ナイトクローラーのレビュー・感想・評価
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厄介な死神
面白かった。
さすが脚本賞を取っただけの事はある。
色々、道徳的には推奨できない事は多々あるが、プロとしては間違ってない。
むしろ、その境目とのせめぎ合いともいえる…。
その辺りを非常に軽々と超えていく主人公。たぶん、本人も自業自得であっても文句など言うまい。
そんな危なっかしい価値観に彩られてた。
人のダークサイドのような気もするが、そこに踏み込むだけの覚悟がないだけの事かもしれない…よ。
にしても、よく役の生い立ちから形成していけなんて事を言われたりもするが、ホントに同一人物とは思えないくらいで、生い立ちから別人のように思う。
海外の役者は凄いっ。
売り切るまで
面白かったなあ。
ジェイク・ギレンホール、悪魔的に素晴らしい。
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パパラッチを突き詰めすぎて壊れてしまう人の話かと思ったら、最初っから、道徳観念のおかしい人の話だった。
刺激的な絵、視聴率、金、そして賞賛。
それらを身も蓋もなく追い求める主人公を、周りの人は恐れ嫌悪する。
でも、主人公が取ってくるものを、周りの人も欲していた。
主人公の悪魔っぷりは、彼ら自身の小さな欲望が、リミッターを外され肥大化し投影されたものだと気付いた時、恐れは更に増していく。
—
恐れていても、誰も彼に抗うことは出来ない。
アシスタントは、彼を嫌いながらも、彼同様に金が欲しい、そして彼を真似て駆引きをする。
女ディレクター(レネ・ルッソ)は、途中彼と一線を引こうとするが、間に合わない。彼に、いや自身の本能(刺激と成功が欲しい)に、ブレーキをかけられない。
レネ・ルッソがみせる、利用しようと思っていた相手にとりこまれ、「悪魔に魂を売り切るまで」の、恐れ→惑い→諦め→そして恍惚の表情が、素晴らしい。天晴れ。まさにノワール。
—
撮影ロバート・エルスウィット。『パンチドランク・ラブ』『インヒアレント・ヴァイス』などなど…。壊れたものの官能がしたたる。
憎めない悪役
絶対に知り合いになりたくない程不気味で陰険な奴なのにどんどん惹かれるのはジェイクギレンホールの魅力?人間としての道徳の欠片もない主人公ルーを最後、愛おしく感じている自分にビックリ!
内容は決して明るいストーリーじゃないのに音楽は終始明るい曲を使っている所、凄く良いと思った。ジェイクギレンホールの怪演っぷり見事でたまりません!
ハイエナのような主人公
いやはや何とも凄いものを見てしまった。
今んとこ今年ベストだ。
主人公の頭いい人特有の速い喋り。
効果音と音楽の上手い合わさり方。(劇中で演出の為に効果音を足していたように)
撮影もドキュメンタリー的で、自分が主人公の隣にいるような錯覚。すぐそばにいるのに、ただ見ているしか出来ないという絶望感。
出演している役者全てが素晴らしい。
脚本も素晴らしい。なにより、主人公が素晴らしい。
狂気が普通に生活しているのだ。
こんなに頭のいい奴なら、もっと別に成功の道もあったのかな、と思ったがそうはいかないのかな、とも思った。色々と考えさせられる。
ラスト、どうなるのかなー?と気になって見ていたが、そうくるか、という感じ。最初から最後までスリルが止まらない映画だった。
VAN社はVAN(付加価値通信網)value-added networkをVANで走る!!
VAN社 ならぬ VAN社会
VAN(トラック)ではない、 VAN(付加価値通信網)value-added
network
マイノリティが、付加価値通信網によって生きる社会。
メディアに巣食うマイノリティ。
残忍さを求める大衆。
疲弊した社会は、お互いがお互いを傷つけ合いながら、それでも、やめようとしない。
決して、何も解決しない映画。
ただ、気づきを与える映画。
ピカレスク。
日本にもあるのだろうか。フリーで犯罪や事故現場に赴いてカメラにセンセーショナルな映像を収めて、TV局に売るというような職業が。
日本では小さなケーブルテレビ局のようなところがニュースを扱うことがないように思うので、ナイトクローラーはやっていけないのでは。
主人公のルイス(ジェイク・ギレンホール)はふとしたことからナイトクローラーの存在を知り、初めは見よう見まねでやってみるが、当然簡単ではない。だが、才能があったのか、TV局のディレクター ニーナ(レネ・ルッソ)の目にとまり、頭角を表すようになる。
ルイスは他者に対して声を荒げるようなことがない。ニーナとの交渉にあたるときも、アシスタントのリック(リズ・アーメッド)を諭すときも。
より衝撃的な映像を撮るために、現場に手を加えたり、商売敵の車を細工して事故を起こさせたり。
銃撃事件からあとは、しめつけられるような感覚で物語を追っていた。こんなヤツは破滅するしかない。
ニーナは失脚する風だし、ルイスに逆らったリックは死ぬはめになる。だがルイスは。
ダン・ギルロイは「フィクサー」の監督トニー・ギルロイの弟で、兄弟ともに骨太な作品を手がけたことになる。
また、レネ・ルッソはダンの妻である。
ジェイク・ギレンホールをはじめとする役者陣も監督の要求にこたえて好演熱演であった。
問答無用の傑作!
