「アメイジングトイストーリー」トイ・ストーリー4 omame44さんの映画レビュー(感想・評価)
アメイジングトイストーリー
新しく生まれ変わったボー・ピープを主人公にした、全く新しいトイストーリーです。
この作品は、トイストーリーの続編、シリーズものとして楽しむのではなく、キャラクターは同じものを使いつつ、これまでとは隔絶された単品として観るべき映画です。
スパイダーマンとかバットマンだって、キャラクターは同じでも、中身は全然別物ですよね?
そんな感じで、あぁ、これはこういう新しいトイストーリーなんだ、そう見ると、色んな良さが見えてきます。
事実他の人のレビューを読んでると、これまでのトイストーリーの中ではこれが一番好きかなとか、前作知らずに見たけど楽しめたとか、そういう意見もあります。
1〜3のシリーズに縛られず、新章、別シリーズ、ドラマ版みたいな感じで見ると良いはずです。
一方で、もしトイ・ストーリー3の続編として捉えるなら、こう言わざるを得ません。
金を儲けるために、最高の作品の続編を作れという無理難題に対して、必死に絞り出して作った、愚作だと…
ファン全員が思っていたことですが、やはり4を作れというお題がそもそも無茶だったのです。
トイ・ストーリーは、あらゆる面で、3で完全に完璧に完結していました。
世界初の長編3Dアニメーションという表現としても非常に意欲的かつおもちゃのバディムービーという新しいジャンルを切り開いた1から始まり、魅力的なキャラクターの追加とおもちゃとしての幸せの在り処を描いた2、公開時期に合わせてアンディをリアルに成長させる演出、高クオリティな映像とアップダウンの激しいストーリー、アンディの決断、お母さんの表情、おもちゃの悲哀と友情、登場キャラクターそれぞれに感情移入できるよう設計された、老若男女全てが楽しめる映画史上に残る傑作の3…
この続きをいくら普通に作ろうとしたって、重箱の隅をつつくような、薄味のものになってしまうに決まっているのです。
トイストーリーという名前である以上、おもちゃのルールに縛られるし、キャラクターに縛られるし、3を超えて4を作る必要性も描かなくてはならない。こんなハードル高すぎます!
案の定、まだ使われてない、またはもう一回使えそうなおもちゃの悩みはコレかな、キャラクターを増やす、または戻すとしたらコレかな、ギリギリ変えれそうなキャラクターの設定はコレかな、予想を裏切るラストはコレかな…
そんな縛りだらけでは、当然映画なんか作れませんので、おそらく製作陣は「4を作る必要性」ということを最優先事項にして、つまりラストシーンのためだけに、映画を作ったのだと思います。そのせいで、シリーズとしては矛盾だらけ、既視感満載、影の薄い仲間たち、といった燦々たるものになりました。
ウッディの性格なんて、今更言われるまでもなく分かってますし、フォーキーのゴミのくだりだって、3がもっと重々しく語っています。ゴミ文脈でいうなら、焼却炉のあの絶望感に勝てるわけないでしょう。デューク・カブーンの跳べない設定は1でバズがやったやん。オマージュ?見逃し配信?
ジェシーの閉所恐怖症は、サイドストーリーの「トイストーリーオブテラー」で乗り越えてるはずですし、同じ話に出ていたカールって仲間を無視するようなキャラだっけ?まぁ別モデルなんでしょうけど。
バターカップの毒舌は正直どうでもいいけど、なんであんな事を考えるかわからないし(おもちゃを踏んづけるお父さんを恨んでた?)、みんなでクルマをぐっちゃぐちゃにして、なんで持ち主のことを考えないの、こんなんでウッディなしでやって行けるの?
今回解決策としておもちゃのルールを逸脱し過ぎ。しゃべりすぎ。それでいて新キャラのダッキーとバニーがルールを侵す提案をして笑わせようとする。いやいや、やってることほとんど変わらないから。より大袈裟なルール破りを見せる事で、大目に見てもらおうとしていることが小賢しいですよね。もっとオモチャならではの解決策を考えてよ!なんでもありやん!
