セッションのレビュー・感想・評価
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神々の戦い
噂に違わぬ素晴らしい映画でした。「持ってるヤツに持ってないヤツがたまには勝つと思ってたいヤツ」人にとってはこれ以上ない映画なのではないでしょうか。勿論、話の舞台がアメリカ最高の音楽学校の最高のバンドですから、上の上の下ぐらいのものなのでしょうが…笑
やはりあのラストが好きです。フレッチャーに音楽の楽しさを奪われ、音楽以外のものを全て捨てざるを得なくなり、最後には音楽すら失くしてしまった。それでも尚襲い来るフレッチャーに「音」で対抗し、最後には奪われた「音楽」を取り戻す。僕はこの映画を「音楽を取り戻す」映画として素晴らしいと思います。
不満点としては主人公もフレッチャーもバックボーンがほぼほぼ描かれず肩入れしづらいことなのですが、最早僕とは違う世界の神々の戦いとして眺めているだけで楽しかったので、やはりあまり気になりません。こんなに口あんぐりで観続けた映画は初めてです。傑作!
J.K.シモンズの演技が圧巻!
スゴイ承認欲求とその成就の物語
さて、この映画、ジャズ通がdisる筋合いの音楽映画でもなく、また師弟愛とか師弟対決がアツいスポ根映画でもなく僕には、「スゴイ承認欲求とその成就の話」のように観えましたよ。
主人公ニーマンがドラムに執着した動機が、「女にモテるため」でないことは明らかですよね。「偉大なドラムプレイヤへの憧れ」とか「自分が偉大なドラムプレイヤになりたい」とかはちょっとありそうですが、その象徴が後半でゴミ箱行きになってから戻った形跡はありません。親の兄弟家族との食事シーンでわりとしつこく描かれたのは、「オレを褒めてくれ!」でした。つまり動機は承認欲求です。ママに捨てられたパパはニーマンの反面教師であり、ニーマンはその息子であることのコンプレックスをこじらせているようです。“反面教師の反面教師”であるフレッチャー先生は、ニーマンにとっては“真正面教師”となるわけで、そうなれば人一倍「この人に褒められたい!」と承認欲求を募らせるわけです。またフレッチャー先生が「承認欲求を人に欲情させるタイプ」の人なので、承認欲求は“さらに倍”で暴走して、事故に至ったわけですね。
一方、フレッチャー先生も、満たされない承認欲求を持て余す人物のようです。教え子の死についての嘘、大会の順位についてのこだわり、ライブハウスでニーマンと再会したときに話したこと。この時までは「教え子の成長や成功のため」とか「本物のジャズマンを輩出したい」という“理想のため”なんだと観客は思わされるのですが、ラストのコンサートの“テロ行為”で化けの皮がはがれます。音楽の完成よりも復讐を優先するただのエゴイストで、結局は「オレのやり方を邪魔しやがって!オレのやり方が一番だったんだ!」と言いたい人でしたってことです。
この裏切りで、主人公をピンチに落としつつ(クライマックスへのバネを巻きつつ)、同時に映画の観客を「えっ?」とビックリさせてくれました。これがサスペンス映画だったら「おまえが犯人だったのか!」って感覚ですよね。
傷ついて出口に向かうニーマンは、反面教師パパに抱きしめられて「うわキモっ!アタシの承認欲求を満たしてくれるのはこの男じゃないわっ!」と気を取り直して舞台へ戻っていきます。
ここからの展開は、「ラストのコンサートに主人公が参加した動機」とか「ラストのコンサート前に主人公が、バンドメンバーと(せめてベースの人とだけでも)コミュニケーションを取る場面」がもうちょっとでもあればなぁという、細かい不満はいくつかあるにはあったんですけども、それを補って余りあるパワーで押し切ってくれました。
さて、クライマックス。演奏技術がどうとか僕にはわかりませんが、少なくとも、3交替でシゴかれた『caravan』の「400(という技?スピード?)」を難なくやり遂げる場面がちゃんとあり、ニーマンの成長は確認できます。その上で、フレッチャー先生がシンバルのセッテイングを直すところで「届いた!」という実感と、フィニッシュの指揮をしてくれたことで「認められた!」という承認欲求の成就を見届けることができます。
また同時に、フレッチャー先生側の「オレのやり方は間違ってなかった!オレのやり方に応えてくれた!こいつにシンバル投げて殺そうとしたけど、ホントに“バード”になってくれやがった!」という承認欲求の成就を目撃することにもなります。
この盛り上がりはある意味官能的ではありますが、ニーマンもフレッチャー先生も、結局はそれぞれ個人の欲求のために戦っているのであり、愛とか理想とか夢とかのための戦いではありません。元カノは来ませんし、バンドメンバーが「やったー!」となる場面もありませんし、聴衆が「すげー!」と歓喜する場面もありません。そのあたりでカタルシスの不足を指摘する人もいるでしょう。でも逆にそのカタルシスを排したことによって、僕は安っぽいスポ根映画にならなくてよかったなと思います。
「承認欲求」という言葉が、あまりポジティブな意味では使われない今日このごろですが、それを手近なところで“解消”するんじゃなくて、“成就”するまでとことん追求するのもいいかもしれない。そんなことをふと思いました。
I'm upset!!!!!
