「今までトイストーリーが魅せた"おもちゃの矜持"を否定することになる」トイ・ストーリー4 rokiさんの映画レビュー(感想・評価)
今までトイストーリーが魅せた"おもちゃの矜持"を否定することになる
今までウッディは遊んでくれる子供たちに寄り添い続けたし、
例え自分がいつか捨てられるとしても子供たちに寄り添い続けることを選んだはずだ。
なのにいざ自分が遊ばれなくなった途端「女と逃げます」はやっぱり安っぽく見える。
所詮「自分が遊ばれなくなったら逃げ出す奴なのか」という印象を覚えてしまう。
1~3のウッディが見せた答えと矛盾するように感じる。
ウッディの幸せを考えたら確かにそれもアリだと思うし、個人的にはボニーと幸せになってもらえたほうが嬉しいのだが、それは"オモチャの物語"でやる必要がないものだ。
別作品のラブストーリーでやってくれればいいだけの話。
トイストーリーはあくまでも"オモチャとしての生き方"を魅せなければならなかった。
「ウッディが幸せなら良い」「オモチャにもオモチャの人生がある」
「たとえ遊ばなくなったオモチャも自分の人生を歩んでると考えれば子供も気持ちが楽になる」
そのような意見も確かに同意はできる。
でもやはりトイストーリーでわざわざやる必要がなかったし、
今作は"トイストーリー"という作品を俯瞰で見た時に首を捻らざるを得ない。
トイストーリーでやるならばそれでもやはり「最後まで子供に寄り添う」という答えであってほしかったなと。
例え「遊ばれなくなったオモチャ」だったとしても、
もしかしたら子供の気まぐれでまた遊びたくなるかもしれないし、
誰かにあげたくなるかもしれない。
だったら"その瞬間"が来るまで子供に寄り添って、
オモチャ箱の底で待ち続けるのが本来のウッディの出すべき答えなのではないのか?
もし再び子供がオモチャ箱を開いた時にウッディがいなくなっていたら、子供はどう思うのか?
そこまで想像できない自己中心的な答えはやっぱ出すべきじゃなかったと思いました。
何のために今までは子供の前では静止するという行動を取っていたの?
「未来永劫オモチャ箱で眠り続ける」という前提で勝手に逃げ出すのがまず間違いだと思いますよ。