トイ・ストーリー4のレビュー・感想・評価
全699件中、601~620件目を表示
必ずしも特別なわけではないということ
3放映当時、トイストーリーはこれ以上ないくらい最高の終わり方をしたと思いました。
これだけ深く、オモチャにとって救いのない未来が何度も暗示され、どうまとめるのだろうかと不安になりながらも、最後のアンディの選択で「間違いなくこれしかないと言えるハッピーエンドだ」と完全に納得させられた素晴らしいエンディングだったと思います。
ただ、ここで当時うっすらと疑問に思っていたこともあり、映画の完成度の高さからなるべく意識しないようにしていたことがありました。
それは「ボニーのような幼い女の子が、男の子向けのカウボーイ人形であるウッディを相棒にするだろうか?」という点です。
トイストーリー4ではこの考えたくない部分に切り込む形になります。ウッディがボニーに必要とされなくなるのです。
それはウッディが壊れたわけでも、ボニーが大きくなったかでもありません。
単純にボニーがウッディを「特別に思っていない」からです。
トイストーリーを3まで観て来た人たちにとって、ウッディは常に主役で、みんなのリーダー。アンディからも
一番愛されていて、典型的なヒーローとしての扱いが印象深いと思います。
それを成り立たせている要素の一つに、ウッディがアンディの一番のお気に入りだから、という他のオモチャと違う特別な立ち位置があります。
完璧なエンディングを迎えたトイストーリー3を観た後でなるべく考えないようにしていたことは、オモチャを渡された次の子が必ずしもそのオモチャを一番大切にするとは限らないということ。
ボニーはとても良い子で、オモチャを乱暴に扱ったり、飽きたらすぐ捨てたりする、ということはありません。
ですが、それと全てのオモチャを同じように好きになり、大切にするかどうかはまた別の話です。
好き嫌いというのは明確にあり、オモチャたちがどれだけ子どもを愛そうが、子どもがオモチャを必要としなくなるということはトイストーリーの中で何度も描かれて来ました。
単純にウッディにその番が回って来たということです。
ウッディがアンディにとって特別であったからといって、ボニーにとって特別であるかどうかはわからない、という当たり前だけれどややシビアな部分をこの映画はきちんと描こうとしていました。
逆にフォーキーのような傍目からも本人すらオモチャかどうか怪しいと思える存在でも、ボニーが「オモチャ」だと認識し、大切な友達扱いをしている時点でオモチャとしての役割を果たせているわけです。
ウッディは誰よりもその事実を理解していて、身を呈してフォーキーを助けようとします。
オモチャとしてボニーを元気にさせている以上、必要とされていない自分は、なんとしてもフォーキーをボニーの元へ帰そうとするわけです。
仲間思いで、献身的、これまでずっと描かれてきたウッディのリーダーとしての、子どもを大切に思う気持ちは最後までブレません。
ところが、ボニーと遊ぶことはできないが彼女が大切にしているフォーキーの世話を焼く、というウッディの役割は、もはやオモチャとしての役割を逸脱していることを周囲は批判し、本人もそれを深く自覚します。
最後のウッディの選択は、人によって評価が分かれるようですが、仮にボニーの元に戻ったとして、ウッディはもう必要とされていないのです。
必要とされるように努力する、という選択もあるかもしれませんが、その足掻き方は今までの正しい抵抗とは意味合いが違うものになってきます。
あくまでウッディはオモチャであり、ボニーの持ち物に過ぎません。ウッディは誰よりもその事実を理解しているからこそ、ボニーにとって必要ではなくなった時点で
自分の「ボニーのオモチャ」としての存在価値はなくなったとはっきり確信したのだと思います。
ボニーに必要とされていないのに、バズやジェシーたちと仲良しこよしでずっと一緒にいるというのは完全な馴れ合いであり、そこにオモチャとしての存在意義はありません。
最後の選択は、徹底して「誰かのオモチャ」としての役割を果たしてきたウッディが、誰のものでもない「ただのウッディ」として完全に自由になるための必要不可欠な選択であり、この選択はいずれ必ず選ばなければいけないものでもあったのだと思います。
「ウッディのため」の最高のエンディング
完璧なエンディングだったトイ・ストーリー3から9年。
そんなエンディングの先に用意されていたのは、
「ウッディのため」の最高なエンディングだったと思う。
ウッディ、ありがとう。
