アメリカン・スナイパーのレビュー・感想・評価
全691件中、121~140件目を表示
戦争映画の最高峰
戦争というものは誰一人と「幸せ」にはしてくれない。例え勝利しようが、「喜び」は分かち合えたとしても「幸せ」は遠ざかっていく...。
この映画はそんな戦争の核心を追究した、恐ろしい傑作である。
ある人は「この映画は戦争を美化している」など批判しているようだが、そんな事は無い。むしろ、この映画は戦争を強烈に非難している。はっきり言ってこの映画は容易に批判するべきではない。
主人公クリス・カイルは仲間を守るため、「狼」たちを容赦なく、殺していく。中には女性や子どももいたが、「番犬」として「国」や「羊」を守り抜くにはそうするしか他になかった。しかし、戦争の日々を積み重ねていくうちに、大事な何かを失っていき、PTSDをわずらってしまう。
この映画の特に感心させられる所は、主人公を伝説と呼ばれるヒーローのように描きながら、本当は「羊」を襲う悍ましい「狼」を描いているということである。
自分の信じてきたものは本当に正しいことだったのか、クリス・カイルはその答えに悩み続けてきたわけだが、最終的に、まるで天罰が下ったかのように彼は殺されてしまう。しかもその事件が起きたのはこの作品の制作途中だったらしい。
だから、この映画の着地点は大きく変わり、予定より印象も大きく変わったと思う。
内容も心に残るシーンはいくつもあった。例えば、この映画の一番の見所ともいえる砂嵐のシーン。臨場感たっぷりで、まるで自分がそこにいるかのよう。終始手に汗握る緊張感があり目が離せなかった。
他にも目を背けたくなるシーンも多々あり、今なお続く戦争の実体を目の当たりにすることになる。
本当に大切なことは何か、自分の信ずるものは本当に正しいのか、この映画は戦争の愚かさだけでなく、そのような生きるための教訓やメッセージを重くしかしハッキリと伝えてくれるもの凄い映画である。
クリス・カイルに捧ぐ。
評価:★★★★★ 100点
映画館でも、自宅でも鑑賞済みの『アメリカン・スナイパー』
米国海軍特殊部隊ネイビーシールズの隊員クリス・カイルの自伝を映画化。
カイルはイラク戦争の狙撃により多くの仲間を救い「レジェンド」と異名をとる中、4年間の過酷な戦争経験から、ぬぐえない心の傷に苦しんでいく姿を描いていく。
監督は巨匠クリント・イーストウッド、そして主演はブラッドリー・クーパーとハリウッドを代表する2人の初タッグ作品である。
感想は、私の中で戦争映画No.1であり、この先も抜かれることはないであろう作品となった。
まず、冒頭からの衝撃。
子どもと女性を射殺。だが、殺さなかったら多くの仲間を失っていた。
劇中で彼は
「あの蛮人を殺した理由を、俺は神にきっちり説明できる」と言い放つシーンがある。
強い愛国心が彼をそうさせ、そして共に戦った仲間を殺された復讐心によりその想いはより、強固なものとなっていった。
カイルがイラク戦争で射殺した数は公式では160人以上、非公式では250人以上である。
人が人を殺すという行為。
まともな精神なら恐らく耐えること出来ない。
戦場から家に帰っても、彼が苦しんでいく姿がとても丁寧に描かれている。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)となり、赤ちゃんの泣き声、後ろを走っている日本車が気になり、彼の心が休まる場所がなくなってしまった。
「あなたは家に帰ってきたけど、心は戦場に置いてきたまま」と妻のセリフ
4度戦地に行ったことで戦地にいることが普通となり、家族と過ごす平凡な日々が異常となってしまったのだ。
そして、自分が最も印象的だったのは奥さんと電話中に突如襲撃にあうシーン。
電話から聞こえる音は彼の声ではなく、叫び声、射撃音、爆発音のみになるのだ。夫が殺されかけている現状に奥さんの立場を考えたら胸が張り裂けそうになる。
平和とはなんだろうか。
戦争や悪の上に成り立つものなのか? とても考えさせられる作品である。
ラストも後味は悪い。
でも、ぜひ観て欲しい。
巨匠クリント・イーストウッドはまた1つの伝説の映画を作った。
そして余談だが、カイルが男としてカッコ良いと思ったセリフ
妻(カヤ)
「私は男運が悪い」
カイル
「男運のない生き方が、今の君を作った。そんな君が俺は好きだ」
言ってみたい(笑)
アメリカでは戦争賛美だと賛否両論分かれた作品ではあるが、オススメです。
観る際は音に注目を!!
