博士と彼女のセオリーのレビュー・感想・評価
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よく出来ている
ホーキング博士と彼の奥さんの話。
相対性理論やら量子論は、インターステラーでも出てきてちんぷんかんぷんだった覚えがあるが、今回もやはりちんぷんかんぷんだった…(こんなに頻繁に映画に出てくるのなら勉強しようかな)。
しかし!博士が病気を患ってから声を失うまでの心の葛藤が泣けて泣けて!
この作品の素晴らしいところは、そのような心の声を言葉に出していないところ。すべて表情や行動で表現している。
愛があれば何でも出来ると思われがちだが、恐らく愛だけではどうすることの出来ない非情な運命も存在するだろう。結果的に二人は別々の道を歩んで行くことになったみたいだが、結局のところ、ふたりは幸せだったのではないだろうか。
最後の最後、時間を遡っていく場面で心がぎゅっと痛くなった。
素敵な映画でした。、
トヴェイト
最後まで恋愛に視点を置いた単なる伝記映画だった。
病気や研究について取り立てて大きく取り上げるでもなく、二人の心情、というより妻の心情を主に描いた映画であった。
レッドメインの演技はさすがのオスカーウィナー演技だし、映像や演出も美しかった。
素敵な普通の伝記映画だった。
そう“最後”までは。
だがそれが、“最後の最後”の巻き戻しと宇宙をバックにしたエンドクレジットにより大傑作になってしまった。
その手法自体は別に目新しいわけではないが、この題材でこの演出をやられるのはズルい。思わず涙が出てしまった。
それにしても、これや「6才のボク」を押さえてオスカーを受賞したバードマンが本当に期待値マックスになってきたな。
セオリーはわかりませんでしたが、
ポイント鑑賞でタダ観。
滅多に行かない金曜日のレイトショーで見ました。
エディレッドメインがオスカーを獲ったことと、ワーキングタイトルが製作している位の前知識で観て来ました。
地味で誠実な作りの映画で好感を持ちました。
物理だか宇宙だか時間だかの話は、ど文系の私にはまったく解らず、時間の話と夫婦の話はリンクしてるのだと思いますがリンクして理解はできませんでした。
自分のアホさに悲しくなります…
夫婦の話も、喧嘩したりすれ違いにフォーカスしたりが少なく、ちょっとした表情などで亀裂が表現されていました。
愛し合って結婚はしたものの、愛だけでは続かないのですね。自分の研究への欲もあるし、普通の家庭への憧れもあるし、介護するだけじゃなくて労られたいし、妻に気を使わずアホもやりたい。なんかどっちの気持ちも分かる気がしてやるせなくなりました。
2人ではどうにもできない事態に打った手が、別の大人を家庭に介入してもらうことでしたが、男が来ればジェーンと惹かれあい、女が来ればスティーブンと惹かれ合う。そこでおこる嫉妬を押し殺して、潤滑性を得る生活。なんという皮肉。
結果、スティーブンとジェーンは別れを選びました。ジェーンとジョナサンは再婚したようです。
スティーブンも看護師と結婚したんでしょう。
スティーブンとジェーンは愛し合っていたでしょう、別れるときも。でもその愛は互いを縛りはしても楽にするものではなかった。ベストを尽くしたと言って泣く2人のシーンが印象的でした。
スティーブンが見つけたかった全てを説明する方程式と夫婦の物語とのリンクが読み取れていないので、作り手の想いは理解できず消化不良ですが、夫婦の物語だけを観たとしても、なかなか良かったです、という感じです。
アカデミー主演男優賞!
エディ・レッドメインの名演技は絶対に観るべき!