-------------------------------------------------------------
たとえボニーに遊んでもらえなくても、ボニーを辛いことから守る。
フォーキーが仲間入りして遊んでもらうチャンスが更に減っても、自ら逃げ出そうとするフォーキーを見捨てず、ボニーを悲しませないよう連れ戻す。
揺るがない忠誠心。仲間思いで絶対に見捨てない。
ウッディのこれ以上ない魅力。愛される所以。
「・・・でも、今自分は本当に幸せなのか?」
ボー・ピープとの再会。
自由を謳歌する持ち主なきおもちゃ達。
移動遊園地で見た遠く広がる見たことない景色。
ウッディは今までにない価値観に触れ、とまどいながらも、
様々なトラブルやピンチを仲間たちと一緒に乗り越えていく。
それは時に、自分を犠牲にしてまでも。。
持ち主と一緒に過ごす幸せ。
持ち主に縛られず自由に生きる幸せ。
どちらも素晴らしい生き方。
そして、最後にたどり着いた「自分の心の声」は…。
------------------------------------------------------------
新しいキャラクターはどれもユニークで最高。
今までのトイストーリーの中で一番笑ったかも。
また改めてウッディの愛情の深さに感動。
自分が不遇な状況でも仲間を見捨てず
想える愛情の深さに心が温まった。
そして何より、自分の信念に正直に生きることの大切さ。
他人の目線、求められる役割、自分の思い込み。
そういうのを一度全部とっぱらって、
「自分はいま本当にこれで幸せなのか」と
自分の信念にまっすぐ生きていきたいと思った。
ウッディの選んだ新しい人生に幸あれ。
おもちゃが子どもを「捨てる」
ボニーが、ウッディが要らないから遊ばなかったんじゃないと思う。
要らなかったら、キャンプに連れていかない。
ただ、ボニーにとって「メイン」おもちゃじゃないだけ。
メインが変わっただけ。
多分、女の子だから女の子の人形メインになっていったのだと思う。
メインで遊んでもらわないだけでヘコんでいたら、
他のメンバーは常にヘコんでいる
メインで遊んでもらって当たり前って思っていたのか?
とウッディの性格を「器の小さな自分大好き偽善者キャラ」にしてしまっている。
今回の教訓は、
子どもに、
少しでも遊ばなかったらおもちゃが子どものもとを去るよ
と教えたいのかな?
ボニーは今まで持っていたおもちゃのように、
アンディからのおもちゃも同等に大切にして遊んでいる
優しい女の子だから、
家に帰ったボニーはきっとウッディを無くしたことに
ショックを受けて、自分を責めるんだろうな…
ウッディも含めてストーリーのキャラ全部の扱いがひどいと思った。
2019-67
なんだろうこの気持ち。
子供の頃とちっとも変わっていない自分だからこそ、なのか、大人になったからこそなのか、とりあえず胸の奥を締め付けられた。
トイ・ストーリー、実は見たことありません。
子供の頃、ぬいぐるみや人形に情が湧くタイプで、プーさんのメモ帳を1枚使うだけで、プーさんがごみになっちゃう😭と思っていた私は、このシリーズを避けてきましたが、
大人になり、観てみようと。
んでやっぱり、心の奥を突いてくる😭いい大人なのに...大人だからかな。
ディズニーらしい万人に愛される可愛らしさとおもしろさで、飽きさせない。
イエス!ウィーキャナダ!がまさかのジョン・ウィックで萌え。
皆さんがおっしゃられてるラストのウッディの選択ですが、最初はえっっでした。おもちゃとしての役割は??とも思いました。
でも、ウッディの気持ちもわかります。
ウッディの名前も呼ばないボニーにはもうフォーキーがいるし、迷子の子のところに行くことを決めたギャビーを見て、自分を必要とする子のところに行ったり、広い世界をボーたちと見たいという気持ちも。
だから、反対はしないかな。人生は発見の連続で、ウッディも人生を生きているし、その時々で考え方も変わる...って、大人な映画ですね。
これまでを知らないからあまり語れませんが、シリーズのファンの方が戸惑うのもわかる気がします。初見の私でさえ戸惑ってますから(笑)
あ、ギャビーを初めて観たとき、もしもアナベルが喋ったら?という考えがよぎってしまいましたが、一瞬で消し去れるくらい、面白かったです。
賛否両論の賛 これはウッディが幸せになる為の物語
〜全体〜
新キャラがどれもキャラ立ちしていて始めから終わりまで飽きる間を与えてくれない作品です。ご覧になる際はぜひ4DXで!最後の某シーンで某新キャラが、4DXの技術をふんだんにムダづかいするところは爆笑しましたw
