにするなら、俺が作ったキャラクターは活躍させるな!」とでもいったのかもしれません。
あくまで勝手な想像ですが、そんな内部の事情をファンに想像させてしまうような作品を世に送り出してはいけないと思います。
んー、やる意味あった?w
おなじみの仲間達の活躍が全然なかったのが残念。
バズは心の声(ボタン押したらなる音声)に従って行動するだけで、バズ自身の意思で行動するシーンがほとんどなかった。挙句、その嘘っぱちの心の声に従いウッディを見捨てる始末。
他の仲間たちはウッディ達を助けに行こうともせず、車に閉じこもって心配している『だけ』の出番。ポテトヘッド夫妻やスリンキー達のセリフもほとんど無いし、過去作が好きな身としては物足りなかった。(一応途中で軽く行動はするが)
ボニーに関してはウッディで遊ばなくなるどころか、無くなったことにすら気づかないレベル。ボニーを信じてウッディを譲ったアンディが浮かばれねぇ。ボニーからウッディを無くしたと告げられる時が来ると思うと…可愛そう。そこがリアルだという人もいるかもしれないが、そんなリアルさは求めてなかったので全く受け付けませんでした。
新キャラに関しては、どいつもこいつも魅力的で凄く可愛らしかった。こいつらがいなかったら評価を星1.5ぐらいにしてたと思う。
ウッディを応援する
トイストーリーには色んなメッセージが込められている。
これまでの1,2,3そして4にも。
オモチャとして生まれてから『オモチャとしての宿命』をウッディ達を通して私達に教えてくれている。
ウッディ達のように運良く持ち主に巡り合い愛されたモノ
一度も持ち主に逢えず迷子のモノ
求めているのは『オモチャとして愛されること』
愛の形は、持ち主と遊んだ輝く想い出、嫉妬もそう。
そして忘れられる哀しみも愛ゆえ。
これまでもなんどもなんども、オモチャ達は持ち主に忘れられて捨てられてきたよね
でも、その体が最後に消滅するまでオモチャとして愛される『愛』を求めて生きている。
今回フォーキーは、その体のパーツは一つ一つゴミとして捨てられるものだけど、ボニーが自分で創って愛情を持てばたちまち『心』を持ったモノとして誕生した。
でも、彼は何度も何度も自分自身を捨てようとする。
捨てられるのが一番怖いはずなのに。
しかし、ウッディはそんな彼に「君はもうオモチャなんだよ」
と『心を持つモノ』としての愛を教える。
そう、1,2,3,そして4にも貫かれているのは『愛』
そしてウッディは遂に受動的な愛から能動的な愛を持つモノとして成長したのだ。
ウッディ!
がんばれ!
無限の彼方へ!さぁ行くぞ!
5歳の息子が泣いていた
3やスピンオフでは仲間達との日常の中の冒険はとても楽しく、ワクワクさせて頂きました。
が、4はとても受け入れられるものではありませんでした。
①3やスピンオフではうっすらしか出ないボニーの父親が全面に出てくる(アンディとウッディとの関係性の違いを演出?)
②ボニーのおもちゃを大切にする子という設定を改変。ウッディや赤ちゃん時代のおもちゃを放置するというシーン
③ユーモラスかつブラックなハムやポテトヘッドが空気
④バズがうちなる声という謎設定により性格がぶれて、信念を無くす。
⑤ウッディが何度も頑固なワガママと呆れられる
⑥最後の最後に急に別れがくる。伏線は、ボニーがクローゼットに放置するからってところやアンディに未練とかそれくらい。3でバズ達と屋根裏で一緒にいるって言ってたウッディはどこいった?
一緒に見ていた息子が泣いていました。
ウッディとバズがバイバイするのが悲しいって。
今後トイストーリーシリーズを見ても、悲しみが込み上げると思うと見られません。
本当のトイ・ストーリーとは??