戦争で刻まれた心の傷
1番オススメの映画
戦争とその英雄がリアルに
これも飛行機内で。(英語)
この映画をめぐって、戦争を賛美する内容かどうかで保守派とリベラル派の間で大きな論争が巻き起こったらしい。
時間がたったいま観てみると、戦争を賛美している映画とは思えない。
イラクで戦う兵士の姿を、クリント・イーストウッド監督がリアルに客観的に描いた映画だと思う。
よその国に乗り込んで女・子供を含めて160人以上射殺した男をなんと呼べばいいのか。
仲間の米兵の命を救った英雄と、ストレートにいうのをためらわせるものがある。この映画を見て単純にこうなりたいと思う人がどれだけいるだろうか。ヒーローというよりも、むしろ、国家という巨大な歯車に潰されないよう必死に抵抗する男の姿のようにみえる。
印象的なのは、父親と男の子の交流のシーン。
テキサス生まれでカウボーイに憧れた主人公が、こどものころ父親から教わったように、子供に猟のやり方や銃の打ち方を教えるシーン。
こういう姿が親子の絆として牧歌的に描かれるのがアメリカの社会。
最近まとめてみた西部劇の世界では、銃を自装していることがあたりまえの社会だったが、それが文化として伝承されていることを思い起こさせる。
原作は実在の兵士の自伝。
主人公クリス・カイルは、戦争の後遺症であるPTSD(心的外傷後ストレス症候群)で苦しむ帰還兵や退役軍人を助ける活動を行ってる最中、銃で撃たれて死亡している。
クリスの異常なテンション
冒頭のつかみがいいですね。いきなり引き込まれます。
割と軽いノリで軍隊志願するクリスですが、そのノリからは想像つかない強烈な意志と愛する妻を娶り、イラクに乗り込んでいく彼はまるで、イケイケ営業マンの様です。
彼の「祖国を守る」という意志は、軍人であれば誰でもあるものだろうと思うが、それが戦地で何かしら萎えてしまったり、一度帰国すると二度目の戦地は行きたくなくなったりするものだが、クリスは目の前で友人が撃たれても、弟に悪態付かれても、妻に懇願されても、その信念は萎えることなく4回ものイラク派遣をされる。
そこまでいくと、戦地でのメンタルが普通になり、家族と過ごす平穏な日々が異常になってしまう逆転現象が起こる。
そんな彼の逆転現象を戻してくれたのは、同じ軍人たちだったのも救いだが、最期も同じ軍人だったというのも出来過ぎた実話。
でもイラク戦争自体肩入れできない自分は、途中「シリアンスナイパー」の方が応援したくなってしまった。イーストウッド監督なら、「硫黄島~」「~星条旗」の対になる作品あるから、イラクサイドの映画作品も観たいわぁ。まあ無理やろうけど。
「マイ・ブラザー」「ザ・マスター」など戦争の後遺症を描いた作品を思いだしたが、近年の話だし具体的でより迫るものがあった。
♪This is the end~
♪This is the end, Beautiful friend
This is the end, My only friend, the end♪
イーストウッド作品は毎回積極的に見に行こうとは思わない。
巧みな攻撃、完璧な守備、華麗なパスワークだけど終わってみたら
0対0のサッカーの試合を見たような気分になるからだ。
だが、今回は少し違った。
プレイヤー(主人公)が逝ってしまったからだ。
意図せずプレイヤーは神格化され、そのチームは勝利したかのような錯覚に陥る。
作品はあくまでも0対0のサスペンデッドゲームなのに。
自分の記憶の中では主人公が逝ってしまうのは監督・主演作品でいうと
『センチメンタル・アドベンチャー』『グラン・トリノ』
だけのような気がする。
この国の原罪やPTSDの蔓延の事実だけを放り投げて、
あからさまな糾弾をしないのは
嫌いではないし、『ミスティック・リバー』のように反旗(半旗ではなく)の象徴として
の国旗の出し方などはむしろ好きなほうである。
しかし本作単体でみると、明らかな主張をしない0対0は図らずとも一方の勝利という誤解を招く。
ましてや渦中のテロリストの顔写真なんか出すと、
確信犯的戦争肯定派に利用されてしまって、ダーティ・リバタリアンの44マグナムでも解決できない。
最後にちょっと待った、そうはさせまいと、
無言のエンドロールや、鎮魂曲としてはニニ・ロッソのトランペット1本の方が効果的ではあるが、
あえてそうはしないでモリコーネのオーケストラ版で震える心を沈静させたりとか、
