この国の空のレビュー・感想・評価
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少女がトマトを囓るとき
終戦70周年記念作品。
原作は未読です。
少女と隣人の国語教師の間に漂う危うげな雰囲気に引き込まれました。夏の暑さと汗がそれを増幅していくようで…
太平洋戦争も末期に差し掛かり、空襲によっていつ死ぬとも知れぬ少女の命が、身を焦がすような欲情によって活き活きとした輝きを放っていく様が圧巻でした。
トマトを囓るシーンのエロさにどぎまぎさせられました。
その後の処女喪失と水浴びのシーンの衝撃も忘れがたい…
少女から女への脱皮していく姿を、二階堂ふみが妖艶に演じていて、すごい俳優さんだなと改めて思いました。
[余談]
初めてミニシアターで観た映画でした。
昼メロ‼️❓
戦争もこんな風に忘れられていくのでしょうか?まるで時代錯誤の描写でした。 内容はお昼の韓国メロドラマのチープ版のようです。 二階堂ふみが微かにエロいですが。 ノスタルジーのかけらもありません。 つまり、下品な映画です。 下品が好きなら、是非。
こんな時代も、、、、、。二階堂
戦争で残された年頃の女性 暑い夏、汗、蝉の声、女ごころ。 二階堂の色気、、、、。 後の水浴び。 彼女の気持ちを良く表してる演技でした。 戦争が終わり帰ってくる 部屋に行かない二階堂 最後のシーンの二階堂のアップ 戦争とは逆に静かな映像 でも、二階堂の演技だけしか残ってないかな。
「私が一番綺麗だった時・・・」
戦時下での恋物語。二階堂ふみさんの繊細な演技が素晴らしい。 軍隊で戦うこと、被災することだけが戦争ではありません。 「私が一番綺麗だったとき、まわりの人がたくさん死んだ・・・。私が一番綺麗だったとき、私の国は戦争に負けた・・・。」二階堂ふみさん演じる主人公の里子の言葉が胸に刺さります。 戦時下の暮らしの色の少ない映像の中で、ひまわりの黄色とトマトの赤い色の鮮やかさがすごく印象に残りました。
継続は力なり
この監督の名前を、脚本家として、はるか昔から、よく見かけました。 生活圏の建物はセットでした。生活備品の小道具は新調したて。防空ずきん、モンペも浴衣もパリッとしていました。手ぬぐいは一度も汗を拭いたことがなく、髪はきちんと櫛がはいってキラキラ。ゲートルにいたっては土色のフリースに見えました。 演技は舞台風だと思います。自然さがなくて、硬くて、場になじまず浮いてきます。出演者は全員達者な役者ですが、わざとらしくつくってありました。 半分以上過ぎ、狭苦しいセットを抜けてロケになり、川辺で母子が弁当を食べます。母が市毛のことを話して、男と女の本題が急に出てきます。 ですが、母子で揃って歌を歌い出します。 二人並んで立ったとき「うわ~歌うな歌うな」って、心の中で願いました。ダメでした。母子は川辺で、並んで立って歌い出しました。 ベタで、泣きの入っていて、共感性羞恥心と、ある種の恐怖をおぼえました。 次は境内で、市毛と里子が二人で弁当を食べ、にわかに欲情します。想像力がロマンポルノですので、人間は食べたらヤるだけでヤったら寝るだけです。 が、市毛にせめ寄られて後ずさりして、泣きそうになりながら、一転、晴れ顔になって、ヒシッと抱きつく里子役二階堂ふみの演技は、揺れる女心が表情に出て、立派なものでした。 女に執着と期待を持っている人の書いた脚本でした。戦争の扱いは主軸になったり、ぼやけたりします。戦争の哀しみを描きたいのか、戦火の恋を描きたいのか、もやもやします。昭和ポルノ出身の映画人の限界を感じる映画でした。 なんだろう、なんだろうと、もやもやしながら二時間。結末は字幕で、里子は私の戦争がこれから始まるのだと思った、というものですが、それを言うために二時間を費やしたのだとしたら、冗漫でした。また、文字情報にするならなぜ映画なのかと、疑問に思いました。核心をテロップで片付けた映像作品を見たのははじめてでした。 母の水浴びと里子の入浴シーンは、どっちも背中だけで非常に不自然でした。裸撮るなら裸になる必然性がほしい。脱がせたいから脱がせたけれど、メジャー女優だからせめて背中だけ、という半端さが、不自然でした。半端に撮るなら、無いほうが自然です。そもそも女優を脱がすなんて昭和の映画がやることです。──たしかに昭和の映画人がやったことでした。 暑さがちっとも感じられません。登場人物は暑がったり、汗したりしていますが、ハリボテのセットと相まってこっちにはそれが伝わってこない。 暑くないから夏がない。夏がないから終戦がない。 脂も滲みもほつれもない。汚れもない。経年変化もない。人にもモノにも生活感、銃後感がない。リアリティがないにもかかわらず、演劇風にも根拠がない。ないない尽くしでしたが、想定内のクオリティでした。
