私の少女のレビュー・感想・評価
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好みな題材 なんか温度感がなかった。夏なのに暑そうじゃないしお風呂...
好みな題材
なんか温度感がなかった。夏なのに暑そうじゃないしお風呂もご飯も温っかそうじゃなくて冷たかった。
子役の細さだけがやけにリアルだった。
私的な助けと犯罪との境。言葉のあやと事実との相違。
警察という職業とぺ・ドゥナがカッコいい
左遷された女性警察官。そこで虐待を受ける少女と出会う。 この少女が...
左遷された女性警察官。そこで虐待を受ける少女と出会う。
この少女がなかなかのホラー。主人公もまた闇を抱えるホラー女。サスペンスに分類されているが、違う、これはホラーだ。
謎は何も解決されぬまま、先のホラーな展開を暗示して作品は終わる。この作品、秀逸かもしれぬ。
異常なのはどちらか
ソウルから海辺の小さな町に警察署の所長として赴任してきたヨンナム。
どうやら彼女には何らかの過失があり、左遷させられたらしいことが窺える。
ある日、彼女は同級生から虐めを受けているドヒという名の少女を助ける。
ドヒの母親は蒸発してしまったらしく、今は血の繋がりのない継父のヨンハと祖母と共に暮らしている。
が、彼女はその二人から暴行を受けているらしい。
狭いコミュニティ故か、村で精力的に働くヨンハに対して、彼がどれだけ粗暴だったとしても誰も強く咎めることが出来ない。
ドヒの身を気遣ったヨンナムは、暴行を受ける彼女を自分の部屋に避難させる。
はじめは疑似母娘のように心を通わせていく二人だが、やがてあまりにも暴力に慣れすぎてしまったドヒの依存するような言動に、ヨンナムは戸惑いを覚えるようになる。
中盤まではヨンナムの心の中にある闇の正体が分からない。
が、やがて彼女が同性愛者であり、それが原因で左遷させられたらしいことが分かる。
観客はどうしてもヨンナムとドヒの視点で物語を追ってしまうが、この映画を通して果たして異常なのはどちらなのかと何度も考えさせられた。
どう考えても娘に暴力を振るうヨンハは狂っている。
しかも彼は不法入国者を雇い、彼らから不当に搾取している。
それでも村では皆が彼のやることに目を瞑っている。
ついにヨンナムは入国管理局を巻き込みヨンハを逮捕するが、逆にヨンハから告発を受けてしまう。
同性愛者である彼女は不当に自分からドヒを取り上げ、彼女に性的な暴行を加えていたと。
刑事たちは同性愛者だからという偏見に満ちた目でヨンナムの取り調べを行う。
そして純粋にヨンナムのことを好いているドヒは、誤解を招くような証言をしてしまう。
完全に不利な状況に追い込まれたヨンナムは、ドヒを助けたいという純粋な正義感から動いたにも関わらず拘束されてしまう。
ただ同性愛者に対する偏見のために。
一方、悪事を働いたヨンハは何事もなかったように釈放される。
そして相変わらずドヒに冷たく当たり続ける。
が、ドヒもただ大人しくやられているばかりではなかった。
継父から逃れるためか、それともヨンナムを助けたい一心か、彼女はヨンハに罠を仕掛ける。
裸になって彼の布団に入り込む彼女の姿にゾッとさせられる。
そして罠とも知らないヨンハは、今度は性的暴行の現行犯として逮捕される。
いくら村中が彼を庇ったとしても、性的暴行の現場を押さえられてしまったら弁解の余地はない。
そして父親が娘に性的虐待を加える罪はあまりにも重く、誰もドヒが嘘をついているとは考えもしない。
観客だけがすべての真相を知っている。
しかし実際に同じような事件が起きたら、断片的な情報から誰もがヨンナムやヨンハが悪人だと思うのだろう。
暴力から逃れるためとはいえ、祖母を死なせ、継父を罠にはめたドヒが一番異常なのかもしれない。
が、彼女はやはり守られるべき存在なのだとも思った。