主人公が科学者なので難しく感じる所もあるが、ジャンルはサイエンスよりもヒューマンドラマに近い。
最後の庭のシーンでジェーンと一緒に子供達を見つめるシーンがとても印象的で、思い出しただけでなんか泣けてくる。
この映画の象徴的なシーンだった。
ただ、また観たいかと聞かれたら、どーかなという感じ。
あまりにも綺麗に描き過ぎた感が否めない。
うん、
二人がであって結婚するまでは、よくある学生時代の「のり」を感じた。好きな人と辛いことを共有してそれを乗り越えたい、後のことだってどうにかなる的な、無鉄砲な愛の形だと思う。
それから結婚し、病状が重くなっても、ジェーンは献身的に彼を支えた。喜びは二人で共有した。
そして、別れる時もお互いを思い、思った、これも愛の形である。
誰に共感できるわけでもないし、理解し難いことだらけだった。
時間を経る中で変わっていく愛の形を見ることができた。やっぱり愛って不確かだし、信用ならないものだとおもった。
映画を見て心に響く何かを感じられるようになりたい。
共感できるわけでもないのに、すっと映画に引き込まれた。
男と女のセオリー。
かの有名なS・ホーキング博士の知られざる半生を綴った本作。
存命人物を神格化せず、その天才部分は大いに評価しながらも、
私生活における諸問題を彼と彼女の方法で体現したことを描く。
天才も普通に「オトコ」ではないか、それを支える献身的な妻も
普通に「オンナ」ではないか、と共感できる部分が多い故切ない。
公開日が同じだった「イミテーション・ゲーム」と大いにダブる
のは、性愛における人間の体質を前面に推し出しているからか。
論説も解読も叶わない空間を保つ人間の果てしなさを痛感する。
しかしこの夫婦には博士が発症してから3人の子供が生まれた。
誰かこの謎を説いてはくれまいかと鑑賞後に思ってしまったが
人類の発展を願って博士にはまだまだご尽力を頂きたいところ。
余命2年と宣告された博士との結婚後、体力は衰えるも変わらず
元気な夫の介護生活に、子宝を抱えた妻は徐々に疲れ果てていく。
このあたりは妻目線で見るとその過労に共感できる描写が多く、
もう「愛」だの「恋」だの言ってられない「生活」が重く圧し掛かる。
愛していれば全てをこなせるなんて、大間違い。
妻が他の男に癒されていく過程も、介護を主とした生活に夫が
他の女を選ぶところも、誰にも否定できないことだろうと問う。
その功績に焦点を置きながらドラマ性も完備したイミテーション~
と比べると、今作はより私生活の内情に深く切り込んで、互いの
心情を余すことなく見せる。従って博士の功績の、どこがどの位
凄いのかがあまり把握できなかったが^^;ラブストーリーとしての
興奮度は高い。加えて主演男優賞を受賞したE・レッドメインの
本人かと見紛うほどの為りきりぶり。しかし彼の傍で支え続けた
ジェーンあっての彼だから、これはW受賞させてやりたかったな。
(周囲の人間関係に恵まれていることも救い。壊れなくて良かった)
宇宙の始まり、二人の愛の始まり
「宇宙の始まりまで時間を戻せたら?」
進行していくストーリーの中で二人のデートでのセリフが頭から離れない。
こんなはずじゃなかったのに。
あのとき結婚なんてしていなければ。
そんなことを思っても仕方のない生活だったと思う。
ジョナサンへの恋心は複雑だ。最後に二人が一緒になったことを祝うことはできないし、理解もできない。
舞踏会でのデートがとても鮮やかで、永遠に続くと思われた二人の愛に思えたものだから、ジョナサンとの関係はとても悲しいこととしか思えない。
なぜあの二人がこんなことになってしまうのか、
二人で幸せになる道はなかったのか、、
「もし時間を戻せたら」
ジェーンはきっとそう思っているんじゃないか。
そう思っていた。
けれども、
最後の時間が戻るシーンはとてもキレイだった。
二人にとってかけがえのない大切な思い出であり、
愛に満ちた時間だったんだと思えたから。
宇宙的規模な愛ですね 学生のうちに知り合って、そんな中病気に侵され...