題材が現場スクープの争奪戦なんで、かなりエグい(描写・心情とも)内容だから、どの世界も大規模公開には至らない。2013の作品を一応公開した日本はまだまだ捨てたもんじゃない。
内容どうこうはふれない(多方面で告知してるし)。
ここで書きたいのはジェイク・ギレンホールの紛れもない上手さである。デビュー時期は普通の脇役も「Brokeback Mountain」でブレイク、自分はコレあまり好きでないが「Zodiac」の漫画家で一目ファンになった。「Brothers」「Prince of Persia」とハズレを出さず「Source Code」「End of Watch」「Prisoners」早くオスカーやれよ!!の傑作を続け、本作が総頂点ではないか。
人間関係がうまくいかないのではなく、群れるのが嫌いで自分は自分で作る。自分もこの意向があるので、主人公ルー・ブルームの描き方はマジしびれた。彼に演じさせたのは正解(元々製作を兼ねているが)。
最近映画館で途中コクリしてしまう痴態が多いが、これは久々120分アドレナリンMAXで、派手なシーンより溶岩が流れるような過程が素晴らしかった。相棒となるリックとの駆引きは絶妙な脚本である。そして90代の売女優レネ・ルッソもいい感じで帰ってきた。
題材的に勧められる内容ではないが、演出・出演者・本がきちんとマッチすれば「地味な映画でも眠くならない!!」を教える映画です。「アルゴ」があれだけ評価されたなら、これも負けはない2013作品。
蛇足
ヒューマンT渋谷で観ようとしてる方、今「1」なのでお早目に!「2・3」だと緊迫度が半減します。C・D・E列でどっぷり浸かるのをおすすめ。
期待どおり、いやそれ以上
映像も音楽・音響もストーリーもカッコ良くては、あっという間に終わったような印象。
こんな事は現実には有り得ないとは思う反面、全くの絵空事とも思えない。事件事故を取材する側の内情は、最低の視点で捉えるのならば、似たようなものではないかと思ってしまう。
これを現実世界で実践されてはたまったもんじゃないが、フィクションとして見ているとなぜか嫌悪感というものはそれほどなく、むしろ爽快感のようなものまでわき上がってくる。だからこそ、スクープ合戦が世にはびこるのだろうか・・・
エンターテインメントとしてかなり楽しめるとともに、なかなか考えさせられるところが多い映画であった。
怪演に圧倒される。行き過ぎた男の見た光景とは。
【賛否両論チェック】
賛:スクープを求め、徐々にエスカレートしていく主人公の心情がスリリングに描かれ、緊迫感にハラハラさせられる。事件や事故の取材現場の現実も、身につまされる。
否:割りと救いのない終わり方には、賛否が分かれそうなところ。グロシーンも結構あり。
この作品では、何と言ってもジェイク・ギレンホールの怪演が圧巻です。ありふれたアウトローだった男が、“パパラッチ”という生き方に活路を見出すまでや、新米からすぐに頭角を現して成長していくまで、そして次第に善悪や良心の呵責を忘れ、一線を越えていくまで。いずれもその心理描写が見事に体現されていて、主人公の生き樣が観ている方にダイレクトに伝わってきます。その生き方に賛否は勿論あると思いますが、そうした感想を持てるのも、一重に演者さんの演技の賜だと思います。
指定こそありませんが、グロいシーンはかなり多いので、それだけはお気をつけて。
面白かった
主人公が本当に虫唾が走る嫌な人間で、そんな猛烈に不快な人物を主人公にする肝の据わった映画だった。嫌な人物の割に正直者であり、熟女好きで憎めないところもあったけど、近くにいて欲しくない。双眼鏡くらいの距離感で接したい人物だった。
勝手なイメージで申し訳ないけど、主人公のキチガイっぷりに、池田小学校の宅間守をイメージしてしまった。
そしてとても面白かった。ジェイク・ギレンホールがこれまでどんな顔していたのか思い出せないくらい強烈な顔だった。
年間ベストの5位くらいに入れたい傑作。
あの目は何を見てるの?