全編通して重苦しい空気が流れる作品だが、最後は一筋の光が射し込むような希望を感じられた。
それにしても明らかに道理に反しているのに、悪びれるどころか開き直って喚き散らすヨンハの卑劣さが最後まで許せなかった。
救うことと救われること
この映画が公開されて10年。少なくとも、表だって「同性愛者であることが明らかになること=左遷の理由になり得る」という世の中ではなくなった。けれど、差別する側が、自覚のあるなしに関わらず、都合よくルールを変えて、相手を蹂躙するというやり口は今も変わらない。
幼いドヒに対し、日常的に暴力を振るう継父。それを知っていながら「彼はこの村には、なくてはならない若者だから」と、継父をかばって見て見ぬふりをする周囲の人々。その様子はまるで「◯ちゃんがいなくなったら、テレビは終わる」との言葉が飛び交い、被害を訴える人たちをこき下ろすどこかの国の今みたい…。
この映画は、「虐待を受けていた少女を救う、左遷された女性警察官の話」と単純には言い切れない。「画面に登場するステレオタイプの人物たちに惑わされず、自分の単純さを疑え」と、監督に問い続けられているかのようだ。
例えば、ドヒを受け入れたり、一見冷淡に思えるほど距離を置いたりというヨンナムの行為も、単純ではない。彼女自身が自分の思いを整理出来ていない様子の表れと見るべきだろう。警察署での取り調べの際に彼女が発した言葉に嘘はないだろうが、ドヒの依存を自分一人で抱えようとしている時点で、彼女自身も自覚なしにドヒに依存していたのだと思う。
それでも最後に、ドヒを「虐待を受けてきてかわいそうだが、彼女自身にも問題がある子」という、周囲の大人たちみたいな分かり方をせず、生身の彼女と正面から向き合おうとするヨンナムの覚悟に惹かれる。
ラストシーンの車の中で、無防備に眠るドヒ。
ヨンナムと共にいる安心感が伝わって来る。
救うことは救われること。
きっと、これからヨンナムも少しずつ安らいでいくことだろう。
「あしたの少女」のチョン・ジュリ監督の、初の長編映画ということだが、クオリティの高さに驚いた。
【今作は、孤独なエリート女性警視が、ある理由によりソウルから左遷された村で出会った虐待されていた少女を決然と守る物語である。】
■ある理由により、海辺の村に赴任した女性警視・ヨンナム(ペ・ドゥナ)は、継父から虐待を受ける少女・ドヒと出会う。
彼女を守ろうと尽力するヨンナムに心を許していくドヒ。
だがある時、ドヒの継父・ヨンハ(ソン・セビョク)は偶然ヨンナムの秘密を知り、彼女を陥れようと画策し始める。
◆感想<Caution!内容に触れています、>
・ヨンナムを演じたペ・ドゥナの抑制した演技に魅了される。
ー それにしても、心の傷を癒すためと言っても、飲み過ぎではないかなあ・・。
けれども、顔色及び言葉も普通である。
逆に言えば彼女の心の傷を癒し、眠るためにはあれだけの酒が必要なのであろう。
酒飲みとしては、良く分かる。-
・義理の家族から、虐待を受けていたドヒ(キム・セロン)が、ヨンナムを頼る気持ちも良く分かる。
ー ヨンナムは同性愛者であり、それが故にソウルの警察を一年間だけ離れ、村の所長になった過程はしっかりと描かれている。-
・ヨンナムはソヒを自らの家に受け入れ、彼女に温かくに接する。
だが、ドヒは彼女に対して、自らを守ってくれる人と思い、ヨンナムが断る中、一緒に風呂に入るのである。
そこで、ヨンナムがソヒが乗背中に合った痣を見る表情・・。-
<今先は、同性愛者の女性警視が寒村に飛ばされながらも、そこで行われていた少女に対する虐待に対し、決然と対峙し、少女を守る物語である。>
なかなか深い話
おなじ監督と主演で映画が公開されるのでとりあえず鑑賞。
10年前の韓国映画ということで、ちょっと荒い部分もありますが、ストーリーはとても深い。
オープニングのあのシーンの違和感が後半に改修されて納得。