宇宙的規模な愛ですね
学生のうちに知り合って、そんな中病気に侵されて、それでも愛してるから
結婚し子供ができ
目標を達成していくが、病気の進行はどんどん進み
疲れ、勝てない相手と闘っていく
ノンフィクションだからこその話の厚み。綺麗な愛し続けましたとさというお話ではなく、博士の周りの色んな形の愛情のお話。
病気と知らされる時のアングル、倒れる前に少し曇る絵とか、螺旋階段を下から撮るとことか
なかなか良いもんです。
この映画は、なんといっても主演のエディレッドメイン。
もう、凄い。病気と分かってからの風呂場のシーンとか、徐々に病気に侵されていく様子、最後のペンを拾うところとか
魂削ってるなと、、
なんか、モノが違う。天才の佇まいとか分かる気がするけども
天才を演じられるって事が、もう天才な気がする。
博士の勲章とか実績とかに焦点を当てた人生の物語じゃなく、スティーブホーキングと言う人間の愛情にまつわる話で、
出てくる人達みんなの精神の高尚さに
自分を恥ずかしく思いましたね。
器が違うなと
エディも凄いがフェリシティ・ジョーンズの演技も光る作品
平日夜のレイトショーで観賞。
元々エディ・レッドメインが好きで彼目当てで見ました。
実在の人物の自伝モノということで、あらすじは大枠分かっていたのですが、それでも主演2人の他脇を固める俳優陣の卓越した演技にぐんぐん惹き込まれました。
エディについては、もうホーキング博士にしか見えません。
あのレミゼのマリウスなの?と驚きを禁じ得ません。
アカデミー主演男優賞の名に恥じない演技です。
私は、同じく大好きなイギリス俳優のダニエルデイルイスのマイレフトフットを思い出しました。
そして、奥様役のフェリシティジョーンズの演技が、表情がイイ。
きちんとした家庭で育った敬虔な、強い女性を好演しています。
随所で見られた険しい表情がリアリティを添えています。
また、本作品は、映像も良いです。
ところどころに彼の研究対象であるブラックホールを連想させる?演出があったり、派手さはないのですが独特の空気感をかもし出していて、そしてピアノ音楽も良いです。
イギリス映画、イギリス俳優のよさが随所に出ている作品でした。
ただ、原題がシンプルで良いだけに、邦題の「博士と彼女のセオリー」はちょっと陳腐に感じました。
といいつつも、あれだけ尽くした妻を裏切って、、、だとか、ジェーンは実際は浮気してたんじゃ?とかいろいろな憶測があったりするようですが、余りにも世間一般のセオリーを当てはめて考えるのは無粋でしょ、意味無いでしょ、ってところでいくと、あながちこのタイトルは間違っていないのかもしれません。
他の人には知るよしもない事の方が圧倒的に多いでしょうし、ジェーンが素晴らしい人だということは間違いないでしょう。
神の僕になることを選んだ男の話
難病を抱えた夫を支えた献身的な妻ありの夫婦愛あふれるラブストーリー・・・・でななかった!