今度はこー来たか!この人エリートだから役を聞いただけで、主人公がイメージされたんだろう。目が凄い。
まるでメンタリストのように相手の会話を誘導し、欲しい答を引き出す、あのメンタリストは心だけど、ジェイクは心がない、まるでロボット。完璧だけどどこか狂気。
よくいい写真を撮るために、殺人犯したり、犯罪を犯すそんな映画もあった気がする。アメリカは恥ずかしい現実を晒し、反省してるのか?
確信犯である。
情報化社会の闇から生まれた最低男
ジェイク・ギレンホール怖すぎ。
誰からも必要とされず盗みを繰り返しなんとか生計を立てている男。そんな男が偶然、出くわした事件を目撃したことにより悪魔へ変わる。
情報が溢れかえりテレビの視聴者は悲惨なニュースにも目が肥えてきている。そのためかより過激な映像を求め、常に新しい刺激を求め続ける。
助手として働いていた男は至って正常であった。それにも関わらず少し忠告しただけで映像のネタを引き起こすエサに利用されてしまう。
この映画を見てアメリカだけの話ではなく日本でも、いや世界中に入るかもしれないと思った。私達が普段接しているニュースの裏にはこのような闇が隠れているのかもしれない。
フレームの意味
この映画の不思議さはふたつある。
ひとつは映像がきれいなこと。犯罪(事件)パパラッチというのだろうか、現場の動画をテレビ局に売り込む男が主人公。犯罪現場など美しいはずはないのだが、奇妙に美しい。夜なのに鮮明である。
主人公が交通事故の現場で映像の構図にこだわり、被害者をかってに動かす。そしてカメラを高く掲げて撮影する。肉眼で見ているものとは違うものをカメラがとらえている。そうか、映像とはつくりものであり、現実ではないのか。
どんな事件のときも同じである。主人公は自分が見たものをカメラでとらえているのではない。テレビを見たひとが「見たい」と思うものをつくり出している。
ある一家が強盗に襲われる。その家に入り込む。冷蔵庫の扉に家族写真がある。そのまま映したのでは「絵」にならない。写真の位置を入れ換え、「温かい家庭」にふさわしい冷蔵庫の扉にする。そうすることで、そこで起きた悲劇が強調される。
テレビの視聴者は、ふつうの(温かい)家族が悲劇に襲われるのを見たい。ふつうと悲劇のドラマチックな結びつきに興奮する。主人公は、そのことを知っており、そのために行動する。金のためというより、そういう映像を撮ることに興奮している。自分には、人の求める映像を理解し、さらにそれをあおる能力があると自覚している。
と、書いていると、それは主人公のことなのか、監督のことなのか、わからなくなる。「映像」へのこだわりは、主人公のものであると同時に監督のものでもあるだろう。
主人公の「日常」の描き方がおもしろい。彼は毎日自分でシャツにアイロンをかけている。水滴を散らし、アイロンがききやすくするという工夫もしている。部屋には植物があり、毎日、コップ一杯の水をやっている。きちんとした「暮らし」、「ふつうの暮らし」をしている。その一方で、異様な執念で「犯罪現場」の「刺戟的映像」を追いかけている。「ふつうの暮らしの映像」と「刺戟的な映像」を結びつけることで「刺戟」がより鮮明になる。この対比を鮮明にするには、それぞれの映像が美しくないといけない。雑然としていては、「対比」がまわりに侵入してくる「情報」に撹拌されて、あいまいになる。
どんな「情報」もただそのままカメラのフレームのなかにおさめているわけではない。カメラに納まり切れるものをきちんと整理している。「情報量」を整理している。
これがよくわかるのは、クライマックスの、二人組の男と警官の銃撃戦と、その後のカーチェイスである。ふつうの犯罪者と警察のカーチェイスならパトカーはもっとたくさん出てくる。激しいカーチェイスになる。この映画では、最初に追いかけているパトカー、最後に犯人の車と衝突するパトカーと、きちんと整理されている。あ、ほかのパトカーも来た。どこへ逃げるんだ、というような「興奮」を排除し、逃走する犯人の車、追いかけるパトカー、さらにそれを追う主人公の乗った車と、常に観客の視線が3台の車に集中するように「整理」されて描かれている。
「映像」と「情報(量)」の関係に、非常にこだわった映画なのである。そのために、どの映像も非常に美しい。
もうひとつの不思議は、「ことば」である。
