バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のレビュー・感想・評価
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偏った評価を貰ってしまった?
イニャリトゥ流時空間操作を封印し、ファンタジックな映像を取り入れた新機軸。
ほぼ全編をワンカットで描くアイディアとその映像手法は見事で評価に値するが、そこまでだ。
ジャンルは違うが、この撮影方法はヒッチコックが大昔に実験して、見事なストーリーテリングを成功させている。
息継ぎができない画面の動きに、皮肉たっぷりのセリフの応酬を字幕で追うのは、かなり疲れるうえに、意味が伝わらない。
映画俳優が舞台に再起を賭けるという、楽屋オチがアカデミーではウケたのかもしれないが、正直ついて行けなかった。
ステージを背景にしたダークファンタジーは、「ブラックスワン」という傑作があるし。
やはり、アリアガの脚本でなければ力を発揮できないのでは?
唯一感心した台詞は「芸術家になれなかった者が評論家になる…」という件。
撮影の見応えを観れば面白い
舞台を映画に持って来たような映画
全編をワンカットで撮ったかのような編集
アカデミー、作品賞・監督賞・脚本賞・撮影賞の4部門を獲得したが、撮影賞がピッタリくる
撮影は『ゼロ・グラビティ』を撮った人
レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』が映画中の舞台だか、アメリカでのスタンダードか?日本では太宰治のようなものだろう
題名の『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』の題名もその影響であろう
主人公が自分で鼻を飛ばしたときに『メグ・ライアンの鼻をやった医者に頼めば?』ってセリフは→→→笑えるが、メグ・ライアン好きとしては微妙やったかな~
映像が途切れないカメラワークは斬新
主人公の心の乱れを非現実的な描写で描いるブラック・スワンを髣髴させるが、輪を掛けて理解しにくくなっている。
1番印象に残っているのは、サムがリーガンを捲し立てるシーン。
関心事は芸術でなく名声、そのくせ、そういった人が溢れているSNS等は使わない。
迫力があると同時に、思うことも多い。
この映画は見る人を選ぶ
予想外に評価が低かったので、期待はしていなかったけれど、観てよかったでした。
俳優陣の狂気に満ちた演技。
カメラワークと展開。
ドラムのリズム。
展開の読めない緊縛感とそれがもたらす爆笑の数々。
そして最後に訪れる奇跡と救い。
あっと言う間の二時間でした。
オスカー云々は置いて、久しぶりに「完璧に身を浸せた」パーフェクトな作品。
皆がいうほど、難しい映画かしら?
この映画は挫折と奇跡を描いたとてもとても上質な寓話にしか思えない。
40過ぎたオジさんにはビシバシと届いてきました。
でも自分が20〜30代だったらキートンに感情移入できてなかっただろうし、ラストで起きた奇跡も理解できなかったかもしれません。
この映画は見る人を選ぶ。
正確にはキートンとどれくらいコンテクストを持っているか?で見方が全然変わってくる。
ラスト、キートンは死んでないです。
間違いなくハッピーエンド。
タイトルはバードマンの真実と挑戦,ならわかり易い
ニューヨークで、ジャズを聴きながら、高級なバーボンを飲んだ心境になりました。本来のタイトルは分かりにくいのですが、娘サムの存在が重要で、重要な最初と最後のシーンに納得。"真実と挑戦"はサムが繰り返していたセリフでした。還暦過ぎたオジさんのこれからも時々見たい映画に取って置きます。劇場鑑賞がお勧めです。
「よくわからなかった」という方へ、中年のおっさんとして補助線を引いてみました。
レビュー欄では賛否両論が盛り上がっていますが、僕なりに補助線を引いてみたいと思います。(ちょっとネタバレ含みます。)
人には誰しも多少なりとも「理想像」というのを持っていて、若いうちはそれを「目標」にして追いかけることができますよね。でも、人生の折り返し点を過ぎた中年になると、その「理想像」はいつの間にか「べき論」に変身して、自分を追っかけてくるのです。