むしろそんなスジではありきたりすぎて斜にかまえてしまうところだったのだが、これにはまいった。
ラヴストーリーでもなく、逆境を克服した成功物語でなく、ましてや崇高な人物伝でもない。(そのいずれかと見る向きも多いでしょうが)
はじめ、病気を知って駆けつけたジェーンに、スティーブンがTVを観ながら「go.(帰ってくれ)」と一言応えたところだけで、もうこっちは号泣。
結局、懸命に手を取り合い「2年」という短い制約時間内に何かを残そうと必死の二人が涙ぐましい。
が、だんだん様子が変わる。
そう、たしか「2年」だったよね的な、エンドラインをオーバーランしたまままだ走っちゃってる違和感を感じはじめてくる。
たった2年を惜しむように、のめりこんでみたものの、このままいつまで生きているのか?と口には出せず戸惑いだすジェーン。
このあたりで僕は、ははぁ、物語の中心軸はジェーンなのか、と確信していた。音楽も、ジェーンの心情に寄り添うような挿入ばかりなのだから。
が、またスティーブンが声を失ったあたりから様子がかわった。
スティーブンの研究に対する執念が恐ろしいほどにすさまじい。すべてのことを、研究のための犠牲にすることをためらわない。妻の愛や信頼を失うことも、信条を捨てることも、いともたやすく。恐怖さえ覚えてしまうほどの執念なのだ。
まるで、神のしもべになることで名声を手に入れたかのように、僕には思えてならなかった。それはまさに、「悪魔に魂を売る」とはまったく反対のようでいて、実はまるっきり同意語のような感覚。
2年のはずの彼がいまだ存命中のため、あからさまに実像を描けない印象も受ける。だからこそ、ナイト称号辞退のくだりが皮肉に見えた。
スティーブン役のレッドメインは、「レ・ミゼラブル」でcafe songを歌ったときの彼と同じ人物なのか?と驚嘆させられるほどの名演。実際の本人はあんな痩せてはいないはずで、どれほどのデニーロアプローチをこなしてきたのかを想像するだけで震えがくる。
ジェーン役のフェリシティ・ジョーンズも、可愛らしい乙女から、あのやつれ具合までできるとは驚きだった。
この映画、僕が誰の立場に感情移入したかといえば、彼女だった。
最近、どうもイギリス映画がいいぞ。
比較的地味な話ではあるが、すごい
これによく似た作品といえば「マイレフトフット」か。こちらは、有名な英国の宇宙の理論研究者の物語で、幾分、家庭方面に話がもっていかれているきらいはあるけれども、ホーキング博士役の俳優がすごいと思った。タイトルも知らなかったけど良かった。
エディ・レッドメインが素晴らしい
というのは当たり前すぎてあらゆるところで書かれるだろうから、違う話を書いてみようと思います。
イギリス人監督が特にそういうわけではないんだろうけれど、絵作りがとてもいい映画でした。
冒頭、大きなブレーのニュートン記念館のドローイングが飾られているのを見て建築家ならにやにやしてしまうと思います。そのシーンを筆頭にそれ以降も宇宙や時間をモチーフにした映像をそっと忍ばせるところに絵作りへのこだわりと表現しようとしていることへのメッセージを受けることができて気持ちいい。
邦題は夫婦の愛情物語のように思えるしそういう物語であるけれど、それはある意味ミスリードで、原題の万物の理論というイメージで見た方がもっと深く見ることができると思う。本当のテーマは別にあります。それはエンドロールの映像で表現されています。
『2001年宇宙の旅』をネタにしたギャグやキップ・ソーンの登場など、宇宙映画好きをニヤリとさせる小技も嬉しい。
ほんとすごい人でした。
天才ってすごすぎる。病気にならなくても、きっと同じ人生歩んだろうだろうなぁ。それぐらい自分のやるべきことをやり通して形にしたんだと思ったー。
深い映画でした。
期待を悪い意味で裏切る
期待しすぎたのかも知れないが、見終わった後なんか腑に落ちない結末でした。
ファンタジックな恋愛ストーリーの後の、不可思議な三角関係が続けられ、見ていて違和感しかなかったです。
常時、理解しがたい展開が続き、何がやりたいのか、どういうことなのか、理解に苦しみました。
博士と彼女の関係を、綺麗な関係で終わろうとしているけど、なんか見ていて気持ち悪かったです。