賛否があると言われてた4ですが、私は好きではない結末でした。
今まで1,2,3と作られて、これ以上ない完璧な終わり方をしたこの作品に「ここから4やるの!?」と初めから不安な気持ちは抱いていました。
過去3作は、誰もが望んだ、皆が幸せになれる道を進めたからです。
アンディの幸せってなんだろう。ウッディ、バズ、仲間たちの幸せってどういう未来なんだろう。そんなことを考えながら、アンディがボニーに愛したおもちゃ達を渡す姿を観た時には涙が止まりませんでした。
そして今回、新たな持ち主ボニーの元でどんな冒険が待っているのか、視聴者に問いかけられた「本当のトイ・ストーリー」とはなんなのか?そんなことを思いながら観た今作は、今まで観てきたものをある意味否定するような結末でした。
話は過去に遡り、ボーとの別れが判明した後に、時間軸は現在へと戻ります。徐々に遊ばれなくなってゆく自分に不安を覚え、フォーキーというボニーの新たなお気に入りに執拗なまでにこだわるウッディの姿は、今までのウッディを知っていれば少し違和感があります。
これまでであれば、その現場を受け入れたりあるいはちょっとズルな方法を使って自分をアピールするウッディが「君じゃないとダメなんだ!」と強引に説得する、まとめ役だったウッディが自分の目的(フォーキーをボニーの元へ帰すこと)固執するあまり、仲間のおもちゃを危険に晒してもなお口から出る言葉は「フォーキー」。今までのウッディだったらもう少し周りが見えていたような気がするのは私だけ。。???
極めつけは、自分のボディーに埋め込まれた音声装置を交換条件に、囚われたフォーキーを助け出すシーン。2では、とても価値ある貴重なおもちゃだったウッディが身体の一部を差し出して、不良品のおもちゃになってでも先割れスプーンのフォーキーを救出するところは言葉が出ません。
ウッディってこんなことするタイプだった??
一方、バズは終始「自分の心の声に耳を傾けろ」と自身に問いかけ、別の葛藤をしています。
二人とも、ずっと迷い、葛藤します。
そして最後、ウッディは、バズやジェシー、その仲間達に別れを告げて、ボニーの家から旅立ち、迷子?のおもちゃであるボーと共に冒険し、世界を見て回る道を選択します。
遊んでもらえなくなった自分に価値を感じなくなったのか、ボーへの愛がボニーより優ったのか、多くは語られませんが私の望んだ結末ではなかったです。ボニーはまだまだ子どもなのに。。
子どもに遊んでもらうことがおもちゃの幸せじゃなかったの?ウッディにそう聞いてみたい。。
出会いや別れはいつだって突然
確かにトイストーリーと一緒に成長してきた長年のファンにとって、あのラストは呆気ないかも知れない
それにウッディのこれまでの信条は?!
でも出会いや別れはいつだって突然だ
何かを失って、何かに出会う中で世界が違うように見えてくるのは当たり前。
逆にあのラスト以外には考えられないようにきちんと序盤から布石を打っていたのもさすがピクサー。
私はあのラスト最高だった。
居場所を守るために何かに執着して、周りに見放されながら、それでも自分にはこれしかないと足掻いて、その先に見つかった場所は新たな居場所になった
終始健気なおもちゃ達に涙が止まらない
普通に楽しい映画です
特にトイ・ストーリー大ファンでもないのですが、終始、純粋に楽しめました☆玩具は子供に遊んでもらってなんぼ、とか昔からの仲間を大切にするんだ!といったこだわりに縛られることなく、まるで人間のように意志をもって決断する主人公に感動もしました。私はこの機会にと、トイ・ストーリー1からちゃんと観てみましたが、ウッディは玩具ながら精神が向上していく姿が分かります。玩具として生まれて、長年子供達や周りの仲間と接触していく中で人のように心が成長したっていいじゃないですか。現実、昔遊んでた、つい最近まであった玩具がどこにいったのか?紛失や迷子になる事の方が多いしね。ストーリー的にはハッピーエンドではない雰囲気が、ディズニーファンにとっては駄作なのかな?
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