バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のレビュー・感想・評価
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これノートンでしょ!
エドワードノートンが最高!青色鳥人間に、ワンカット、ドラムサウンドと予備知識を植え付けられ、サラで観にいったら面白かっただろうに。だからこそ、前情報無しのノートンの演技は面白かった!ファイトクラブ世代は、キートンより、エドワードノートン。
撮影とドラムのBGMが見事。
アカデミー賞で話題なだけはあります。見応え充分。
再起をかけて落ち目の役者が人気復活のために舞台を製作、脚本、主演と臨みだすがそれは同時に精神崩壊の引き金になって…。
バードマンの囁きにドラムの音と撮影の妙が見事に融合。特に撮影。狭い舞台裏を舐めるようにすり抜けるカメラ回しやブロードウェイの夜から朝焼けへの映像変化が主人公の心象と重なってグイグイ引き込まれます。
すごくずっしり感じる作品でした。
キャスティングと撮影テクニックの勝利。とにかくメチャクチャカッコい...
キャスティングと撮影テクニックの勝利。とにかくメチャクチャカッコいいから映像に携わるヒトはとにかく一回見とけ!スパイダーマンもアイアンマンもバンブルビーも完全にコケにして、ブロックバスター映画を批判しながらも、舞台芸術というステージからは共に見下される立場であるという二重構造。その作品にまたアカデミーを獲らせるというのは「俺たちだってこういうものを評価するんだ」っていう意地なんだろうね。あとtruth or dareを知っとかないとどういう駆け引きが行われているのかわかんないのでこちらで //t.co/60JJ3wxAOL (アタマにHTTPをつける)
異色作ですね
予告編を観た際の思いとは違う内容・・・・・
異色のハイウッド映画?ですね。
アカデミー賞作品とは知らずに観に行ってしまいました。
舞台劇の裏を見せたよくある破廉恥な展開。
その中での落ち目の主人公の葛藤。
さて、ハッピーエンドだったのでしょうか?
無。
これは、劇中劇を演じているのか、役者の私生活なのか、精神世界なのか。
スクリーン観賞している段階で、虚であることは分かっているはずなのに、自分の依って立つ次元の不確実さを思う。
名声を得る者も、名もなき者も、不確実性の中に生きているのだ。
「ブラックスワン」×「レスラー」×作家性=
私はこの映画を鑑賞してまず最初に「D・アロノフスキー映画、特に『ブラック・スワン』と『レスラー』みたいだったな」と思いました。
まずこの映画のプロットを簡単に言うなら、いわば
「落ち目の役者で、問題を抱える一人娘の父である主人公が自らの超自己や自らと対になるライバルと闘いながら生きる意味とは何かを模索し、その果てに人生をかけた舞台に立つ」
という内容。まずこのプロットが
「一人娘を持つ落ち目の父親が自らと闘いながら生きる意味を模索。その果てに人生をかけた舞台に」という『レスラー』
「ある役者が自らの超自己やライバルと闘いながら生きる意味を模索。その果てに人生をかけた舞台に」という『ブラック・スワン』
この両作品と多くの点で重なる部分があります。
また、キャスティングに関しても「役者の実人生と掛け合わせた主人公の設定」という点で両者と重なります。
D・アロノフスキーは元々「レスラー」と「ブラックスワン」の2作品を1本の映画として描こうとしていたものを2本の作品に分けたと言います。
以上の理由からから私はD・アロノフスキーの遠い遺伝子を(あくまでも個人的な視聴後感として)この作品に感じざるを得ませんでした。
また、この映画のもう一つの魅力は監督や撮影監督、音楽などの製作陣個々人の強い「作家性」の融合体としての面です。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督は独自の死生観とあらゆる時間と空間の融合と断片化という作家性を持ち
その断片を繋いでいくのが「ゼロ・グラビティ」での切れ目を感じさせないロングショットや「ツリー・オブ・ライフ」でのたおやかな光源遣いという独自の作家性をもつエマニュエル・ルベツキ
そこに刻む音楽はジャズとフュージョンという音楽ジャンルの中で作家性を磨き続けているアントニオ・サンチェスによって奏でられます
これらの融合の結果、辿り着いたもののジャンルがまさかの「コメディ」という、今まで観たことのない領域の作品に昇華されているのは間違いないです。
そのため、
「ブラックスワン」×「レスラー」×作家性=?
この方程式の解を見出すのにはまだまだ時間がかかりそうです。「答えなんて出せない」それが今の私の心境です。
パラノイアもののトレンド
アメリカ映画はこういうのうまいな。こういうのっていうのは俳優の葛藤をコミカルにファンタジックに畳み掛けていくやつだけど、様々な手法をミックスして、様々な映画のいいとこをチョイスして。
面白かった。けど、ちょっとやりやりな気がしてゲップがでるかも。
役者の苦悩
これは面白いのか?
