「ヒーローは一度限りの劇薬」バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) Awareさんの映画レビュー(感想・評価)
ヒーローは一度限りの劇薬
観たのが随分前なのでだいぶ忘れているところもあるが、解釈の分かれる難しい映画だなあと思った。私は、リーガン・トムソン(マイケル・キートン)の正体はマジでバードマンで、本当に超能力があるんだと思いながら観てた。そんなわけないだろうと鼻で笑われるかもしれないが、映画だから何があったっていいよね……。
誰だって、自分ではない誰かになりたい。できれば自分よりずっとイケてるやつ。
リーガンはバードマンのイメージを払拭して演技派俳優と認められたいし、彼にとって脅威となる年下の俳優マイク・シャイナー(エドワード・ノートン)だって、傍からは順調そうに見えても、実は今の自分に満足できてない。リーガンの娘サム(エマ・ストーン)がいけないお薬に手を出しちゃったのも、もしかしたらそういう気持ちがあったからかもしれない。
そこで「ヒーロー」について考えてみる。ヒーローは、最高にカッコよくて強い存在で、特に男性にとっては、変身願望の対象として最高位にあるものだと思う。(そしてハリウッド俳優にとって、ヒーロー映画に出ることは最も早い成功への近道だ。たとえばまだハリウッドに進出したてだったクリス・へムズワースはソーを演じて一躍世界的なスターになり、一度は落ち目になったロバート・ダウニー・Jr.も……まあ「シャーロック・ホームズ」もあったのかもだけど、アイアンマンで見事に返り咲いた。)
ただ、問題はその後だ。もうヒーローなのだから、別のヒーローにはもうなれない。ヒーローは一度限りの劇薬だ。リーガンは、ヒーローになってしまったがゆえに、ほかの何者にもなれなくなってしまった男なのだと思う。
そんなリーガンはブロードウェイで、「無知がもたらす予期せぬ奇跡」によって称賛を得る(この奇跡によって実は彼は死んでいた、とみることもできると思う)が、それは束の間のことで、病院で手当てされた彼の姿はまるでバードマンそのものだ。つまりは元の木阿弥に戻ったのかもしれないけど、確かに奇跡を起こして去ったリーガンの表情は晴れやかで、救われたのかな、と私は思った。