トマトを食べるだけなのに色っぽいなんて…
戦争映画だからもっと目を覆いたくなるようなシーンが出てくるかと思いきあ、日々の生活が淡々と描かれててそんな悲惨な感じはしなかった。 比較的裕福な家庭だったせいか話し方のせいか皆さんお上品で… 戦時中でもいつもきっちりとした身だしなみをし、礼儀正しくて物を大切にしていて勉強になりました。 神社でのシーンと長谷川博己さんがトマトを食べるシーンが最高にドキドキした! エンドロールの詩も良かったです。
ラジオドラマを聴いている感じ
昭和20年、東京杉並を舞台にした現在一人暮らしの銀行支店長と隣に住む19歳の娘の物語。 物語は目を瞑ってでも分かりやすい内容。 しかし、前半台詞が丁寧過ぎるのか、小説を大事にしているのか、色々喋り(語り)すぎも困りもの。 NHKラジオドラマの様である。 しかも古臭い。 後半からようやく男と女の関係が始まるのだが、、、 R指定で無い理由も判明。フェチ構成。 ホント女心序章の様な作品。 「あれっ?これで終わり?」と呆気にとられた。 悪くは無いんだけど、古臭い男目線の女心なんだよね。 淡々と始まり淡々と終わる。 二階堂ふみも頑張ってはいますが、これより前の作品「私の男」よりかは女を醸し出しておらず。 (醸し出す前に終わった。母親の方がまだ醸し出していた。) 戦争時をテーマにしていても被災もせずにエンド。 ポスターに興味を持った人間としては合格点は与えられません。爆撃機は何なのだ? もっと戦争時厳しくなる生活と絡ませて頂きたかったものだ。 タイトル的にもよう分からん映画でした。 「この世界の片隅に」ならぬ「この世界の片隅で少女は戦争そっちのけで愛を育もうとする、、、」的。 前者がよっぽど良く見える映画であった。 時代背景をしっかり反映させていればと思うとガッカリである。時代背景にソッポ向いてる2人をメインにしても映画としては良くは見えない。
戦時下の女達
戦時下の庶民の暮らしはこんな感じだったのかなぁと、興味深く見させてもらいました。 終戦間近の東京とあらば、もっと無残な光景を想像していましたが、この映画の舞台となった杉並辺りは、劇中を見る限りでは思いのほか空襲を免れることができていたのでしょうかね。 そんな普通では無い状況ながら、普通では無いなりに、つつましやかな暮らしがあったんだなと、まあ当たり前のことではあるのですが、なかなかこう言うことを知る機会も無いもので、地味な内容ではありましたが最後まで興味深く見ることができました。 まあちょっと場所が違っただけで、また劇中とは全然違った生活状況ではあったのでしょうけどね。 しかしこの映画は、とにかく食べるシーンが印象的でしたね。 やはり生きることは食べること、ってことなんでしょうか、意外と戦時下でも淡々と、思ったよりは悲壮感に苛まされることなく暮らしている中で、でも食べることに関してだけは、いろいろとあったようで・・・。 特に食料を巡った里子の母親と伯母のいがみ合いは、なかなかのインパクトでした、あんな状況下でも、人間ってああ言った行動とってしまう生き物なんだなと、妙に生々しさを感じた一コマでした。 そして戦時下であっても、やはり女は女、そんな女盛りの歳に・・・一番綺麗な時に、誰も周りに男がいない、そんな切なさ・焦燥感が、二階堂ふみの演技によって、思いっ切り見る側にも伝わってきましたね。 劇中とは違って男の人を知ることもなく焼け爛れた方が多くいたのだろうと考えると、胸が苦しくなります。 しかし化粧をしてなくても美しく艶っぽい二階堂ふみはさすがの存在感、説得力がありました、後姿ヌードも綺麗でした、言葉遣いもまるで当時の人がそこにいるようで、素晴らしかったなと思いました。 母親役の工藤夕貴もいい味出してましたね、あの時代ならではの複雑な母親としての心情と女としての心情に、思わず共感でした。 近隣で唯一戦争に行かなかった若い男、と言ってももうすぐ40なのに若いと言われるその状況が、どれだけ男がいなかったのかを如実に表していましたが、長谷川博己演じる市毛と里子の恋模様は、まさしく時代を象徴するような恋模様で、昭和のエロティックさを醸し出した艶かしさがとても印象的な関係性でした。 しかし長谷川博己が妙にエロかったなぁ、逆に彼だけリアルじゃない感じではありましたが、映画的にはOKですね。 それにしてもラストがそう来るとは、まいりました、今後どうなっていくのやら・・・。
ただ
ひたすらに二階堂ふみさんのブサさが際立つ一作でした。終戦時と言う時代背景はあってもなくてもシナリオ的には成り立ちそうな印象を受けたのだけど、一方で 戦時中もしかしたらヒロインのように戦争そっち抜けで煩悩に頭を支配される輩が沢山いなのかも、と思う方がよほどリアリティがあるのかもしれないと考えた?