似た者同士の師弟関係
菊池さんと町山さんの論争もあり、ムービーウォッチマンでも取り上げられる為、観てきました。平日の昼間にもかかわらず、100人程の席に7割を占める位観客席は、埋まってました。感想を述べさせていただきます。映画は、照明が素晴らしい。音楽映画としては?な感じです。自己実現のみの為だけに音楽に盲進する主人公と、ミュージシャンにコンプレックスを抱えているように見える先生には、最後まで共感できませんでした。クライマックスのドラムソロも、単なる独りよがりにしか見えませんでした。映画オーケストラの演奏のカタルシスを感じ得ませんでした。
しかし、この独りよがりは、あの頃の、
特権みたいなもんだと思います。ただ、映画では、この先を見せてほしかつた。
あのままでは、主人公はこのまま歳とったたら、この先生みたいになるんじゃないかと、感じた次第です。
この監督は良い!
観終わったあと席から立ち上がれません。
圧巻。
ぞわっ
ものすごい緊張感で展開されるニーマンに対する揺さぶり。まんまと嵌ま...
息がつまる
エンドロールのその先。
狂気と音楽
プロやアマチュア演奏家でもなければ、普段はクラシックしか聞かないような自分にとってはとても満足できる内容だった。
演奏者からみると、ところどころ音と演奏の映像が一致しない部分もあるが、ストーリーや、役者の表情、その空気を感じるだけでその違和感が吹き飛んでしまう。
ストーリーとしては、話の流れから結末が読めてしまう人もいるだろう、
しかしその先を読むまでもなく、その瞬間の緊張感に圧倒されて先なんて読む余裕もなくなってしまう。
音楽の前知識がなくても、大丈夫。
ただ、根性だとか、厳しい練習だとかそういうのが嫌いな現代人には向かないし理解もできない話だと思う。
そのむかし部活や仕事で、今はなき体罰や暴言で理不尽に本当に厳しくされた30代40代以上の大人こそ、厳しさを乗り越えることの意味、全てを捨て狂気じみてのめり込む意味がわかり、最後のシーンの意味がわかるだろう。
一言一言が、無駄ではなく、意味をもつ台詞なので、見逃さないようにしてほしい。
時間の無駄だった
良い演奏を聴きたい人には全くオススメしない。
現実のディテールに則していない、
スポ根モノである。
この映画には良い音楽も良い音楽家も存在していない。
最初は「?」マーク。
おかしいぞ。演奏シーンで音と映像が合っていない。
この役者は音楽家ではない事が分かった。
それはまあしょうがないのかも。
より速い演奏を「筋肉」で成し遂げようとするシーン。
ありえない。バカバカしくなった。
何回か出てくる練習シーンも、
全然上手くなっていかない。
ずっと同じレベルのヘタさ。なぜだ。なぜ成長させない。
ラストシーンでは音楽への情熱も感じなかったし
セリフやストーリーも破綻しているように思う。
なぜ自分のバンドに、
現役を引退した人間を採用するのか意味不明。
元教授が元生徒への復讐の為ということになっているが、バンドが下手だと、単に自分(元教授自身)の評価を下げるだけなのはずだがなあ・・・。自分の評価を下げてでも復讐したいとか意味不明。
全く感情移入できない。
ラストのドラムソロはバディリッチの劣化コピー。
Youtubeで本物を見たほうがマシ。
エンドロールにスタントン・ムーアの名前を見た時は
信じられなかった。
いったいどこに関わったのだろうか。
ラスト爽快で胸がスカッとしました!
息をもつかせぬテンポと先の読めぬ緊張感!アッと言う間の107分!
ジャズは好きですが、そんな聴き込むほど詳しくも有りません、マニアの人からは漫画みたいなんて評価も有るようですが…
映画としてはリアルで主人公の肉体的、精神的な苦悩、苦痛がよく描かれており作品の世界にアッと言う間に引きこまれました。
体罰的な指導が大きな要素にもなっていますが、その部分は劇中で消化されており、そこを描いた話しでは無いのでステレオタイプに「体罰反対」とかと言う内容の作品ではまるで無いです。
ラストの落ちがまた爽快で胸がスカッとしました、一つ物を成し遂げると言う事はこう言う事なんだと感動。
こんなに気持ちのいい落ちも久しぶり!
