FOUJITAのレビュー・感想・評価
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私は20年以上磔のキリスト様を見てきた。
アッツ島玉砕の絵を見て、ピカソのゲルニカ以上のインパクトを僕は感じた。
そのくらい僕は藤田嗣治画伯を偉大な画家と普段から思っている。
映画の前半部分のユトリロ、モディリアーニ、マネを映画の逸話に入れる必要は無かったと感じた。若しくは前半のパリの逸話は必要無かった様に感じた。もっとも、商業ベースにのせなければ、映画の価値は無いのだから『チャンバラ画』と『アッツ島の玉砕』を言うようにこの映画も『チャンバラ映画』の要素があっても仕方ない。
しかし、なぜ『アッツ島の玉砕』が戦争画になるのか?大日本帝国軍部の感受性の無さに、絶滅危惧種大和民族の必然が垣間見えた。それは戦後の左翼的リベラリストにも同等の感情が湧いてしまう。
『資本主義の成熟』とは絶対に言わなかった『帝国主義の成熟』。
残念ながら
この映画の欠点だ。自由と民主主義の日本国なのだから国に対して忖度してもらいたくない。
パリが愛した日本人、あなたはフジタを知っていますか?
2020年10月16日
映画 #FOUJITA (2015年)鑑賞
#藤田嗣治 #レオナール・フジタ の伝記映画
日本画の技法を油彩画に取り入れつつ独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは絶賛を浴びたらしい
エコール・ド・パリの代表的な画家
飲んだり遊んだりしてるシーンが多いのでもう少し創作活動を見たかった
藤田とFOUJITA
藤田嗣治が大好きな私にとっては特別な映画体験になった。
フランス時代の描写もびっくりしたんだけど、私にとっては日本に帰ってからの藤田の描写のインパクトが凄かった。
ラストは震えました。
スゴイ。
小栗監督にしか撮ることができない映画だと思います。
断罪しない視点
フジタは東京藝術大学を出た後はパリで修行、乳白色の乙女を描く東洋人として非常に有名になり第一次世界大戦を経て、その後日本へ。そして晩年はまたフランスへと渡った。
第二次大戦中、日本軍を奮起させる絵画を描いたことで戦後は批判もあり日本に居場所を見出せなかったフジタ。
しかしそんな経緯を持つフジタを、善人とも悪人とも断罪せず、淡々と描いている作品です。
乱痴気騒ぎの若きパリ時代と、始終寡黙な日本帰国後の描き方のコントラストが非常に印象的でした。
またラストの、キリストへ視線を投げかけることのできないどこか空虚な自身が描かれた教会の壁画が非常に印象的だった。
一画家の伝記
日本人画家・藤田嗣治の伝記。それなりに長い時間を描いてるのだが時間の経過がわかりにくいので突然時が過ぎててもわからない。全体的にフランス的な暗さが強いからどうしても飽きてくるから結局はFOUJITAのことが頭に入ってこない😣
生涯を見たかった
映像は美しかったが静かすぎた。美術館のようなのだろうか、戦争を背景にしているからなのか。終盤は個人的には監督の狐よりフジタが戦争責任を追われる決断まで見たかった。エンディングにフレスコ画は最高でした。
また見たいです。
「FOUJITA」を観て・・
戦前はパリで裸婦を中心に描いていた画家。戦時中は戦争協力画を描いていた。また生涯5回結婚しているらしい。「アッツ島の玉砕」は反戦画か・・日仏合作の映画。オダギリジョーが主人公で熱演。
事前に画家や周辺人物に関する認知がなければキツいと思われる。あとは...
事前に画家や周辺人物に関する認知がなければキツいと思われる。あとはフランス映画に見られがちな間の長さが。。。作り手の表現を妥協して、もう少し見せることに注力してもよかったのでは。
何も語らない伝記映画に価値はあるのか?
言葉は苦いが「ポンコツ映画」としか言えない一本。
オダギリジョー氏と予告に期待して行ったのだが。
まぁ作劇が酷い、と感じてしまうこの伝記なのにファンタジィ映画にしてしまった始末の悪さと言ったら。
監督らしいと言ったらそれまでだが、実在の人物にネタ取った伝記でそれをやったら絶対にダメじゃないか?