それともつまらないのか?
答えは• • •
つまらなくはないが、面白いというほどでもない。
一風変わった映画だと思いましたね。
ただ、映像美は見事でした。
絵になる場面が沢山あります。
また見たいのか?と言われたら
数年後ならということになる。
これでアカデミー賞作品なんだね。
うーむ〜〜
ありふれた批評
かつてヒーローを演じ有名人となったが、落ちぶれてしまった役者が演劇に再起をかける。トラブルや幻覚もあり、次第に追い詰められていく…
主人公は実際、かつてバットマンを演じた役者さん。
全編1カットのような長回しが見所の1つ。
散々言われてるけど長回しには舌を巻いた。リアルと幻覚(?)が続いているため、観客は良い意味で混乱させられる。
ただ若干やり過ぎじゃないか、とも感じた。逆にテンポ悪くなってないか?
映像はとても良いけど、ストーリー的にはどうかなぁ…映画には何かしらのメッセージというか、得るものが欲しいのだけれど、この映画から明確なそれを感じる事が出来なかった。あるいは、メッセージか多すぎて良くわからんかった。
芸術家と批評家とか、現映画界へのアンチテーゼとか、情報社会とか…
関係者には受けるのかも。映画を単なる娯楽として見てる自分みたいな人間には不向きと思う。
まさに、ドカドカ爆発するアクションを求めてる観客には。
さてさて、ありふれた言葉を並べた批評でした。
直接この映画には関係無いけれど、創り出す側の方を尊敬します。
ハリウッド版「鼻」
面白かった。ストーリーはもちろん、映像もほぼ初めから終わりまでの長回しみたいになってて凝ってる。
主人公の行動や心の動きには不可解なところもあって、全ては読み解けない。
でも、よくはわからないが、心の底が揺さぶられる。
本気で人生に悩み、人生をなんとかしたいと心から渇望している人に、訴えかけるものがある。
単純なハッピーエンドではない。でも、何かはわからないが、とにかく勇気付けられる。
それは、誰でも皆、何かに悩み、あがいていることに気づくからなのかもしれない。
あがく人の姿がどこか滑稽で、結局、どんなに苦悩してても、傍目から見たら滑稽なことにすぎないんだよ、と教えられるからかも知れない。
成功にこだわる主人公。でも、周りの人は、それが本当に重要なことであるとは思っていない。
それでも主人公にとってはどうしてもそうでなければいけないと考えていて、どちらの見方も正しいように思う。
どちらの考え方も、それでいいんだ、と思えて、なぜかほっとする。
〈追記〉
見終わった感じのもやもや、特にラストの娘の晴れやかな顔の意味を考えていて、もしかしてこれは、芥川龍之介の「鼻」なんじゃないかと思い至った。
主人公は自分のプライド、名誉に固執していおり、その頑張りが滑稽でもあり、悲しくもあるのが似ている。
バードマンという過去の栄光と、現在の凋落が、「僧侶というステータス」「醜い鼻」であり、醜い鼻を除きさえすれば、自分の苦しみは解消されると主人公は思い込んでいる。
そしてラストで主人公は文字通り、鼻を吹っ飛ばすことで、醜い鼻を消すことに成功する。
しかし、その代償として得たものは、「舞台で本物の血を出した」という、やはり大衆受けしそうな陳腐な名声だった。
醜い鼻は消したが、代わりに得た鼻はやはり虚しい名声にすぎなかった。
主人公が将来、新たに得たこの名声に苦しまされるであろうことは、目に見えている。
主人公の鼻を見るたびに観客は、鼻を吹っ飛ばした事件を連想し、それが主人公の新たな呪いになるのだ。
それは、マスクさえ外せば素顔に戻れるバードマンよりも一層やっかいだ。
見方を変えれば、バードマンの名声と一体化したいと望む主人公が、文字通りバードマンと一体の顔になったようでもある。
だから、ラストシーンの病室では、相変わらず「バードマン」がなんてことないよ、という風に用を足している姿が見える。
最後、なぜこんなもやもやするラストにしたのか。
それは、主人公の成功と、成功しても根本的な問題は解決しないことのもやもやを表現しているのではないか。
一般受けはしない作品
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を鑑賞。
アカデミー賞最多4部門受賞の話題作がいよいよ公開。
20年前、世界中のスーパーヒーロー「バードマン」役を演じたリーガン(マイケル・キートン)は、自身の再起をかけて、ブロードウェイの舞台に立とうとしていた。
公開前から賛否両論と言われてきた今作。
映画作品としては興味深い仕掛けがある。
例えば手持ちカメラなどを駆使して撮影された長回しのワンカットなどは前評判通り素晴らしい。
CGとままた違った映像体験を得ることができる。
ただ、面白いかと聞かれたらノーと答えてしまう。
撮影技法や映像技術などと言うものはあくまで枝葉であり、最も大切なのは脚本と演出(間)である。
俳優陣の演技力などは文句のつけようがないほど素晴らしいのだが、いかんせん全体的に混沌としすぎている。
不思議な世界観の中でフワフワと漂っているような感覚が終盤まで続く。脚本が悪いのか主人公含め登場人物達が何を考えているのか、何をしたいのかが実に分かりにくい。
そんな調子であるから行動原理も理解できず、最後まで変人たちの集まりにしか見えない。
アカデミー賞というのは決して一般向けの作品が受賞するわけではない事は過去の歴史からも理解しているのだが、それでも何故が期待してしまうものである。
今作も明らかに一般受けしない作品であり、自分が映画マニアではなくただの映画ファンだと言う事に改めて気付ける作品でもあった。
これどう撮ったらこうなるんだよ!!!どんだけカメラ引っ張って回った...