ひと展開ふた展開とシンプルな話から、どんどん深くなっていく展開も良かった。
同棲愛とか小児愛とか虐待とかちょっと深い話でした。
日本の映画やドラマでは撮れないシーンなどもあり、表現の自由を感じました。
「あしたの少女」は、、、この映画のタイトルを無理やり引き継いだようなタイトルですが、、、どうでしょう。
暗雲と驟雨に囲まれた未来
虐待を受ける少女と性的マイノリティの女性警察署所長という取り合わせから、幾重にも重なる弱者性を動力に現代社会の差別性を穿つ告発系か、あるいは社会から透明化された者たちのささやかな交感と立ち直りを描いたエンパワーメント系の映画を我々はなんとなく予期する。しかし物語はそういった安易な着地をみることなく、最後まで疑念と懊悩の靄の中を曳航し続ける。
まずもって我々(そしてイ所長)は虐待を受ける少女ドヒのあからさまにセンシュアルな描かれ方に困惑する。暴力を振るわれ、数多の傷跡が残る身体が痛ましいドヒだが、その一方でどこか危うい官能性を醸出してもいる。イ所長に向かってテレビのモノマネを披露するシーンではタンクトップの隙間からあられもなく脇が露出するし、K-POPアイドルのダンスに合わせてくねらせる腰つきもどこか思わせぶりだ。彼女の「被虐者」あるいは「幼い子供」という無垢性は徐々に剥落し、それによって我々は彼女を守るべき大義名分を見失っていく。元パートナーとのやり取りについてドヒに口出しされたイ所長が思わず彼女の頬を叩いてしまうシーンがあったが、そのときドヒが浮かべた表情には、苦痛とも恍惚ともとれる妖艶なニュアンスが滲んでいた。さて、こいつは本当にただの「暴力に怯える無垢な少女」といえるのか?
不安定なのはイ所長も同様だ。男性だらけの官憲職において、左遷先とはいえ所長の地位に就いていることから、彼女が相当なエリートであることが窺える。しかしそもそもなぜ彼女は左遷されたのか?夜な夜なスーパーマーケットに赴き大量のチャミスルを買う理由は?ドヒに対して本当に何の性的感情もないと言い張れるのか?日常の節々に表れるこうしたできごとや行動を踏まえると、彼女が「自立した強い女」というステレオタイプから外れた不安定な一個人であることが判明してくる。
当然ながらあらゆる人間には固有の機微がある。男だろうが女だろうが大人だろうが子供だろうが異性愛者だろうが同性愛者だろうが関係ない。そしてそれは時としてグロテスクな形を取ることもある。
そうした機微を避け、社会の一般法則から外れた人々を過度に正しい存在として描くこと、そしてそのフィクショナルな「正しさ」を根拠に彼らを守ろうとすることは、結果的には何も見ていない、何もしていないことと同義だと私は思う。それはどこまでも社会の一般法則の内側に向けてのポーズでしかない。
一方で本作は、社会法則から逸脱した人々を「弱者の無垢性」という社会が構築した神話によって救済するという傲慢さを慎重に避けている。しかも巧妙なことに、序盤のうちはあたかもそういう神話を立ち上げるような素振りをみせる。田んぼの畦道を駆けていく白いワンピース姿のドヒはまるで岩井俊二に出てくる少女のようだし、村内に蟠る旧態依然とした風土を改めようと奔走するイ所長の態度は折り目正しく「ポリコレ」的だ。しかし物語が進むにつれ神話は徐々に解体されていき、最後は個人と個人の深い関わり合いの中でのみ理解されうる超社会的決断へと辿り着く。
とはいえイ所長とドヒの未来は暗雲と驟雨に囲繞されている。二人を乗せた乗用車には絶え間なく雨が打ちつける。それはこの世界における個人と社会の位置関係のアレゴリーであるかのようだ。社会から個人への逃避は一時的には成功するかもしれないが、それはそうと社会はある種の自然法則として世界全体を覆い尽くしている。そこから逃れ出ることは容易ではない。雨風をしのぐ屋根もいつかは朽ち果て、吹き飛ばされる。要するに逃げ続けるしかないのだ。命尽きるまで、永遠に。
おばあさんは?
