「掘り下げ過ぎ」トイ・ストーリー4 みさんの映画レビュー(感想・評価)
掘り下げ過ぎ
幼い頃にトイストーリー1を観たきりでその後が気になっていたので一気に2〜4を観ました。
どのお話もツッコミどころは多々あれど総じて面白く最後まで鑑賞できますし、キャラクターの表情の可愛らしさは流石ディズニー、一貫して素晴らしいです。
とは言え、ナンバリングが進むにつれて違和感が増していったのは事実でした。
もともと、(もし見ていないところでおもちゃたちが動き出してドタバタ劇を繰り広げていたら楽しいな)っていうささやかな空想をもとに物語にしたのがトイストーリーだと思っていました。
だから、ここまで"命を吹き込まれてしまったおもちゃの人生"を深く掘り下げるとは思っていませんでした。だって、おもちゃは子どもにとって友達だと思ってたのに、ゴミに命を吹き込むっていう神様のような役割を人間に与えたり、人間が振り向いてくれなきゃ存在する意味がないみたいなジレンマを浮き彫りにしたり、作品が生まれた当初(こうだったら楽しいな)って無邪気に空想していた子どもの夢を打ち砕くようなおもちゃと人間との溝を露わにして冷たい現実を目の当たりにさせる描写が観ていてひたすらに苦しかった。
どうして、楽しい空想を幸せな夢として終わらせてくれなかったんでしょうか。
そして、"命を吹き込まれたおもちゃとしての人生"を描くなら、その死がしっかり定義されていないところも不十分な気がします。
生を語るのに、人間の寿命のような死の表現が徹底して避けられているのが混乱します。生き物ならその生き物ごとにある程度はどこまで生きられるかが決まっていて、無意識でもその最期を見据えてどう生きるか考えるものだと思います。
なのに、ウッディはアンディにあんなに遊び尽くされてきたのに状態は綺麗でまだまだ生きていられる。2で綺麗に修理されたとは言え、普通のおもちゃなら散々遊ばれたらどんなに綺麗に直しても素材の痛みは経年劣化含めてあるはずなのにそれが無い。
粉々に壊れるか焼却炉で焼かれない限り不死身なんでしょうか。そんな存在が人間と同じように幸せや生きることを語っても良くわかりません。
ボニーの家に残った仲間たちは果たしてこれから何人の子どもの成長を見守れば幸せな終わりを迎えられるのか?終わりがないのであれば広い外の世界に出たウッディすら、その先に満足があるのか疑問です。
そして最後に、おもちゃと子どもとの相互関係が3までの大きな魅力の一つでした。観ている私はおもちゃに同情して、子どもに共感して、どちらからも愛を感じたからこそ愛に溢れた良い映画と感じていたんです。
今作、完全にボニーからウッディへの愛は無くなっています。
今まで愛されてきたトイストーリーの要素を打ち砕いてでも新たなメッセージを込めたかったのでしょうが、正直そこまでするなら続編でなく完全新作のアニメでやればよかったのに、と思います。
結局、あまりに詳細に"意思を持ったおもちゃ"を描いてしまったせいで、モノであるはずのおもちゃが生き物のように動いている違和感をより強く感じさせてしまったような気がします。
おもちゃは意思なんか無いし動かない、そんな少し寂しい現実よりも、子どもの目を盗んで愉快に暮らすおもちゃ達の楽しい空想を描いていたはずなのに、シビアに子どもに飽きられ見捨てられる現実を描こうとして空回りしているように感じました。
こんな事ならそのまま動かず大学に行って捨てられることもなくずっとアンディの側にいるウッディの方がよっぽどリアルです。
見せたかったのは空想なのか現実なのか、理解に苦しみます。