劇場公開日 2015年8月8日

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「継続は力なり」この国の空 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0継続は力なり

2020年7月11日
PCから投稿

この監督の名前を、脚本家として、はるか昔から、よく見かけました。
生活圏の建物はセットでした。生活備品の小道具は新調したて。防空ずきん、モンペも浴衣もパリッとしていました。手ぬぐいは一度も汗を拭いたことがなく、髪はきちんと櫛がはいってキラキラ。ゲートルにいたっては土色のフリースに見えました。

演技は舞台風だと思います。自然さがなくて、硬くて、場になじまず浮いてきます。出演者は全員達者な役者ですが、わざとらしくつくってありました。

半分以上過ぎ、狭苦しいセットを抜けてロケになり、川辺で母子が弁当を食べます。母が市毛のことを話して、男と女の本題が急に出てきます。
ですが、母子で揃って歌を歌い出します。
二人並んで立ったとき「うわ~歌うな歌うな」って、心の中で願いました。ダメでした。母子は川辺で、並んで立って歌い出しました。
ベタで、泣きの入っていて、共感性羞恥心と、ある種の恐怖をおぼえました。

次は境内で、市毛と里子が二人で弁当を食べ、にわかに欲情します。想像力がロマンポルノですので、人間は食べたらヤるだけでヤったら寝るだけです。
が、市毛にせめ寄られて後ずさりして、泣きそうになりながら、一転、晴れ顔になって、ヒシッと抱きつく里子役二階堂ふみの演技は、揺れる女心が表情に出て、立派なものでした。

女に執着と期待を持っている人の書いた脚本でした。戦争の扱いは主軸になったり、ぼやけたりします。戦争の哀しみを描きたいのか、戦火の恋を描きたいのか、もやもやします。昭和ポルノ出身の映画人の限界を感じる映画でした。

なんだろう、なんだろうと、もやもやしながら二時間。結末は字幕で、里子は私の戦争がこれから始まるのだと思った、というものですが、それを言うために二時間を費やしたのだとしたら、冗漫でした。また、文字情報にするならなぜ映画なのかと、疑問に思いました。核心をテロップで片付けた映像作品を見たのははじめてでした。

母の水浴びと里子の入浴シーンは、どっちも背中だけで非常に不自然でした。裸撮るなら裸になる必然性がほしい。脱がせたいから脱がせたけれど、メジャー女優だからせめて背中だけ、という半端さが、不自然でした。半端に撮るなら、無いほうが自然です。そもそも女優を脱がすなんて昭和の映画がやることです。──たしかに昭和の映画人がやったことでした。

暑さがちっとも感じられません。登場人物は暑がったり、汗したりしていますが、ハリボテのセットと相まってこっちにはそれが伝わってこない。
暑くないから夏がない。夏がないから終戦がない。
脂も滲みもほつれもない。汚れもない。経年変化もない。人にもモノにも生活感、銃後感がない。リアリティがないにもかかわらず、演劇風にも根拠がない。ないない尽くしでしたが、想定内のクオリティでした。

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津次郎