セッションのレビュー・感想・評価
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ある意味、怖い映画。
とっても面白く深みもある映画だと思う。
しかしながら、極端な一面も(全面的にか・・・)あるので、厳しい映画と思って鑑賞すべし。
厳しさの向こう側にあるもう一つ高い次元を目指す人達の苦悩をうまく表現している。
えげつない…
観てるこっちが汗掻いた!
素晴らしいの一言。
強烈な師弟関係。裏切り、そして逆襲。
張り詰めた緊張感が最後の最後まで続く。観終わった、主人公と同期したように汗掻いた。
これは鬼教官とそこに入部した青年の血殴りの葛藤を描いた師弟関係の人間ドラマだ。
名門楽団に入部し、主ドラマーになった主人公だったが、重要な発表の場に行く途中、乗っていたバスがパンクするという事故に始まり、到着するがステッキを忘れ戻りに帰るが、そこで衝突事故に合う。血まみれで現れるが、演奏が出来ずにクビに。
鬼教官の指導で鬱になり自殺した生徒のため、罵らてきたことを密告する主人公。
鬼教官への復讐のいみもあった。
鬼教官はそのことが原因でクビに。
街のJAZZでピアノを弾く鬼教官とたまたま出会う。
戻ってきてほしい。お前が必要だ。
主人公、楽団に戻り。コンサートの日。
そこには有名なスカウトマンが沢山きていた。ここで失敗したらドラマー人生の終わりだ。
曲が始まる直前に、主人公に向って一言。
密告者はお前だ!
曲が始まった。それは主人公が知らない曲。裏切られた、、スカウトマンが見ている中、その場を去る主人公。
父と舞台袖で抱き合う。
しかし、主人公は立ち上がる。再び舞台に戻る。
鬼教官の指揮を無視!
いきなり激しく叩き始める主人公。
威圧感に押され、皆もセッションする。
呆然となる鬼教官。
完全に立場が逆転した。
俺の指示通りに動けという鬼教官に反発し、指揮権を奪ったのだ。
猛烈なドラム。とてつもない速さ。
鬼教官も次第にその中に、
最後は鬼教官も取り込み、
皆でセッションして終わる。
手に汗握る映像だ。
全く異質の根性モノ
人間臭さがよい
最高!
ニーマンのドラムのテンポが凄くはやくなっていくシーンが最高!
マイルズ・テイラーも良く演じきってくれた。
終盤は、観ている人達をのりのりにさしてくれた感じだった。となりの席の人をちらっと見ましたが、目が輝いて見えた。僕自身ものりのりで、気分最高!
これは、ジャズ好きの人はもちろん、映画好きの人は、観て損なし。
最後のニーマンとフレッチャーの掛け合いがとても良く、微笑ましい。
観ていてあっという間に時間が過ぎていた。
ストーリーも抜群。良いもの観させていただいた。
しょっぱなから7拍子の緊迫感。 最初は素朴な男の子だったのに、師匠...
感情移入し過ぎると血圧上がる
107分前のあなた、107分後の人生
あなたは本作を観る。観る前のあなた、観た後のあなた。もう、あなたは別人になっているかもしれない。
だって、107分前の自分は「セッション」という映画の持つインパクトを知らずに生きてきたからだ。
107分の上映時間ののち、あなたは戦慄と、感動と、狂気と、熱情のシャワーを全身に浴びて、映画館を後にすることになる。
この映画は、大げさに言えば「人の人生狂わせる」ほどのインパクトを持っている。
本作は19歳の、若い、才能あふれるジャズドラマー「アンドリュー」が、アメリカ最高のジャズ音楽学校の教師、「フレッチャー教授」に徹底的にしごかれ抜く、師弟関係のお話である。
アンドリューは、ジャズの最高峰を目指す者たちが集まる音楽院に進学できた。どんなすごい連中が集まっているんだろう、どんな授業を受けられるんだろう、若い彼は胸いっぱいの想いを抱いて、入学してくる。