児童虐待と閉鎖的な村。学校でもいじめられるドヒ(キム・セロン)を助けるために、自分の家に匿うヨンナム(ペ・ドゥナ)。さすがに派出所所長という肩書きがあれば、学校でも家庭でも虐待にあうことはない。最初は権威主義的な服従の様子がうかがえたので、何だろな~などと思いつつ、ヨンナムが左遷された秘密をも知りたくなってきた。
2人の入浴シーンを見ても、ヨンナムがレズビアンだとは感じられなかったから、この物語のミステリアスな部分は上手く作用していたのだと思う。さらに外国人不法就労の問題や、漁業や村の存続のため見過ごしてきた警察の問題。ブローカーもやっていたとなると、ドヒの父親ヨンハもかなりあくどい。
さすがに同性愛者に対する直接の差別はなかったものの、少女を匿うことが人々に疑念を抱かせてしまう悲しい事実。ドヒの決断。ヨンナムの慈愛。二人の関係が心に染みる。しかし、次の配属先にまで連れて行くとなると、今後の二人も気になってしまう。おばあさんの件がなければ上手くいくんだろうけど・・・
アジョシの女の子
アジョシの女の子…めちゃくちゃ大きくなってた
継父からの虐待、継父の母親からも。
母親からと捨てられ…子供のどうしようもない辛さ悲しさ本当に胸が痛む
今も虐待が凄くニュースで報道されてるけど
この映画みたいに誰かが手を差し伸べくれるのを待ってるのかもしれないですね。
正義感というより母性
なかなか重く、深い、なんとも言い難い作品でした。
まず、ペ・ドゥナさんとキム・セロンさんの演技力が素晴らしい。
本当の親には逃げられ、学校ではいじめられ、家に帰れば暴力を受けるという圧倒的に可愛そうな少女ドヒ。
ソウルから田舎の交番にに飛ばされた所長ヨンナム。
ヨンナムには何かしら秘密があると思っていましたが、女性だから同性愛者だからといって差別される、差別とまではいかなくても、少し変人扱いされてしまう状況は本当に観ていて辛かったです。
ドヒにとってヨンナムは女神のような存在、彼女の存在もあり、小さな怪物となってしまったのかもしれませんが、最後の展開はドヒの勝利。
救いのない世界の弱者だけど、強い!ということを証明してくるようで、少しスカッとしました。
海辺の小さな田舎の村という閉鎖的な空間だからの怖さだったり、辛さだったりが、ひしひしとこちらにも伝わってくる作品でした。
行ったことはありませんが、韓国の田舎ってこんな感じなんだろうなぁと思える独特な映像も良かったです。
とにかく、ヨンナムのようなカッコいい強く生きる女性を応援したくなります。
少女の居場所
ある漁村に赴任してきた女所長と家族に虐待されている少女のお話。
閉鎖的な村の事件がありながら、うまく主人公:ヨンナムの過去も踏まえて物語を作っているなぁと思う印象だ。
また、今まで虐待されて来た少女:ドヒの言動(愛されたい人に愛されてないと自分を傷つけてしまう行動や、現実の話を伝えたいのに自分の理想をついつい伝えてしまう行動など)も物語に一層面白みを与えていた。
2人の女性の演技が良いだけに、男性1人ぐらいは名演技を見せて頂きたかった所。
ネタバレに近いか分からないが、果たして女所長ヨンナムは同性愛者だったのだろうか?