観終えて「レオナルドフジタは、少なくとも5回は結婚している」という事しか伝わってこないわ。
近頃ご無沙汰の、かつてイケメンとされた俳優の、迷走。
オダギリジョー氏にはやって欲しくなかった作品。
小栗作品初体験
芸術作品をしっかりみた感じです。
美術館で集中して作品を追っていくと、どっと疲れて意識が飛んでいくことが私にはあるのですが、そんな感じでして、2時間は長かったです。否、この作品を2時間集中してみるのには体力が必要です。
藤田嗣治のミュージカルや特集番組を見てからの鑑賞だったので、それらが流れの理解を助けてくれました。事前の彼に関する情報がなければ壁はもっと高くなっていたかも。
彼が日仏を渡るそれぞれのタイミングの事情を割愛しているので、本作が描きたいのは彼の生涯でないということは伝わってくるのだけど、さすれば、の先は難しいですね。とても個人趣味のような気もします。
画作りに関しては大変興味深く見ました。どっしり。
意図的なのかなんなのか、フジタ演じるオダギリジョーに実在感がなくて、藤田嗣治を見ているという感覚にはなれなかったし、オダギリジョーのフジタが印象的という感じでもなかった。なんだかフジタとオダギリジョーが乖離しているような感覚。これが意図したもので映画のテーマです!というならなるほどーですが、そうでなければ、うーん。
キツネはどうなんですかね、もっと画に合わせることは出来なかったですかね。いきなり星の王子さまかよと突っ込んでしまいました。あのシーンは、軽すぎてせっかくの雰囲気を壊したかなー。などといろいろ。
美術館で絵画鑑賞したような深さが。
前半と後半のギャップにまずビックリしました。
パリの街と日本の自然という違い以上に
フジタの芸術家としてのスタンスにも。
この辺を理解するのはとても難しい。
でも、フジタの作品を実際に鑑賞すると、
ピカソやゴッホやモネの作風が変遷していったことと
たいして違いは無いのではないかとも思えてきます。
つまり変わっていって当たり前なのではないかと。
小栗監督の舞台あいさつにも感動しました。
映像はまぁまぁ。でもそれだけ。
オダギリジョーだし、やや期待して行ったけど…
演出なのかもしれないけどわざとらしい演技が無理だった。
藤田嗣治好きだった分、映画化は嬉しかった。
主演がオダギリジョーってのもポイント高かったけど
もっとうまくやって欲しかった。
猫大好き坂本教授(苦笑)
単に似ているという理由で題名つけるのもどうかと思うのだが、激似なので仕方ない。
年明けの映画鑑賞はさながら美術巡りの様相を呈してくる。サグラダファミリアとこの映画。なんだか崇高な芸術を拝見した様で、頭と気持ちがついていかないような・・・ 単に自分がゲスなだけなんだけど。
藤田嗣治という画家は知ってそんなに年月が経っていない。絵画で知ったと言うより、その数奇な運命、奇怪な行動の数々、そして前述の肖像のアバンギャルドさが妙に頭に残り、その苛烈な印象は、その後鑑賞した裸婦画や、その対局にあるアッツ島玉砕、最後のフランスの礼拝堂の壁画と、まるで波乱万丈菜な人生の物語を紡ぐような編纂である。
その藤田の伝記的映画であるので興味が湧き、観覧することに。
映画自体もまるで絵画の一部のような研ぎ澄まされた緊張感のある静かな情景が続く。音楽を少なめにしかし、効果的に流しているので、より一層の張り詰め方である。オダギリジョーもロイド眼鏡の奥の眼の感じが藤田のそれと似ていて、芝居も良い。
所々、印象的なシーンがあり、パリでのおふざけの舞踏会、アッツ島玉砕の絵の前で観覧者が泣き崩れる様(戦中の戦意高揚の為なのだが、作者自ら、作品の前に立つことがあったのだろうか)、そして、藤田の内太腿の何番目かの妻の裸婦画が描かれた刺青を愛でるシーンなど、芸術的な演出がされていた。
で、総じて全体的に思うことは、綺麗なのだが、藤田そのものの人間像の深淵が覗けなかったこと。これだけの物語性があるのに、本人は飄々としている(エコールドパリでのあだ名がFOUFOUだから、フーフーかw)だからなのか、つかみ所がない感じがそのまま映画にも表現されていて、それがいいのかどうかは正直悩んだ。
本当に有名な絵画を観た印象そのもの。いいんだろうなぁと思い込むような、そんなありがたい話を聞いたような感じが拭いきれない。
特に、最後の壁画を映し出すシーンも、どんな気持ちで観ていればいいのだろうかと悩むのは、作者を勉強していない自分のせいだと自虐的に・・・
戦争画に積極的に加担していた原因で、戦犯扱いされ、全部引っ被り日本を絶ち、フランス帰化、そしてキリスト教の信者になったその辺りのドラマティックな流れがすっぽり抜けているので、現実はそんなものかなぁと一寸寂しさも感じてしまった。
ちなみに藤田の代表技法である「乳白色」のことも、もっと盛り込んで欲しかったと思うが、どこかのシーンで暗喩してるのだろうか?
相当、藤田嗣治を勉強、若しくは絵画に精通精通した人だったら、見応えがあったのかもしれない、人を選ぶ映画なのだろうと思う。
ゆったり時間が流れ心が落ち着く映画ですね
意味のわからない場面がありましたが、感じるように受けとれば良いのかなと思いました。
個人的にパリの場面は好きでした。
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