これどう撮ったらこうなるんだよ!!!どんだけカメラ引っ張って回ったんだよ!!!って映画館にいる誰もがそう思ったと思う(あ、僕が撮影技術に関して無知なだけかも)。まるで僕がブロードウェイの舞台裏をキートンと一緒に歩いて(あるいは走って、壊して)いるかのような臨場感。いや違う、臨場感というと迫力を伴ってその場にいるかのような響きだがそうではない。どちらかというと時折キートンと見ている自分が視覚的にオーバーラップするかのような、そんな風である。
言葉足らずの無知な僕があまり技術的なことを振り返っても徒労におわりそうだが、本当にすごかった。パンフで調べると撮影監督はゼログラビティでおなじみ光の魔術師ことエマニュエルルベツキだという。たしかに昼と夜で変わるビルの見え方が鮮やかで、たぶんああいうのもワンカットに見せるためのトリックなのだろう。
ブラックスワンじゃないけれどあの舞台での演技の生々しさったら。それが映画とは違う醍醐味なのだろうけれど、舞台芸術が全部あんな風だったら心臓がもたない。あれで頭吹き飛んでたらただの元スターの名声妄執悲劇だけれど、鼻というのが最高だった。いうまでもなく最後のストーンも。
あと初めて渋谷シネマライズで映画を見たのだけれど、面白いところではみんな声あげて笑っていて(ニューシネマパラダイスみたいに)すごく雰囲気が良かった。もういっかいみたいなあ
地縛霊「過去の栄光」
過去の失敗が未来で役に立つケースはよくあることだが、今回の映画の内容はそうではない。
過去の栄光に取り憑かれ「バードマン」という巨大なノルマに苦しむ姿が描かれている。
世間の名声は主人公ではなく、「バードマン」というタイトル。そしてバードマンそのものにある。
俳優の一発屋には巨額の貯蓄が付き物だ。しかし彼が求めているのはお金ではなく、役者としての“名声”なのだ。
全編ほぼワンカットでの撮影は堕ちた役者感を伝えさせてくれるが、BGMも多く、ダラダラ進行していくため眠くなるのが本音。
映像の美しさとコマ切れしない流れが良いです。
ストーリー的には、そんなに凄いとか面白いとかは、無いですが、始まりから終わり迄、一連の流れで、一切コマ切れしないので俳優さんのセリフ覚えや、カメラマンがずっと俳優さんを追っかけているので大変苦労した作品なんだなって分かりました。
俳優陣の冴えた演技力に脱帽
あまりトゲトゲしくないブラックコメディが満載していてかなり笑えたw
マイケル・キートンが懊悩するシーンの表現力、ファイトクラブ以上にぶっ飛んだ演技するエドワード・ノートンが強烈なimpact これがたまらない。
脇を固める俳優陣からも目が離せなかった。娘役のエマ・ストーンが不安定な心情と父親へのもどかしい想いの表現や、主人公の親友を演じるザック・ガリフィアナキスが、舞台を裏から支える絶えない気苦労の描写。
何処を見ても一流の演技力をぶつけられて、ブロードウェイの世界に入り込めた。
注目してたカメラワークも秀逸。ほぼ全シーンが途切れる事なくラストまで繋がってる。この撮り方で作り上げるのは卓越したセンスの賜物。
俳優陣もリテイクなしの演技を要求されたとか。
手元に置いていつでも観たい作品の一つにになった。
マイケル・キートン最高!
独特なカメラワークで臨場感が抜群でした。マイケル・キートンのバットマンを知っている事が前提なような所は有りますが、とても演技に説得力が有りました。脇を固める役者陣のキャスティングも見事。中でもエドワード・ノートンの演技は見応えが有りました。各キャストの演技が相乗効果で盛り上がっている印象も。マイケル・キートンには主演男優賞を獲って欲しかった。
全426件中、361~380件目を表示