劇中ではただ単に相手から近寄られ、(性格的にも)そうならざる感があったので、それだけで同性愛者呼ばわりはどうかな?とは思いました。
同士
小さな怪物に成らざるおえない過酷な環境にいたドヒを理解できたから、ヨンナムはラストに「私と行く?」と言ったのでしょう。子供、女、貧困という社会の最下層にいるドヒ。ヨンナムは、彼女を保護というより同士として迎えいれた様に感じました。
良い
同性愛に幼児虐待…題材は重いものの、ふたりの繰り出す空気感、距離感が凄い。よどんでいるかと思いきや、清い。
所長に懐く少女の虐待からくる精神的不安とまだ幼いのに何か恐ろしさを感じさせるその眼差し。ペドゥナも上手いが、何てったってキムセロンちゃんの演技力!!ゾッとしました。切なくてもどかしい愛のある作品。泣けます。
なんだかイケナイ気持ちになるのが困る…笑
兎にも角にも「ペ・ドゥナ」氏と…
何より思春期に入ったアジア世界最強の子役「キム・セロン」氏の魅力に尽きる一本
。
「人の闇」を語らせたら邦画の数倍、逆立ちしても敵わない韓国映画の。
それでもマイルドな分類なのに、胸に苦い…
何より、ロリコンの属性は皆無な自分なのに。
味わうこの背徳感ったら…
もしかしたら韓国でしか作れない映画かもしれない。
けれどもそこの最前線を走る、そのためのど根性を思わずにはいられない作品。
ラストのペ・ドゥナの選択について考えてみた。
少女役のキム・セロン、どっかで見た顔だなーと思ったら、『アジョシ』の女の子ですよ。よその子は知らないうちに大きくなりますねー。
そんなキム・セロンも14歳の少女の役。13歳の娘がいる僕にはちょっとキツイ映画でした。
評論やレビューでは児童虐待問題とか不法就労問題とか村社会とか女性の生きづらさとかの要素が語られますけども、それらは物語に彩りをつけるための添え物のような気はします。
かといって、少女の中の悪魔性を暴いていくサスペンス・ミステリーでもなかったですし、
過去に傷を持つペ・ドゥナが少女との出会いを通して再生していくヒューマン・ドラマともちょっと違うようでした。
僕にとってはこの映画、ラストのペ・ドゥナの“選択”に想いを馳せるための映画だったなぁと思いました。
ラストのペ・ドゥナの選択というのは、何だったんでしょう。
それは、「クソババアを死なせた罪」への対応だと思うんです。
「父親を嘘でハメた罪」は、父親は死んでないし、まぁ自業自得でもありますし、
「クソババアもこういうやり方で死ぬように仕向けたんじゃなかろうか?」と想起させるためのヒントという位置づけなんじゃないかなって僕は思います。映画の見せ場としてはクライマックスでしたけどもね。
じゃあ「父親を嘘でハメた罪」を除外すると、焦点になるのは、
「暴力から逃れるために、人を死なすことまでやっちゃう怪物性」
になってきます。
でもそれはキム・セロンがまだ幼いからで、大人になれば分別もつくだろうという考えもアリではあります。
でも、キム・セロンを怪物にさせたのは誰か?って問題もあるわけです。キム・セロンはペ・ドゥナに出会わなければ、是非はともかく、「虐待される生活がデフォルト」という生き方もできたかもしれません。でもペ・ドゥナと出会い、「普通」を知ったことで、自分ちの「異常」が耐え難くなってしまった。米の味を知ったら麦なんて食えないって話です。
とはいえ別にペ・ドゥナは悪いことしたわけじゃなくて、「普通」なことをしただけでした。
だからキム・セロンの人生を背負う義理はありません。
最初の別れで会いに行った時、ペ・ドゥナには、「少女の罪を知らずに去る」という選択肢がありました。ここでペ・ドゥナの失敗は、「クソババアもあなたが殺ったのか?」と尋ねてしまったことです。
「知った上で去る」のは警官として罪です。罪を見逃すというのは、優しいようで、「償う機会を奪う行為」でもありますね。それでも自分だけの胸にしまっておけば、という思いで去ったのでしょう。
そしたら部下が言うわけです、「ぶっちゃけあの子、何考えてるかわからない、バケモノじみたとこがありますよね。」
自分だけの胸にしまっておけば済む話じゃないって気がつくんです。
じゃあどうするべきなのか?ペ・ドゥナが選択したのは、厄介な者から逃げるのではなく、法の下に裁くのでもなく、キム・セロンの人生を背負うことにしたんですね。
そのペ・ドゥナの根っこにあるものが、正義でも同情でも、なんなら欲情でもいいんです。とにかく少女はあの生活から脱出できたわけです。その結末が少女にとって「幸運」だったのか「計画通り」だったのかは、眠っててわかりませんでしたけれど。
少女の眠る車の外は雨で、晴れ晴れとはしないラストシーンでした。けどその分車の中は、傷ついた者同士の安息感で満たされていたのかもしれませんね。
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