旧キャラの活躍が少し少なめ、オモチャの持ち主の女の子のセリフに「ウッディ」という台詞が一度も出てこなかったこと(これは終盤への伏線ですけど)が少し残念だったので、星1つ減らして星4にさせていただきました。
〜終盤を踏まえた所感〜
ウッディはオモチャなんだ、という考えを変えられない方は見ない方がいいかも。1〜3の世界観を持ったままの方が幸せという考えだってあると思いますし。
でも、ウッディは友だちなんだ、と思える方には是非見てもらいたい。ウッディに特別な思いを持っているあなたにとって、ウッディが幸せになる為の物語は、きっと胸に響くものがあると思います。
なおウッディ最後の決断について、仲間の判断や振る舞いに違和感がという声もありますが、日々のウッディのことをずっと観ていたからこそ、その決断を受けいれたのではないでしょうか。
〜賛否両論について〜
ウッディの最後の決断が賛否両論の要因と推定した上での意見となります。
本作のレビューを観ていると、ふと会社を転職していく人に対して「あんなに良くしてやったのに裏切られたよ」「あいつはどこにいってもダメだな」などと陰口をこぼす人、逆に「おつかれ、次もガンばれよ!」「また呑みにでも行こうや!」と応援する人に二分化するという構図を連想してしまいました。
この差はどこからくるかというと、自分が培ってきた「固定観念」の強さだったりするのかなと思います。
過去、こうした「固定観念」が生きる上である程度必要な時代はあったと思いますが、この先は変化が激しくなる一方の時代。自他に限らず「変化」を受け入れる姿勢が大事になってきます。
自分は、ウッディの決断もまた1つの「変化」と捉えました。それを受け入れるか、受け入れないかは、作品を最後まで観たあなたが決断することだと思います。
クリエイターへの尊敬の念を覚えます
始まりこそ子供部屋のおもちゃの話ではあるけれど、ディズニーで見られるのは世界の片隅の話ではなく世の中の縮図なのだと再確認した。
変わるものと変わらないもの、選ぶものと選ばれるものがいる。
積み上げてきたものがぶち壊されたというファンの意見もわかるが、積み上げてきたものがあるからこそグッとくる。
さすがにラストにはショックを受けたものの、ただのちゃぶ台返しではなくウッディの葛藤も丁寧に描かれていたので心苦しくも納得できる。
ただ女を選んだ奴みたいな言い方をしている方もいたが、ボーへの特別な感情だけでなく「変わることへの憧れ」が大きかったのではないかと思う。
アンディーとの日々は今でも宝物であり、子供達への想いも変わらない。形は違えど遊園地で子供達を笑顔にしていたわけだし、これからも彼なりにおもちゃとしての使命を模索していくのだろう。
偉大なジョン・ラセター
最悪です。
あのラストを描きたいから今までのシリーズ全作品に泥を塗ったとしたら、ジョン・ラセターがいなくなってしまった後のピクサーにはもう期待できません。
ボーが活躍するのは彼女のまた違った一面が見れてよかったのですが、その活躍を際立たせるためにウッディやバズが活躍するシーンが全然なかったのは本当に勘弁して欲しかったです。なんであんな作品を作ったのでしょうか。
そしてせめて、せめて最後に仲間達との別れを描くならばもう少しアンディ家のおもちゃ達を活躍させて欲しかったです。かなりあっさりとした別れでとても悲しかったです。
新しいおもちゃ達はみんな魅力的でした、できれば短編など、ナンバリング作品ではない作品で出して欲しかったです。
とても悲しくなりました。もう今までのようにはトイストーリーを見ることができないとおもうととても悲しいです。
下手な文で申し訳ないですが、これが僕の感想です。
アンディが可哀想に思えてくる。
3でアンディがボニーにおもちゃを渡すシーンで唯一ウッディを渡すのは躊躇ったけど、「ウッディとも遊んでくれるかい?…よろしくね」って言って渡すし、去り際には切ない表情もする。それほどアンディにとってウッディは大切存在だったのに、今作ではそのアンディの想いが踏みにじられたように感じました。
今度はウッディの旅立ちを見送った