ある実技授業を受けていると、そこに突然、頭はツルツル、引き締まった肉体、黒シャツに黒ズボン。まるで独裁者のような威厳に満ちた人物が現れる。彼こそが、この音楽院での名物教授、フレッチャー教授だ。
彼は次々に演奏者に音を出させてみる。それもワンフレーズだけだ。わずか数秒。
「よし、もういい!」「次!」「もういい!」「次!」
こんな調子で、あっという間にアンドリューの番になる。彼は無心でドラムを叩く。
「よろしい。オマエ、明日、朝6時に練習室に来い。以上だ」
あっという間に来て、あっという間にオーディションは終わり、フレッチャー教授は、部屋から出て行く。
彼はこの音楽院、最高のメンバーを集めて、ジャズコンテストに出場するのだ。アンドリューは、このフレッチャー教授に選ばれ、コンテストに向け、ジャズとドラム演奏にのめり込んでゆく。
ジャズの本場はもちろんアメリカ、それもニューヨークであることは、なんとなく知っていたけれど、まさか、こんなに本格的なジャズ専門の音楽学校があって、しかもそこで「ジャズ・エリート」を育てている、というのは知らなかった。
例えばスポーツ。テニスの世界では、今、話題の錦織圭選手を育てたのはアメリカのスポーツエリート養成機関であったことは有名だ。特別な才能を持った若者を、世界で通用するように、さらに鍛える。
もちろんアメリカのことだから、そのエリート養成機関が、トップのプレイヤーを数多く輩出すればするほど、知名度も上がり、入学者、スポンサーが増え、それによって「マネー」が転がり込んでくる。そういう図式なのだろう。
それにしても、フレッチャー教授の教え方は凄まじい。
その昔、日本では「巨人の星」という熱血根性野球漫画があった。主人公の星飛雄馬をスパルタ、熱血で野球エリートに育て上げる父親。その名も「星一徹」
本作のフレッチャー教授は、まさに「星一徹」のジャズバージョンだ。
教授がもし「巨人の星」というアニメを見ていたら、「ジャズドラマー養成ギブス」を作りかねない。そんな男だ。
本作で描かれるのは、どうやって、プロフェッショナルのジャズマンを養成してゆくのかである。フレッチャー教授はまさに「体育会系」の「シゴキ」を行う。
ここでひとつ、注目して欲しいのは、彼がほとんど、一つの音、一つのフレーズ、一つのリズム、で良し悪しを即座に判断していることである。
実際クラシック音楽では、そういう鍛錬をする。
大ヒットした「のだめカンタービレ」という映画がある。
若き才能あふれる指揮者「千秋真一」がヨーロッパの指揮者コンクールで、受ける審査。そのなかに、オーケストラの音の間違い探しがある。
オーケストラには、あらかじめ、いろんな楽器に、一つだけ間違った音をあえて仕込んだ楽譜が渡されている。コンテストを受ける指揮者は、その間違いの箇所を指摘する。いろんな楽器の音の洪水のなか、そんなことできるのか? と思う方もいるかもしれないが、実際若き頃の小澤征爾氏は、国際コンクールで間違い探しをやって、正解し、ちゃんと優勝している。
そういった難関を突破した、とんでもない才能を持った若者たちが、さらに芸術の高みを目指す。本作においても、アンドリューは、ジャズの「頂点」「最高峰」を目指そうとする。そのためには、付き合い始めたばかりの彼女も遠ざけ、周囲との協調性もなくし、あえて孤立を深めてゆく。そうすることで音楽漬け、ジャズ漬け、ドラム漬け、の日々を送る。
ジャズ、音楽、そして芸術は、過酷で残酷だ。
その高みを目指そうとする者に、ここまでの試練を強いるのか? と思わせる。 生きることのすべてを捧げ、時にはそれが人間を廃人同然にしてしまう場合さえある。いわゆる「燃え尽きて」しまうのである。
そうまでして、人間はなぜ、芸術を求めるのだろう?
アンドリューはなぜ、そこまでして、ジャズを極めたいのだろう?
そして、ぼくはなぜ、この「セッション」という映画の”痛いほど”の「体験」を文章にしているのだろう?
