薄氷の殺人 : 映画評論・批評
2014年12月22日更新
2015年1月10日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
正常と異常、現実と幻が混じり合った中国製ノワール
ベルリン国際映画祭でグランプリと男優賞の2冠に輝いたこの中国映画は、オープニング・ショットからしてギョッとさせられる。トラックに積まれた石炭の山に埋もれた人間の“腕”。しかもその異様なはずの光景は、ごくありきたりな日常のヒトコマのように映し出される。バブル崩壊の危機が囁かれながらも、急激な経済成長に突き進むこの国では、地方から都会へ運ばれる膨大な資源の中に腕の1本や2本くらい紛れ込んでもおかしくない、と言わんばかりに。
プロットそのものはオーソドックスなミステリー劇だ。死体がバラバラにされた連続殺人事件の捜査線上にひとりの美女が浮かび、その謎めいた魅力に囚われた主人公がどんどん深入りしていく。ところがひとつひとつの描写が、どこか普通ではない。1999年の夏から2004年の冬へと時制が移るくだりは、主人公の車がトンネルをくぐり抜けるシーンの不可思議なカメラワークによって唐突に飛躍する。かと思うと本筋とは何の関係もなく、食堂で出されたタンメンを箸でかき回すと“目玉”がゴロッと現れる奇怪なショットが挿入される。新鋭監督ディアオ・イーナンによる省略を多用した独特の語り口と相まって、正常と異常がざっくりと混じり合ったように酩酊した映像世界にクラクラさせられる。
そもそもチンピラ風情の主人公ジャンが事件の真相を探る理由は、悪人に法の裁きを受けさせるという元刑事の使命感ゆえではなく、個人的な復讐のためだ。妻に逃げられ、職を失った彼は、鬱屈した感情のやり場を求めるかのように捜査にのめり込み、ファムファタールの魔性に魅入られていくのだ。そして不条理が渦巻く殺人事件の闇の彼方には、息を飲むほど美しい瞬間が待っている。どうしようもなく孤独な男と女にふさわしい、幻のように現実離れした恍惚のエンディングに震えずにいられない。
(高橋諭治)