親としてどうあるべきだったか。夫や妻としてどうあるべきだったか。仕事キャリアはどうあるべきだったか。それらをひっくるめて自己実現はどうあるべきだったか。
理想像を実現してなきゃいけない年齢になったとき、「まだ届いてない」とか「もう手放してしまった」とかの現実があるわけです。そのギャップと折り合いをつけて、それでも生きていくのが大人になるってことなんだなぁと最近思うようになったんですけど、それが「諦め」のように思えて辛くなることもありますよね。かと言って、なんとか自分を奮い立たせてあがいたとしても、ハタから見たらパンツ一丁で大通りを駆け回るような滑稽な姿を晒すようで恥ずかしい。
映画の中で可視化されるバードマンを「置き去りにした理想像」とか「主人公のホンネ」として考えるとちょっと無理がありますけど、「やっぱり前の会社辞めるべきじゃなかったのか?」とか「やっぱり元カレ(元カノ)とヨリを戻したほうが幸せになれたんじゃないか?」とかいう「迷いが実体化したもの」として捉えるとしっくり来るような気がします。
その迷いを断ち切るのではなくて、“自分の一部”として受入れて、取り込む。観客は一瞬、主人公がバードマンに戻ってしまったのかと思わされるんですけど、主人公は最後にその仮面をちゃんと脱ぐんですね。
そして、ラストシーン。これを「シニカルなバッドエンド」として笑い飛ばすこともできるし、「ファンタジックなハッピーエンド」として感動することもできる、ハイブリッドなエンディングだったと思います。
(決して悪い意味ではなく)消化試合を戦ってる人は前者を採ればいいし、
(無謀と言われても)敗者復活戦に挑む人は後者を採って励みにすればいいのです(僕のように)。
副題に(無知がもたらす予期せぬ奇跡)とありますが、これまた年を取ると世の中の色々が見えてきて、いまさら「無知」になるのは難しい。でも「無知なフリしてエイヤっと飛んだら、今まで知らなかった奇跡が起きるかもよ。」というメッセージだと考えると、ややハッピーエンド寄りで解釈してもいいじゃないかなと思ったりもします。
脚本の妙(人はみな、ビギナーズ)
長回しがー、俳優の演技がー、音楽がー、ハリウッド&観客への批評性がーなどは、もうすでに皆さんお書きになっているので、その他感じたことを書きたいと思います。
以下、ネタバレ含みます。未見の方は、ご注意を。
落ち目の俳優が、レイモンド・カーヴァーの『ビギナーズ(通称:愛について語るときに我々の語ること)』を舞台化する、というのがこの映画のストーリー。
単に劇中劇というだけではなく、この映画全体が『ビギナーズ』そのものだったんだなと思う。『ビギナーズ』の、自殺をしくじり3日後に死ぬ男、妊娠をあきらめる女など、様々なエピソードが、映画の地のストーリーに反映されている。
その男は、狂人にしか見えないけれども、本物の愛があった、それが『ビギナーズ』の筋書き。と同時に、愛について語れば語るほど、何かがすり抜けていき、何が本物か分からなくなる、揺らぎも描いている。
揺らいで傷ついているけれども、この世に「本物」があると信じたい…そんな希望と絶望の物語。
「我々は愛についていったい何を知っているだろうか。僕らはみんな初心者みたいだ。
僕らはみんな恥じ入ってしかるべきなんだ。こういう風に我々が愛について語っているときに、自分が何を語っているか承知しているというような、偉そうな顔をして我々が語っていることについてね。」
そんな、一文が『ビギナーズ』にはあるけれども。
バードマンは、「愛」を「映画」に置き換えたものなんだろうなあと思う。
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バードマンの主人公は常に自問自答する。俺は本物の俳優なのかと。
娯楽映画に出てるときは、ただの人気稼ぎじゃないかと悩み、
アート系舞台の時は、こんなの単たる自己満足じゃないかと悩む。
何が本物かなんて、誰にも分からない。
人気や成功や、批評家やTwitterからの注目は、一時の狂騒と安心を与えてくれるかもしれないが、揺らぎの根本は変えられない。
俳優として親として生きることにおいて、ビギナーズで、揺らぎ続ける愚かな存在だけれども。
それでも彼は本物の俳優で父親だったよ。そう信じる、本作ラストの娘の表情が清々しい。