そもそも、バズのボイスにあんなバリエーションはなかったはずやんね。赤いボタンを押すたびに出てくる無限のボイスバリエーションこれなに。突然あらわれた「心の声」という謎の設定をクリアするためだけの機能でしょ。
ふざけんなと言いたい。
誰が共感するんですか、あの行動原理に。
トイ・ストーリーの面白さは、それぞれのおもちゃが、生まれながらの自分の設定を乗り越えて、自分の意思を持って行動することじゃなかったんですか?それこそが、心の声に従うってことじゃないんですか?
ボイスは自分のおもちゃとしてのただの機能なのに。よりによってなんでバズを、主人公だったはずのバズを、前作を否定するための胸ポチポチバカに変えちゃうんだろう。凄く悲しいです。
とまぁ、不満が無限にでてきますが、これって見る側に先入観があるからなんですよね。
トイ・ストーリーという世界でのルールはこれだとか、1〜3のシリーズを踏襲してると思うから、そう考えてしまうんです。
だから、全く別物として楽しむべきなんです。
サム・ライミ版とアメイジングとMCUのスパイダーマンは色々違うけど、まぁべつによくて、その上で自分はこれが好きかなーみたいなのがあるじゃないですか。
ターミネーターだって、2が最高だけど、そのあと作る続編も、一個前のを無かったことにしたり、てんやわんやしていたら、見てるこっちは、あぁこれはもう別のターミネーターだよねって、思い始めますよね。
そこまでいくと、もう記号でしかなくて、これからいくつターミネーターとして駄作を作ろうと、2の感動は薄れはしない。
トイストーリーも4以降は、こうあるべきなんです。3で完結して、4は全く別物だと。そうすると、無駄な水増しで、3までの感動、完成度を薄めなくてすむ。あぁ、こういう解釈もありかもね、実はそこだけは気になってたんだ、ふむふむ、それも面白そうですね、そんな感じ。
冒頭に述べましたが、こう考えると、良い部分が見えてきます。
ボーはいいですよね。
この映画で一番かつ唯一存在感を発揮しています。
元々自分の女性としての魅力を理解していて、それをしたたかに利用するセクシーで芯のある女性でしたが、そこから数年の苦しみを乗り越えて、吹っ切れた視座の高さと、前向きさと、アクティブな強さを身につけている。割れやすい陶器という設定も、割れたって気にしないわって感じで突き進む。
プリンセスでいうと、ボーはアニメ版のジャスミンに近いのかなと思っていたのですが、実写版アラジンよりもはるかに上手に、成長という過程を挟んだ上で、現代風の自分の意志で生きる女性にリファインしています。
ただ、ウッディにあんだけチューチューしていた過去、恋人だった過去は、無かったことになってます。あぁ、元彼なんてこんなもんですよね…。
ダッキーとバニーも可愛いですよね。ラストのレーザーのくだりとか、制作側が遊んでいる感じがして好きでした。チョコプラは吹き替え上手です。
あと、嬉しいのはブリキのおもちゃティニーの出演です。トイ・ストーリーの原点と言われている、ジョン・ラセターの短編CGアニメーションの主人公がティニーでした。一瞬の出演でしたが、可愛かったなぁ。フィギュア欲しい。
それから敵側に関して。
ベンソンは、ストレートに怖いですよね。あーまだ腹話術の人形って使われてなかったんだ、良いとこ突いたなって。3のビッグベビーみたいな深い設定はゼロで、最後に救われるわけでもない使い捨てキャラだったけど。ホラーでした笑
ネコの扱いはひどいですね。1のシドの犬スカッドみたいな完全な悪者で、キャラも使われ方も被ってます。名前もないし、完全なゴミキャラでした。
ギャビーギャビーは、だいぶ問題児ですけど、リアルにいますよね、ああ言う人達。可愛そうな子なんですよ。生まれ持ったハンディキャップだけが、自分が愛されない原因なんだと思い込んでいる。でもそれが間違いだったことに、残酷な方法で気づかされる。