変質者を主人公にした、「刺戟的映像」パパラッチの映画なのに、映像だけで映画を動かしていない。「ことば」にこだわっている。主人公はただしゃべりまくるわけではない。他の登場人物も余分なことを言わない。それぞれが「必要最小限」のことばしか発しない。最小限のことばのなかに隠されている「意味」を考える。主人公はしゃべりながら考えるのではなく、考えて、自分の考えを整理してから、最小限のことばを選んでいる。それが映像に緊張感を与える。
人間は、ふつう、主人公のようにはしゃべれない。新しい状況のなかでは、ことばをさがし、右往左往する。その右往左往のなかに「人間性」のようなものが出てくるのだが、それがないから「非情さ」が強烈に響いてくる。
映像と同じように、主人公は「フレーム」のなかで「ことば」を把握している。それが相手にどう聞こえるか、それを意識しながら話している。
だからといえばいいのか……。主人公が助手とやりとりする最後のシーンがおもしろい。助手は状況が理解できない。助手の頭の中には状況のフレームがない。だから副社長にしてやる。給料はいくらがいいか、と問われたとき、即座に答えられず「70ドル」とばかみたいなことをいう。フレームがわかってくるにつれて、助手のことば(要求)も変わってくる。
もっと主人公の、「ことばのフレーム感覚」がわかるのは、彼が警察に訊問されるときのシーンだろうか。彼は警察が何を問うてくるかを知っている。訊問室で起きる「ストーリー」を知っている。知っているから、あらかじめ準備しておいた「答え」をいう。訊問している刑事には、それが「うそ」であることはわかる。直感でわかる。けれど、主人公の「答え」はきちんと「質問-答え」の「フレーム」のなかでおさまっている。言い換えると「美しい答え」になっている。だから刑事は問いつめることができない。問いつめるためには別の「フレーム」(証拠の枠組み)が必要だが、それは急にはつくれない。
「フレーム」におさまったものが、「フレーム」を支配する。つまり、勝つ。
この「フレームのなかの美しさ(強さ)」にあわせるように、ジェイク・ギレンホールが異様にやせて、「肉体」から「余剰」を排除し、観客がついつい彼の目を見てしまうように仕向ける「肉体のフレーム」にも、何か、ぞくっとするものがある。目に吸いよせられて、彼は、ほんとうは何を見ているのか、と怖くなる。
「映像」も「ことば」も(そして「人間」も)、「フレーム」のなかで「美しくなる(明確になる/強靱になる)」というのは、考えてみれば恐ろしいことかもしれない。「美しいもの(明確なもの)」は、乱れたもの、雑然としたものよりも説得力がある。強靱である。そこに「嘘」を感じても、突き破れない。
ということは、この映画のテーマではないかもしれないが、そう感じた。
この映画が「美しさ」にこだわり、それを実現しているというところに、また奇妙ないらだちを感じた。
もっと雑然とした、あたかかい映画が見たい。ルノワールの映画のような、と思うのだった。
報道の現場を垣間見た感じ
ジェイクの演技が、怖くて 気味が悪いぐらい好演してます。
彼が優秀なのはよく理解できます。
起業家としても優秀なのかもしれません。
ただ、リアルな面として怖さも感じる映画です。
のめり込める映画でした。
意識高い系
主人公はコソ泥をしその戦利品を売り込みながら、自分を語り自分を売り込み職を得ようとする、その姿は意識高い系と言うのだろうか。
けれど、彼は本当に学び成長してゆく、フリーのカメラマンとして事故、事件現場の凄惨な映像を売り込み欲しい物を手にしてゆく。
本当に勤勉なのだ、物語の始まりの彼は丁寧な行動とゆうか、愚鈍な融通の利かない無表情な動きだけれど、彼は動き出す明確な目的へ躍動的に動き出す。
観ていて無意識に彼が裁かれる事、暗く深い穴へ落ちていく事を願うけれど、彼はその淵をゆうゆうと歩くのだ
「行動の前に自問しろ」と学んだから。
主人公を演じるギレンホールは観るたびに表情が違う、この作品の予告を劇場で観た時には「ゾディアック」の頃の様な表情だなぁ。と、思っていたが全くの別人だった。
個人的には「プリンス・オブ・ペルシャ」や「プリズナーズ」の時の表情が好き。
J・ギレンホールの目が怖い
2015/08/23、川崎チネチッタで鑑賞。
今回、役作りに12kg痩せて臨んだというジェイク・ギレンホールの目がすごかった。初めは仕事に飢えている野心溢れるハイエナのようで、それからパパラッチという天職に出会ってからは恐ろしいまでの集中力と才能を発揮し、特ダネを撮りまくり、果てはプロデューサーをも食ってしまい、最後とうとう人としての一線を越えてしまうあたりは、もう目つきが悪魔のそれだった。
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