そしてエンドロールの絶妙なタイミングのに劇場内から拍手が沸き起こり、観客が作品のラストを創ると言う、最後の最後まで魅せてくれる作品でした。
映画として本当に良く出来た作品で、オスカー受賞の「バードマン」なんかより断然面白かった!
なぜ人は芸術に命をかけるのか
素晴らしかった。この映画を観て、全く異なるジャンルの物語を連想した。
BBC制作の「DNA物語」というもので、DNAの二重螺旋構造の発見をめぐるノンフィクションだ。ワトソンの自伝「二重らせん」が原作。
ノーベル賞級の発見(実際ノーベル賞をとったが)を巡って、功名心に焦った科学者どうしが醜い発見争いを繰り広げる。
ワトソンは無鉄砲で型破りな若者といった風で、ライバルのロザリンドの研究データを盗み見るほどのことをしている。
ドラマのクライマックス、ワトソンとクリックがついにDNAの分子構造を組み上げ、ライバルのロザリンドとモーリスを呼ぶ。
ロザリンドは怒り心頭の状態で、ワトソンたちの研究室に入る。
ものすごい乱闘が起こるかと思いきや、DNAの分子構造を見たロザリンドは、ポロリと涙を落とし、圧倒的な真実というものの存在と美しさに圧倒され、負の感情などどうでもよくなってしまう。
(あくまでドラマであり、歴史的事実はどうか知らない)
(ここから本題)この映画は、途中まではジャズを巡るスポ根のような調子で進む。
しかし、主人公に並外れた才能があるようには見えない。その上、彼女や親類に誇大妄想からくる侮辱的な言葉を浴びせたり、性格にも問題をきたしてくる。
こういう人は、実際にいそうな人間としてすごく想像できる。「ありもしない才能を妄想して、どんどん不幸の坂道を転がっていくイタいやつ」というように見えてしまう。
音楽にそこまで思い入れする主人公のことは理解できないし、「バカじゃねーの」とすら思えてくる。
そして実際、予想通りに主人公は夢に挫折し、夢を持たない普通の人としての人生を模索しはじめる。
あれは悪い夢だったんだ…。
しかし、きっかけをつかんで、再び夢を追い始める。
そして、あのどんでん返し。フレッチャーは主人公をつぶすためにチャンスを与えたという。
ここで終わったら、「そうだよな、わかってたよ。そんないい話じゃないってわかってたよ」という感想になったと思う。
しかし、更に重ねた大どんでん返しで、ラストの10分間、主人公は圧倒的な音楽でフレッチャーを無理やり認めさせる。
圧倒的な芸術の素晴らしさの前には、人間の卑小な小競り合いなど、無意味になってしまう。主人公も、フレッチャーも、ただ音楽という神のしもべに徹したかのような迫力を感じた。
フレッチャーが善人だとか悪人だとかは実は何も関係なかったんだ、ということに気づく。主人公が不屈の意志をもつ限りは、教える人間がどうであろうと、全てを良い方向に昇華できる。
はじめ、音楽に没頭する主人公をバカにしていたのに、映画を観終わった後では、その気持ちがほんの少し理解できてしまう。
ああ、この素晴らしさを知っているからこそ、音楽に全てをかけられるんだな、と。
研究者が、功名心や生活のためというその奥に、ただ単に真実を知りたい、という、究極に純粋な気持ちを持っていることに似ているんではないかと思った。
画面に釘付け!!
見応えたっぷりの人間ドラマ!
狂気って究極に純粋な感情の事なんですかね。真っ直ぐな、それしか見え...
狂気って究極に純粋な感情の事なんですかね。真っ直ぐな、それしか見えない状態。それを画面から受け取れます。もっともっともっともっとと要求され、限界を越えていこうとする。越えて欲しいと思う。凄くシンプルな関係性なんですけど、それらは周りから異常と思われるんですよね。凄く羨ましいなと見ていて思った。こんな殴り合いはなかなか拝めないですよ。
好きこそ物の上手なれじゃないですけど、好きだから熱中して向上心が湧く。突き詰めれば必ず壁があり、それをこじ開ける方法を模索する。これが上達って事なんでしょうけど。
これを導くのが指導者であったり、師であったり、先生だったりするんですよね。
もちろんこの作品ではその指導が過剰です。うえーて思うほど。しかし興奮する映像だと思います。血がたぎると言うか。何かに本気で取り組んでたって自負できる人にはこれを見て、抉られる何かがあると思います。
ラストのワンステージは見ものです。いろんな感情が湧く数分です。
最後の笑顔が何を望んでいたのか、目指していたのか、どうなりたいのか、どうなって欲しいのか、、、全てを物語ってます。
そんな終わり方です。
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