劇場公開日 2015年4月17日

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「確かに情報社会は生きにくい、しかし、バイオレンスだけでは何も生まれない。」セッション kthykさんの映画レビュー(感想・評価)

1.0確かに情報社会は生きにくい、しかし、バイオレンスだけでは何も生まれない。

2015年5月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

単純

連休前に見ておきたいと思った映画「セッション」。
今月のキネマ旬報の批評欄、珍しく3人とも満票、10個つけたいというコメントまであり、昨日いそぎ日比谷に出かけた。
予約なしでも空いているだろう、安易にシネマズに行ってみると、切符売り場は大勢の人だかり。
おかしいなと思いつつ、よく見ると客は老人ばかり、 平日の昼間の上映だからあたり前かもしれない。
しかし、人気は併映の「寄生獣」と見込んだが、なんと行列は「セッション」だった。

映画は音楽大学でジャズ・ドラムスを学ぶ学生とJ・K・シモンズ演じる熱血教師の話。
話は単純で、ただただバイオレンスな暴力教師が新入生をしごきまくる映画だ。
評者の一人は「ドラムスで映画が成立することに感服。」と書いていたが、納得するのはこのコメントのみ、ひどい映画だ。
チャーリ・パーカがまだ新人のころ、セッション仲間のドラマーにシンバルを投げつけられたという逸話を下敷きに、シモンズ先生(だめだ役名も忘れた)が徹底した暴力でアンドリュウー(しごかれたドラマー、シモンズと対照的なやさしい顔立ち)と関わる。
批評家の満票に背き、ひどい映画だと言いきる素人がネタバレを書き散らすのは礼儀を失するので控えるが、根性を鍛えるのは大学の仕事ではない。
学識にしろ技術にしろ、教師に可能なのは学生の納得や得心に関わることだけ。
答えは一つではないのだから、叩き込めば理解されると考えるのは教師のうぬぼれ。
教師に可能なのは、どこまでも学生個々人が持つ想像力に関わることだ。
頭ごなしの、パーカーやマルサリスの逸話を傘にしたバイオレンスだけで何が可能なのだろうか。
学生が血塗れになってバチをふるうのは運動能力のためではなく、自分自身の想像力の問題だ。
もっとも、この映画、若い人には必要なことなのかもしれない。
人生のはじめの頃、何も考えず、何もあてにせず、ただただ遮二無二ドラムを叩きまくったという経験は、ボクにはないだけに、何か貴重な体験がテーマとなっているような気がする。
しかし、その体験を共有させたいという企みだけなら、老人はともかく若者は引く、いや引いて当たり前だ。
まして「ラストシーンに舌をまいた」のは批評諸子だが、ボクは嘘だろうと仰け反った。
これでは安っぽい予定調和の押し付けだ、どこにドラマ(ドラマーではない)があるのだ。
今の時代、自分自身を見つめることは難しい、どうしても、まわりばかりが気になり、羨んだり、蔑んだりしてしまう。
確かに情報社会は生きにくい、しかし、バイオレンスだけでは何も生まれない。

kthyk
The musicさんのコメント
2015年5月5日

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The music