子供のため、おもちゃのために何時も一生懸命なウッディ。ボニーが作ったフォーキーは自分がおもちゃでボニーの心の支えって事が分かって無いから、一生懸命彼を助ける。いつものウッディ。なにも変わらない。そこでボーに再会して、新しい価値観を知って、アンディの事が忘れられない、ボニーと遊ぶ事は少ない現状から旅立つ。おもちゃ自身がおもちゃの枠を超えるなんて、もう映画のキャラクターの域を超えて、ひとりの人間のよう。ここまでキャラクターが成長したの、本当にすごい。トイストーリー3ではアンディが旅立つのをウッディと見送ったけど、今度はウッディに見送られた。同じ車が遠ざかるのを見守るエンディングだけど、こんなにも違う。車を見送ったのはウッディだったけど、旅立ちを見送るのは私たちだった。寂しい。長年の友達を見送るのは寂しい。でも友達だもの、ウッディの決断を応援しなくてはなぁ。彼の新しい仲間も楽しそうな連中だし。さよならだけど、ずっと友達だよ。
ラセターさんが良かった
今作はウッディを中心に置きすぎて他のキャラクターが前作とは全然違う人のように見えました。バズなんてあんなマヌケなキャラじゃない。ラストは、このシリーズを完全に終わらせたいのだと感じました。今作は「無限の彼方へさあ行くぞ」というセリフで締め、1のウッディが登場するオープニングの音楽でおわる。2では「無限の彼方へ共に行こう」というセリフで終わっていたことから、これはもうウッディとバズ達は会うことはもう絶対なく、続編も作る気ないんだなと僕は感じてしまいました。ラセターさんの脚本を3分の2も変更したらしいですが、僕はそのままラセターさんが今作を手掛けていたら同じ結末でも、もっとトイストーリーらしい作品になっていたかもなって思いました。
迷子とは、、
3のみ、鑑賞しました。
号泣レベルに感動したのを今でも覚えています。
そして本作。
前作のような号泣するほどのシーンこそ無いものの、
実写と間違えるくらいの映像クオリティの向上に驚きました。
最初の大雨のシーンの雨の描写や、メインの遊園地のイルミネーションやアンティークショップの照明などは本当に綺麗でした。
ウッディーは本当に最後の最後までヒーローだったし、これからは自分の人生を生きて欲しい。だから彼の決断を尊重します。
結局最後のほう、ボーと一緒になっても、射的のおもちゃを積極的に子供に提供するあたりなど、ウッディーの子供を幸せにする、という信念は変わっていませんでしたね。
居場所はどこにでもある。
信念さえ失わなければ。
そんなことを教えてもらえた良い作品でした。
最近のピクサーでは一番のアタリ
ぶっちゃけ今までのトイ・ストーリーが好きじゃなかった異端です。
現代社会の縮図みたいな内容になってますね。今までの勧善懲悪ストーリーと違い、悪がいません。色々な思惑があり面白い。
おもちゃでする話ではないって書いてたレビュアーさんがいましたが確かにその通りだと思います笑
それ含めて、今らしく、あるがままで良い映画なんじゃないでしょうか。
ラセターさん…
余計な情報を仕入れる前に初日に観られて良かった。単品のお話としてはこういうのもアリだけど、みんながトイストーリーに期待してるものからすると、これは冒険し過ぎたように思った。そりゃ賛否両論分かれる…。個人的にはアラフィフで転職したお父さんの自分探しの旅のように思えて、前半は本当に居た堪れない気持ちになる。それでも、そのスタンスを貫き通して何だかんだでそれぞれのキャラが自分を見つけたからまあ良かった、と思ったら当のお父さんがあのオチ。ピクサーがこのオチで良いと判断した理由が知りたい。最終回として5を作るための布石としてなら、ギリギリ分かる。
俺は最高やった
1〜4の前半までは持ち主の為、仲間は見捨てない!
で生きてたウッディ
ボーンの話を聞いて思ったより良い世界もあると知る
最後のシーン
バズと離れるのは視聴者としてとても辛いけど
持ち主の為じゃなく自分の為に生きる、ウッディの新しい幸せの始まりと思って俺はあのシーンで泣いた!
友達はあんなに仲間思いで行動してて最後で裏切るんかいって筋通らんやんって納得いってなかったみたい(笑)
変わっていく必要ある?
見事に3までで描いてきたもの全部ひっくり返して、してやったりどうだ!新しいだろ!っていう映画だった。本当に悲しかった。私が今まで涙流して感動したことも4で全部馬鹿じゃねーの現実は違うんだよって全否定された気分で映画見た後放心状態。
最近多い。そういう今までの生き方や価値観を疑問視して、模索するような映画。
もうわかったよ。わかった、わかった!そうだねわたし達は変わっていかなくちゃいけない。そういうの必要だよねうんうん。
でももうお腹いっぱいだよ。そんなことはわかってるよ。わかってるけど子供時代の変わらないなにか懐かしいあの思い出と気持ちは忘れずに生きていたいのよ。それを思い出させてくれるのがわたしの大好きなトイストーリーシリーズだったんだよ
全699件中、601~620件目を表示