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淡々と怖くて悲しくて愛おしい『ビギナーズ』を、力強い喜劇に書き換えた脚本・構成の妙が光る映画だったなあと思う。
よかった
マイケル・キートンの超能力が一体なんだったのか、意味が分からないけど、でも面白い。超能力ができても実生活では何の役にも立たない。
『ファイトクラブ』でヘナチョコだったエドワード・ノートンが偉そうにしていて、しかしそんな彼もインポだったりと人生の悲哀をにじませていてた。
予告ではブリーフ一丁でブロードウェイを歩き回る場面でかっこいいソウルミュージックが流れていたけど、どこにもその音楽が使われておらず残念だった。
劇中劇が面白そうだった。初日で主演が大怪我してその後の公演は払い戻しなのではないだろうか。お金が無さそうだったけど大丈夫なのだろうか。伝説的な話題になったから、その後は安泰なのだろうか。
頭を狙って実弾を発射して血が出ていたのに鼻の怪我で済むのは、超能力のお陰なのだろうか。
いろいろ気になった。
ほぼマイケル・キートンの目線の範囲を描いていて、エマ・ストーンとエドワード・ノートンの屋上の場面だけマイケル・キートンがいなかったように思う。
昨日見た『シェフ』もネット炎上がテーマの一つだったが、この映画でも炎上していた。ハリウッド俳優は動画の再生回数に過敏なようであった。落ちても上がっても、どっちにしてもみんな発狂気味でテンション高かった。元気でよかった。悲惨な事やままならない事もいろいろあるけど元気を出して頑張ろう!という気持ちになった。
ユナイテッドの一番スクリーンで見れて大満足。名画座での併映なら『その男、ヴァンダム』がいいな。
シームレスなカットもドラムも役者も皆凄いけど
業界楽屋ネタは一般人の私には入り込めず。
そもそもアイアンマンやX-MEN、スパイダーマンの方が好きだし!
バードマン≒バットマンってことか
最後は飛んでいったのかな~、浮いてたのかな~
「ブラックスワン」×「レスラー」×作家性=
私はこの映画を鑑賞してまず最初に「D・アロノフスキー映画、特に『ブラック・スワン』と『レスラー』みたいだったな」と思いました。
まずこの映画のプロットを簡単に言うなら、いわば
「落ち目の役者で、問題を抱える一人娘の父である主人公が自らの超自己や自らと対になるライバルと闘いながら生きる意味とは何かを模索し、その果てに人生をかけた舞台に立つ」
という内容。まずこのプロットが
「一人娘を持つ落ち目の父親が自らと闘いながら生きる意味を模索。その果てに人生をかけた舞台に」という『レスラー』
「ある役者が自らの超自己やライバルと闘いながら生きる意味を模索。その果てに人生をかけた舞台に」という『ブラック・スワン』
この両作品と多くの点で重なる部分があります。
また、キャスティングに関しても「役者の実人生と掛け合わせた主人公の設定」という点で両者と重なります。
D・アロノフスキーは元々「レスラー」と「ブラックスワン」の2作品を1本の映画として描こうとしていたものを2本の作品に分けたと言います。
以上の理由からから私はD・アロノフスキーの遠い遺伝子を(あくまでも個人的な視聴後感として)この作品に感じざるを得ませんでした。
また、この映画のもう一つの魅力は監督や撮影監督、音楽などの製作陣個々人の強い「作家性」の融合体としての面です。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督は独自の死生観とあらゆる時間と空間の融合と断片化という作家性を持ち
その断片を繋いでいくのが「ゼロ・グラビティ」での切れ目を感じさせないロングショットや「ツリー・オブ・ライフ」でのたおやかな光源遣いという独自の作家性をもつエマニュエル・ルベツキ
そこに刻む音楽はジャズとフュージョンという音楽ジャンルの中で作家性を磨き続けているアントニオ・サンチェスによって奏でられます
これらの融合の結果、辿り着いたもののジャンルがまさかの「コメディ」という、今まで観たことのない領域の作品に昇華されているのは間違いないです。
そのため、
「ブラックスワン」×「レスラー」×作家性=?