ただ、ホーキング役の人の障害がひどくなっていく様の演技は本当に素晴らしかったと思います。
英国映画の良さが詰まったような良質な映画
2015年アカデミー主演男優賞は、この映画でステーブン ホーキングを演じたエデイ レッドメインが、受賞した。予想通りだったので、嬉しい。受賞のスピーチで彼は、これが進行性の難病、筋委縮性側索硬化症について人々が関心をもつ契機になってくれることを願っていると言っていた。同時に主演女優賞を受賞したジュリア ムーアも、若年性アルツハイマー病になった女性の映画「アリスのままで」で主役を演じて、同じように、これを機会にアルツハイマー病への理解が深まることを望んでいるとスピーチで言っていた。偶然だが、今年はアカデミー賞主演賞が、男女ともに治癒不能の疾病に陥る人を演じた役者の手に渡った。スーパーマンのクリストファー リーによる頚椎損傷、マイケル フォックスのパーキンソン病などの前例もある。確かに病気に全く関心のなかった人々が、映画を見てその疾病についての理解を深めることは、助け合い社会のなかで、とても良いことだと思う。
この映画の撮影は、ほとんどケンブリッジ大学で行われたという。大学の世界ランキングでは、その学問上の業績、講義内容、専門、社会的貢献度などで検討した結果、いつも世界第一位を取っているケンブリッジ大学が舞台で、興味深い。学生寮やキャンデイーバーやクラブなど、古臭くて落ち着いた名門校の雰囲気が、とてもイギリス的だ。アイザック ニュートンが使っていた実験室がそのまま残っていて学生たちにインスピレーションを与えているところなども、とても印象的。
エデイ レッドメインは線が細くて、愛苦しい顔をした、イギリス人の舞台役者だ。ミュージカル映画「ラ ミゼラブル」で、ジャン バルジャンの娘を恋する純粋な青年マリウスを演じた。「レ ミゼラブル」は、マッチョなオージー、ヒュー ジャックマンとラッセル クロウが主役で、中年のパワーを爆発させていたが、それをレッドメインは、「撮影現場に行ったら、ウルヴァリンとグラデイエーターが発声練習をしていた日のことは忘れられないよ。」と言って笑わせてくれた。体の大きさも、キャリアも圧倒する二人の中年スーパーヒーローのオージーに挟まれての発声練習は、彼のとって、それはそれは、忘れられないほど怖かったことだろう。
レッドメインは、顔が可愛い。動作が可愛い。背丈はあるが線が細く華奢にできていて、いかにも繊細で、美しい手指をもっている。少女漫画に出てくる主人公のキャラがすべてそろっている。彼は、この映画でホーキングを演じるにあたって、ホーキングのインタビューや動画を見て彼の生活を研究するのに、半年かけて役作りの準備をしたという。直接本人にも面談して、ホーキングの全面協力を受けて、彼が現在使っている音声を、映画のために提供してもらっている。進行性の難しい疾病をもった人をよく表現している。この映画では、とにかくレッドメインの演技が傑出している。
ストーリーは
ステイーブンはオックスフォード大学で学びながら、ボート部ではコックスを務め、サイエンスフィクションの同好会で友人たちと交流し、学生生活を満喫していた。学生たちの集まるパーテイーで、美術史と哲学を学ぶジェーンに出会い、互いに親密さを深めていた。ステイーブンは、宇宙物理学の世界で、相対性理論を宇宙物理学の理論を深めていき、ブラックホールの特異点定理を発表した。ケンブリッジ大学大学院に進み、のちにこの定理で博士号を賞与される。
ジョーンと出会ったころから、彼は頻繁にバランスを失って転ぶようになり、21歳のときに筋萎縮性側索硬化症と診断され、余命2年と宣告される。両親や友人たちは、彼からジェーンを遠ざけようとするが、ジェーンはステイーブンと一生を共にする覚悟でいて、二人は結婚する。ステイーブンの研究は世界的に名を知られるようになって、ジェーンとの間には、二人の子供も生まれ幸せな日々を送る一方、彼の病状は進行していった。