期待していたよりも
テーマが小さく感じて、そしてあまり共感できなかったので、物足りなさを感じました。一方で細かな絵作りをしていたであろうので、細部のこだわりについてはもう一度目を皿にして見たい気もします。
昭和20年4月から8月の日本
毎日のように繰り返される空襲に耐えながら主人公(二階堂ふみ)は母と二人、必死で生きていた。 隣人は妻と子供を疎開させた男(長谷川博己)で、何かと助け合っていた。 若い男はみんな戦地に行ってしまい、身近で比較的に若い男は隣人だけだった。 昭和20年4月から8月の日本での生活が丁寧に描かれており、生き抜くことへの切実さと、対極的なあきらめの気分が訴えかける。
太平洋戦争の話がラストシーンで女の闘いに
時代を感じるザラっとした画の質感 昭和20年東京大空襲後の杉並はまだ無事 匂いフェチ 畳の上では痛かろう。行水で見せた背中はきれいでよかった。本人かどうか怪しい。 「わたしが一番きれいだったとき~」
二階堂ふみが素晴らしい・・
終戦70周年記念作品。久しぶりに素晴らしい邦画、しかも戦争映画を観た。二階堂ふみの演技力に脱帽・・終戦当時の山手の言葉や話し方を見事に再現している、と思う。主人公の彼女の許されない恋や母子家庭の母親との確執、焼夷弾の恐怖など観る側に伝わって来るものがあった。また主人公の入浴シーンはドキリとするものがある。最後の「わたしが一番きれいだったとき」の詩は良かった・・2015年の邦画。
匂い立つ『女』の体
戦時中のドンパチよりも、そんな時代に生活していたごく普通の『少女』に焦点を当てたストーリー。
少女から『女』へ変化してゆく様子が、匂い立つように撮られている。
なんとも静かに淡々と進むが、所々でグッと惹き付けられるので飽きはしない。
特に、神社で不完全燃焼して火照ったままの心と体を、トマトを口実にぶつけに行くシーンは見応えがある。
勢い良く庭のトマトを収穫して井戸で洗う様子が、素晴らしいカメラアングルでドラマチックに撮られている。
ラストは突然訪れ、詩の朗読と静止画がゆっくりアップになるのだが、これがまた良い。
結局何だったの?と思う人もいると思うが、このスッキリしない余韻こそがこの映画の良さだと思う。
また、二階堂ふみの口調がいったいどうしちゃったの?と思えるほど棒読み風で気になったのだが、あえてあのような感じにしたのだろう。
戦時中に何もかもを抑制しながら生きる様子が、そこにある。
そんな中「お母さん…」など感情のこもったセリフは物凄く映えて良かった。
切ない・・・
東京で疎開する母 娘を通して戦争の恐ろしさを感じました
そして ご飯が食べられることが何て幸せなことなのだと
さらに空腹がまずしさが 人間のやさしさまでも奪ってしまうということ感じさせられました
あの空襲警報に恐れおののき 振り回される様は観るをつらくさせます。
娘と妻子ある男性の恋に切なさを感じましたが
ラスト 主人公里子の気持ちがスクリーンに文字で現れるところが
とても惜しい気がしました
字で表すのでなく 映像でこのような気持ちを表すことはできなかったのか そして ラストの
私が一番きれいだった時のあの詩も心に響くのですが
これも詩ではなく映画全編で詩の力を借りず描いても良かったかなとも思いました
それを除いては 良かったと思います
二人のラブシーンもドキドキしました
私は好きな作品です
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