この方程式の解を見出すのにはまだまだ時間がかかりそうです。「答えなんて出せない」それが今の私の心境です。
ハリウッド版「鼻」
面白かった。ストーリーはもちろん、映像もほぼ初めから終わりまでの長回しみたいになってて凝ってる。
主人公の行動や心の動きには不可解なところもあって、全ては読み解けない。
でも、よくはわからないが、心の底が揺さぶられる。
本気で人生に悩み、人生をなんとかしたいと心から渇望している人に、訴えかけるものがある。
単純なハッピーエンドではない。でも、何かはわからないが、とにかく勇気付けられる。
それは、誰でも皆、何かに悩み、あがいていることに気づくからなのかもしれない。
あがく人の姿がどこか滑稽で、結局、どんなに苦悩してても、傍目から見たら滑稽なことにすぎないんだよ、と教えられるからかも知れない。
成功にこだわる主人公。でも、周りの人は、それが本当に重要なことであるとは思っていない。
それでも主人公にとってはどうしてもそうでなければいけないと考えていて、どちらの見方も正しいように思う。
どちらの考え方も、それでいいんだ、と思えて、なぜかほっとする。
〈追記〉
見終わった感じのもやもや、特にラストの娘の晴れやかな顔の意味を考えていて、もしかしてこれは、芥川龍之介の「鼻」なんじゃないかと思い至った。
主人公は自分のプライド、名誉に固執していおり、その頑張りが滑稽でもあり、悲しくもあるのが似ている。
バードマンという過去の栄光と、現在の凋落が、「僧侶というステータス」「醜い鼻」であり、醜い鼻を除きさえすれば、自分の苦しみは解消されると主人公は思い込んでいる。
そしてラストで主人公は文字通り、鼻を吹っ飛ばすことで、醜い鼻を消すことに成功する。
しかし、その代償として得たものは、「舞台で本物の血を出した」という、やはり大衆受けしそうな陳腐な名声だった。
醜い鼻は消したが、代わりに得た鼻はやはり虚しい名声にすぎなかった。
主人公が将来、新たに得たこの名声に苦しまされるであろうことは、目に見えている。
主人公の鼻を見るたびに観客は、鼻を吹っ飛ばした事件を連想し、それが主人公の新たな呪いになるのだ。
それは、マスクさえ外せば素顔に戻れるバードマンよりも一層やっかいだ。
見方を変えれば、バードマンの名声と一体化したいと望む主人公が、文字通りバードマンと一体の顔になったようでもある。
だから、ラストシーンの病室では、相変わらず「バードマン」がなんてことないよ、という風に用を足している姿が見える。
最後、なぜこんなもやもやするラストにしたのか。
それは、主人公の成功と、成功しても根本的な問題は解決しないことのもやもやを表現しているのではないか。
普通。以下でも以上でもない。
「バードマン」見ました。
アカデミー作品賞他、全4部門受賞でしたか。かなり注目してたが、正直良い所と悪い所が相殺されている印象で、スッキリと見終える事が出来なかった。
この映画の特徴である終始の長回し風の映像は本当によく出来ていて感心したし、マイケルキートンの実人生さながらの体当たり演技も迫力満点だった。全編通して流れる、ちょっと抜けた感じのドラム音も、他の映画ではあまり見られない斬新なアイディアだと思う。エドワードノートン&マイケルキートン初顔合わせのリハーサル?の場面の絶妙な掛け合いも凄まじい程の完成度だった。まずそこで引き込まれ、迫力に圧倒されてしまった。