最初のボイスボックスのくだりは、ウッカリ、怖い!とか変な声!って笑っちゃいましたけど、本当は生まれつきの故障で、本人は本気で悩んでいる部分だってわかった時は、結構グサリときました。
思いがけず人を傷つけてしまうこともある。人間社会でも気をつけなきゃって。
と、ちょっとこちらが同情しそうになった瞬間、この映画は今度はギャビー側に痛烈な反省を促すんですね。
勝手にコンプレックスを持って、そのせいで愛されないと思い込んでいたけど、逆に、それ以外の自分の改めるべき心に目が行っていなかった。自分が一番可愛そうなんだから、他者が自分のために犠牲になるのは当然だし、そいつがどうなろうと知らないよ、というエゴにまみれた心です。
周囲が理解することはもちろん大事だけど、自分が辛いからと言って変わる努力もせず、権利の獲得と承認を声高に叫ぶのはどうなのか。そう訴えているように思えます。
結局生きて行く上で大事なのは、勇気を持って自分の心を変えること。そうすれば、必ずどこかに自分を認めてくれる、必要としてくれる人がいるということなんでしょう。ギャビーのラストはそういう救いがありました。
(まぁそれならそれで、直った声をもう一回ぶっ壊すとかして、心を入れ替えることにフォーカスしたほうが良かった気がしますが…)
ラストシーンは、こうするしかないでしょう。
単純に、仲間たちとの別れのシーンとして、泣けました。
このシーンはまた、ハッキリと過去作と決別することを意味しています。
3のラストの感動は、アンディが「ウッディにとって一番の幸せはなんなのか」を考えた瞬間にありました。おもちゃ側からすると、「またその子が大きくなり、捨てられる時が来るかも知れないけど、永遠ではない一瞬一瞬を大切に過ごそう」という意志がありました。
命あるものの儚さ、人間もおもちゃも、限りある命をどう生きるのが幸せなのか。何が正解かはわかりませんが、少なくとも彼らが選んだ一つの答えが提示されていました。
一方4のラストは、おもちゃとして「生きる」のをやめ、ある種の精霊みたいなものになることを決めたのです。
これを人生の新たな選択肢だとか、役割からの解放だとか、そういう風に解釈する人もいますが、僕は違うと思います。今回のウッディの「おもちゃであることを辞める」という選択は、ファンタジーの中のおもちゃ(トイストーリー)だから出来ることであり、現実の人間が選べるものではない。人間をやめるには、人の間にいることを拒絶する、つまり、世間から隔絶し空想の世界で孤独に生きるか、死を選ぶしかないのです。
(「おれは人間をやめるぞ!ジョジョーッ!!」とか言って吸血鬼になるのはありかもしれません)
このラストでウッディは、私たちが親しみを抱くおもちゃではなく、「トイストーリーというおとぎ話のキャラクター=ウッディ」になる事を選んだのです。
だから、今後はなんでもありです。
おもちゃとしての自分の役割との葛藤は無くなり、ウッディ&ボーが世界を冒険するアクションムービーへとなり得ます。
こうなると、おもちゃである必要はなく、動物が主人公でも一緒です。ペットではなく、何からも自由な野生の鳩やネズミですね。
大きく方向性を変えたので、トイストーリー5だろうが、サイドストーリーだろうが、なんだって作れます。
また続編が作れるよ。良かったね、ディズニー。
でもいくらナンバリングタイトルが出て来たって、トイ・ストーリーは3で完結しているんです。
トイストーリー4は、今は間違って4って付いてますけど、おそらく後付けでアメイジングトイストーリーとか、トイストーリーホームカミングとか、そういう感じになるんです。
ウッディは既におもちゃとしての「声」を失いました。もうおもちゃとして子供に語りかけることはありません。
寂しいけど、商売だ、仕方ない。
新しいトイストーリーを温かく見守っていきましょう。