ラストを文字だけの表現にした所で、もう抑えられはしないだろう。
「イーストウッドさんこの状況をどう考えているの?」
「わざとだよ、狙いだよ、これがアメリカンスナイパーだよ、戦略大作戦だよ make my day」
「しっつれいしました!」
♪じーすいずじーえーんd♪
ノンフィクション
さすがイーストウッド
前から見たかった作品でやっと鑑賞できた。イラク戦争において伝説と呼ばれた男の戦中、そして戻ってからの苦悩を描いている。
この作品はアメリカにおいて、賛否両論で批判する人も多かったようだが、それはその人の戦争に対する考え方による問題で、素晴らしい映画であることは間違いないと思った。あまり、派手な演出を行わず生々しいリアルを描写したクリント・イーストウッドはもちろん、ブラッドリー・クーパーの迫真の演技とシエナ・ミラーの情の溢れる演技は素晴らしかったと思う。イーストウッド作品のラストのシーンの描き方が個人的には好きで、今作品もラストシーンとクレジット含めてとてもと良かった。
イーストウッドの戦争への考え方がどうなのかは知らないが、クリス・カイルという"伝説"と呼ばれた男の生き方を描いた映画としては申し分なく、素晴らしい歴史に残る映画であることは間違いないと思った。クリント・イーストウッドとブラッドリー・クーパーに賛美したい。
アカデミー賞逃したかぁ~
見つめる
スナイパーというだけあって、「見つめる」ことが随所に見られましたね。
当然、スコープを見つめる。
帰国時の家で、モニターを見つめる。
妻と二人のベッドで、虚空を見つめる。
新生児室のガラス越しに娘を見つめる。
そして見つめる先にクリス・カイルが見出すのは、常にありのままの外界ではなく、クリス・カイル本人の心だったのだろう思います。
今のアメリカをただ淡々と描き出そうとしたこの作品には、決して論争を呼ぶような政治的な偏りはないのだろうと思います。
ただただ、私たちはいったい何を見ているのだろうか、その自問をアメリカ国民に、そしてこの映画を観る者すべてに促すものだったのだろうと思います。
『グラン・トリノ』を撮ったイーストウッドの流れが、この作品にはあると思いましたね。
使命感という“病魔”
スナイパーというのは、極めて隠密性の高い狙撃を行う人間のことの。
あなたの現在位置から突然弾が飛んできて、あなたは即死する。
即死しなかったら、あなたは痛み苦しみで倒れ、トドメの弾丸を再びもらうか、
あるいは、あなたを助けようと駆け寄った人間を誘き寄せる餌として、トドメを刺せずにする。
長距離射撃というやり方であるため、被弾は銃声より先に発生する。
正々堂々という意味では、極めて卑劣なやり方である狙撃。しかし戦場で正々堂々なんて言葉は存在しない。
いかに効率よく、いかに確実に殺すかが焦点になる。
第二次大戦時に狙撃手として名を馳せていたシモ・ヘイヘという人がいる。
彼は生前、おびただしい数の人間をライフルのスコープに捉え殺してきたが、その行為と功績についてを「上が命じたからやったまでのこと」だと語っている。
今作の主人公クリス・カイルも、シモ・ヘイヘ同様、一貫して感情的なものを語らず、「蛮人をやっただけ」と言い、自ら行った殺人についてを正当化し、愛国心を語った。
アメリカという国に住む人間が愛国心を掻き立てたのは、今日まで続くテロによる被害だ。
それはなにもクリスだけの話ではない。軍に志願した人間のほとんどが抱いた憎しみという形の愛国心を背負い、出兵した。
まさに“背負った”だった。
戦場で彼らは更なる憎しみをもらう。
仲間が身体障害をもらい、殺され、出兵以前からあった憎しみは更に強大化していくが、それらを積み重ねるたび、彼らの愛国心はより強固なものになり、活気づく。
しかし軍という枠組みで行動しているアメリカに対して、相手は不特定多数のテロ組織あるいは本意不本意からなる市民だ。
つまり終わりが見えない。シモ・ヘイヘが活躍した時代とは異なり、明確な終わりを見出だせない戦争に突入してしまったのだ。
先の戦争とは違い、不条理な状況を押し付けられる戦争。
クリスの愛国心に決着がついても尚、彼は現代の戦争という病魔に悩み続ける。
これが戦争。人体欠損といったショッキングな映像を見せる状況と共に、もっと身近な部分で戦争を感じさせる。
クリスを見て、何を思うか。
全691件中、121~140件目を表示