この映画の良いところは、マイケルキートンのキャラクター。過去の栄光と、現実の凋落に苦悩している姿は本当に痛い。レッテルなしでは批評できないと批評家を批判する場面があるが、彼自身が一番レッテルを気にしてるし、その批評家への罵詈雑言の全てが自分の事である。こいつ本当に痛い。爽快。
周りを固める脇役も光っていて、特にエドワードノートンのチャラいけど憎めない男は、キャラクターがしっかり作られていてマイケルキートンと対峙してもその存在感は薄れることはなかった。あと、ヒーロー映画で名声を掴んだロバートダウニーJr.やジェレミーレナーを軽く突いたり、批評家を痛烈に罵倒してみせたりと、ハリウッド近辺に対するアプローチも頷かされる。イニャリトゥ監督の「バベル」や「21g」は賛否が分かれる作品だと思うが、今作で否を賛に呼び込む快心の作品になったかもしれない。
アカデミー作品賞は納得だが、脚本賞を取ったのが少し疑問。ほんの少し、話に重厚さが足りない。あとは主人公の妄想シーンについても。例えば空を飛ぶシーンとかで、周りの通行人がそれに反応したりする。そんな馬鹿げた妄想にいちいち反応させた結果、妄想している場面と、現実の場面の境が曖昧にと言うか判りにくくなってる。謎のテレキネシスシーンもたくさん出てくるけど、これって本当に起きてる事?と思わざるを得ない。
演劇シーンも、エドワードノートンの身勝手な行動で散々な結果に終わったプレビュー公演に対して、ラストの本番公演が何故成功したのかという理屈が少し抜けている。理屈を省略して結果を見せる手法はたまにあるけど、少林サッカーですらしっかりやっていた部分だと思います。
ラストシーンの意味も分からない。空を飛んでいたのでしょうか?全然スッキリしない。
もうちょっとしっかりとした終わり方なら、個人的傑作評価になっていたと思う。
過去の栄光に囚われた男の飛び立つ先は…。
アカデミー賞で作品賞、監督賞など4冠受賞ですか。
まぁ変わった映画でしたね。奇妙と言うか…。
まず長い長い長回しで撮られていて、過去の栄光に囚われた主人公を現実感タップリに観せていくという皮肉…。
そしてメタ構造の中に小ネタやメタファーや伏線が詰まっている。
その伏線をラストで一気に回収した形で終わっていくんだけど、そのラストに関しては人によって意見が分かれるだろうと思う。
ネタバレになりますが、
きっと彼は舞台で死んだのだと理解しました。
その後のシーンで光が天に昇っていく描写がありましたから。
その後の病室のシーンは彼の最後の妄想と言うか、願望ではないだろうか…。そんな風に考えました。
ファントムのような包帯の穴から妻を見て、娘を抱きしめ、包帯を取ると別人になり、そして最後は鳥のように飛んで行く…。
一言で言うと面倒臭い映画ですね。
もしかして本作を心底楽しめるのは、映画を見飽きた映画通か、もしくは映画関係者なのではないでしょうか?
また少し時間が経っていくと見方が変わるのかもしれません。
なんとなく『ブラック・スワン』を思い出しました。
なので、けして悪い映画ではありません。
ただ好き嫌いは分かれると思います。
120分、ラストで積み上げてきた極上の至福が一気に奈落の底に叩き落...