ステイーブンの車椅子を押し、彼の日常生活を介助しながら、二人の子供たちの子育てに追われていたジェーンは、その負担から逃れて休む余裕はなかった。疲れ切っているジェーンに、母親は、教会のコーラス団に入って気分転換することを勧める。そこでジェーンは、コーラスを指導する教会の牧師チャーリーに出会う。ジェーンは教会で歌うようになって日常のストレスから逃れ、自分を取り戻すことができるようになった。やがてチャーリーは、ジェーンの子供たちにピアノを教えに通ってくるようになり、家族の一員のように一緒にピクニックに行ったり、子供たちを海で遊ばせたりして、家族の父親役を買って出てくれるようになった。徐々にジェーンはチャーリーに惹かれていく。一方で、ステイーブンは、世話係の看護婦との絆が深まり、遂にステイーブンは、ジェーンを置いてアメリカに移る。というお話。 ホーキングの大学生時代から、ジェーンと結婚して3人の子供に恵まれたのち、離婚するまでの約25年間の軌跡を映画化した作品。
映画ではジェーンが夫に背徳をおかした様に描かれている。3番目の子供が生まれたお祝いのパーテイーで、ステイーブンの父親が怒って、「お前たち、いつまでこんな生活を続けていくのか?」と詰問するし、ステイーブンの母親など、もっと露骨にジェーンに向かって、「誰の子なのよ。一体この赤ちゃんは誰の子なの?」と、ジェーンを殺しかねない勢いだ。映画の脚本家アンソニー マッカーテインは、自分の脚本を映画にするために、実際のジェーンと交渉し、承諾させるのに3年かかったと言っているが、この内容ならそりゃジェーンは映画化に反対するわけだ。現存する人の伝記を映画にするのは、本人の尊厳に関わってくるから簡単ではない。
ホーキング自身は映画製作に協力的で、トロント映画祭で、この映画がオープニングで公開されたときには招待されていて、観客席でにニコニコ笑って映画を見ている姿が、オーストラリアでもニュースになって流れた。
ホーキングの宇宙論は、従来の時空理論を否定した全く新しい宇宙の考え方だった。この映画の原題は、「THE THEORY OF EVERYTHING」。直訳するとすべてを説明する定理、万物の法則を言う。宇宙の始まりのことだ。それが邦題になると、「博士と彼女のセオリー」というよく意味のとれない題になっている。博士とジェーンの二人の間にセオリーなどない。映画の内容のそぐわないので、そのまま原題を当てた方が良かった。
他にも「BOOK THIEF」(本泥棒)という名作映画を、邦題は「優しい本泥棒」、、、優しくて泥棒ができるか、どうかよくわからない。「ミケランジェロプロジェクト」も、原題は「MONUMENT MEN」。ナチスが奪った2万点の美術品を奪い返すために戦場に送られた男たちは、モニュメントマンと呼ばれていたのであって、奪われた美術品のなかに、ミケランジェロの作品もあったに過ぎない。ミケランジェロプロジェクトという造語は、映画の中でも一度も出てこない。「12YEARS SLAVE」という映画も、12年間奴隷にされた男の体験記で、「それでも夜は開ける」という邦題をつけてしまったら、映画を見る前からタイトルによってハッピーエンドが予想されて、見る人の想像力を削いでしまう。150年前にこれを書いた人に失礼だ。どうして奇妙な邦題をつけるのか、映画の題名は内容と切っても切れない関係にある。内容を損なうような邦題は避けてほしい。ここでは「博士と彼女のセオリー」が何なのかは、この映画を見る前も見た後も皆目わからない。
映画では、ホーキングとジェーンの25年間の結婚生活の甘さと苦さがよく描かれている。ホーキングの宇宙論からすると当然「万物を創造した神」は存在しない。その理論をよく理解していたジェーンが、教会に心の救いを求めたのは、夫の日常の世話が一手に妻にかかっている重すぎる責任とストレスゆえだったと思うし、敬虔なカトリックの家庭で生まれ育った彼女のバックグラウンドにあったと思う。フェリシテイ ジョーンズはジェーンの役をとてもよく演じている。きつい顔が真に迫っている。
それにしてもエデイ レッドメインの演技が秀逸だ。アカデミー主演男優賞受賞に納得。イギリス映画の良さが詰まったような良質の映画。見る価値はある。
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