ラストシンーンでの演奏。まさにこの瞬間にしか存在し得ない緊張感あふれるドラミング。
アンドリューは、重圧と、緊張と、諦めと、苦悩の先に、ようやく、音楽の持つ「楽しさ」を感じ取ったのかもしれない。
映画が終わり、劇場を後にしても、僕の体にはアンドリューのドラムの響きがまだ残っている。上映時間107分後の自分は、まさに107分前の自分とは変わっていた。
本作は、その力を持った作品である。
好きです。
私はこの映画とても好きです。
バードマンを観た後、この映画を観ました。バードマンの評価が結構よかったので、物凄く期待をして観に行ったら、ん?何だこれは…という感じで終わってしまった。なので、セッションもまたバードマンみたいな感じなのかなあ。と、思い観に行ったら、なんと、まぁ…凄い映画でした。何かもう緊張と興奮で汗が噴き出てくるんです。手汗なんてもう凄くて、観終わった後びっくりしました。観てる時はこの映画、面白い!とは、あまり思わないと思います。しかし、観終わった後に感動がじわじわと来ます。個人的にとっても好きな映画でした。ただ、題名は原題のWhiplashで良かったと思います。そこだけが不満でした。
肩透かし
菊地氏と町山氏の対決を見て見に行ってきました。
率直な感想としては、菊地氏の言う「カタルシスがない」というのに同感です。
主人公が教授を訴える→教授が主人公を騙す→主人公がコンサートをぶち壊す
とただの負の感情連鎖のように感じてしまいました。
観客を置き去りにした冗長なドラムソロの中でお互いに何か通じ合うものがあったんだろうけど、
それだけ?って感じの終わり方に感じました。
そしてこの物語で誰か救われたのだろうかと。
音楽的にもとにかく、テンポテンポテンポで、
手数とかひたすらジャストのタイミングを要求する音楽はうんざりです。
全体的にはスパルタ教育VSゆとり教育(が理想としたもの)と、
負の連鎖というところが気になりました。
厳しくしないとスターや有能な人材が生まれないのか、
厳しくしたら潰されるのか。
欧米では体罰はあり得ないという話を聞くので、
この話(というか、こんな状況がまかり通るジャズ業界)は前時代的ということでしょうかね。
またイスラム教を嫌っときながら、報復してるのはキリスト教徒も一緒だよね。
キリストの言ってることと違うじゃんか。
そんな映画がアカデミー賞を取るほどいいのだろうか?
それとも好敵手と書いて「とも」と呼ぶジャンプ的な何かだろうか?
全編通して飽きずに見れましたし、
できが悪いということはないですが、
最後の終わり方が肩透かしで、もやっとしたままでした。
天才を目指した二人のセッションのカタチ
観終わってすぐは疲労感でぐったりしてしまった。
ただ劇場を出て少し歩き出したところで、あの映画はなんだったんだ?!と胸が一気に高鳴った
ああすれば天才が産まれるとか、スパルタ教育がどうのとかそんなんじゃなくて
天才を産むために、天才という存在になるために
お互いがどこまでできるのかっていう
先生と生徒2人の視点の闘いの物語
戦争映画のような緊張感と圧迫感
アクション映画のような迫力と強い意志
天才を目指した二人のセッションは
憎悪や愛を全て超越したところにある二人の中の闘いだったんだろうなと感じた
ただ天才になる❪生む❫ことだけを目標にした本気の人間の、それ以外を取り払った姿を描いた
今までに絶対になかったカタチの映画
威圧感と緊迫感
一部マスコミで論争にまで発展している本作ですが。
それはそれで良い宣伝効果になっているようで、映画ファンだけでなく音楽ファンの足も運ばせているのではないかと思えるほどこの手の作品にしてはかなりの人が入っていた。
本作はまず、鬼教師フレッチャーを演じたJ・Kシモンズが作り出す威圧感に終始圧倒される。
その緊迫感はもはや「オカルト映画?」と思ってしまうほどである。
その緊迫感が全編を支配して、観賞後はまるで自分がシゴかれていたかのように肩がこり全身が力んでいた。
もし主人公が自分ならこれでは十分に力が発揮できないだろう。
しかし人は時にはキレた感情をプレーにぶつけることでいつも以上の力を発揮することがある。
一瞬の輝きとでも言うような…。
もしこれが力を引き出すためにフレッチャーが計算してやったのだとしたら凄いの一言だが、付いてこれる人間は
いないに等しいのではないか?
たった一人を見出だすためにしていたのだろうか?
それとも彼は屈折した本当のクソ野郎だったのか?
その答えは観た人それぞれが感じとるものだが、ニーマンがフレッチャーを超えたその時に彼は最高の輝きを放ったのだ。
最大の敵とも融合してしまった。
素直に従っているだけではダメなのかもしれない。
また優しさや甘さが弱さとなって持てる力を出し切れ無いこともあるだろう。
自分を信じて勝負に出ることが必要な時もある。
ジャズの世界のことは私には分からないので、こういったことが許されるのか?それともこういったことにも対応できてこそジャズ・ミュージシャンなのかは分からないのだが、見方を変えればチームプレーでのそれは、言わばスタンドプレーと取られかねない。
唯一無二に成りたければ型に嵌まっていてはダメと言うことなのかもしれないが、組織やチームの中でのそれはけして良いものではないだろう。
その点が本作の気になったところで、全体のテンポや作品としてのクオリティはやっぱり良かったように思う。
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