120分、ラストで積み上げてきた極上の至福が一気に奈落の底に叩き落とされ21gの心臓が嫌な気分になる事がある、このバードマンがそうだった。帰り道、これは自殺を肯定してしまっている…死を選ぶことで主人公はいろんな目から解放されるだから死を選んだと解釈した。ん…いや…娘の表情の変化…待てよ…風呂に浸かりながら思考は再構築、伏線が張られた娘の環境……死は受け入れないけれど演出に応えた役者は間違いなく1800の価値はあるホンモノを魅せた。哀しい話だけれど暗さが見当たらない、コースターに書かれた真実、批評家にぶちまけた怒り、マイケルキートンやっぱり主演男優賞はあなただったね。楽屋通路のしけた匂いにドラムが絡み流れる撮影に役者が挑む野心が生んだ画作り観賞2時間後に評価が逆転した「傑作」。
他人のレビユーが気になる作品
何だか不思議な世界観に浸れる映画でした
観たことのない長回し、バードマンの囁き、
時々ファンタジー(?)…
「何だこれは!?」と思っているうちに2時間が過ぎてしまいました
主人公の必死さ、あまりにも物悲しいです
失われた名声はこまで人を追い詰めてしまうものなのかと恐ろしくなりました
対する代役のマイクの軽いことったら…
対照的なマイクの存在がより主人公の憐れさを際立たせます
娘の辛辣な台詞も胸につきささりました
台詞の中で実在の俳優名がよく出てくるところが楽しかったです
才能ある代役を探す時に「マイケル・ファスベンダー」の名前が出てきたのは嬉しかった♡
土曜日の昼間の観賞で客席はそこそこ埋まっていましたが、好き嫌いはかなり分かれそうです
途中で退席される観客がパラパラいました
(最近観た映画の中では多かったかも…)
最近は観賞前に極力レビユーを読まないようにしています(☆の数をチェックする程度)
観賞後レビューを読み漁りたくなったらわたしにとってそれだけ気になる作品だという事です
本作は私にとって他人の評価が気になる作品でした
(何かしら感じた作品に対して、共感出来る人を探したいのだと思います)
センスいい!!傑作!
イニャリトゥってやっぱ面白い。
まずオープニングからかっこいい。
ゴダールを彷彿させるタイトルの出し方(クールなドラムソロで)でからぐいぐいひっぱる。
ところどころのカメラワークと場面転換がとにかくセンスいい。空からズームバックしたら場所と日替わり。後半で同じことやるのかな?っと思ったらまんま前日から同じ場所で酒くらって二日酔いで寝てたりととにかく見る物の発想に肩すかしをくわせつつ笑わせる。
ビルの窓が徐々に消えて空が明るくなり…みたいなのも舞台のセットチェンジっぽく演出されて作品の雰囲気に貢献してる。流れている音楽がシーンのテーマ曲と思いきや実際ドラマーが登場して意味不明な場所で演奏してたり楽しい。
ワンシーン長回しなんてよっぽど脚本と役者の技量がないと出来ないし、全編それをやれるなんてスゴイな。100メートル全力疾走を続けて2時間みたいなイメージだ。とにかく濃密な内容と緻密な計算がないと出来ない。
あえてフレームを切って見せない演出も想像力を刺激していい。
何よりどの役者もアカデミー級の演技だ。
うまく文章がまとまらないけど、とにかく興奮した。
ものすごく変わった映画。
アカデミー賞受賞したっと聞いたので公開日翌日に観賞しました。観終わった感想としては、「ものすごく変わった」映画でした。
なんといっても、撮影方法。ほぼワンカットで話が進んでいくのですが、物語がイマイチよくわからない。
主人公は序盤、パンツ一丁のまま何故か空中浮遊をし、軽いポルターガイストとでもいうような変な超能力を使います。
さらに、主人公リーガンの中にもうひとりの人格?=バードマンの囁き。あれもイマイチよくわからない。
よくわからないのですが、軽い笑いを誘うような場面がちょくちょくあって面白かったです。
一番爆笑したのが、リーガンが劇の裏の外でタバコを吸うのですが、重い扉が突然しまり、着ていたバスローブに挟まって身動きが出来なくなって、仕方なくバスローブを脱ぎ、パンツ一丁のまま真顔でガヤガヤするニューヨークの街へ早歩き、そのまま舞台に戻り、演技続行するシーンには最高でした(^^)
そのシーンをカメラがスムーズに動き、ワンカットのまま撮影するから凄かったですw
総合的にまとめると、撮影方法・主人公とエマ・ストーンが可愛かった所と笑いのシーンが素晴らしかったです。
マイナス評価を挙げるなら超能力シーンですw
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