「スゴイ承認欲求とその成就の物語」セッション ウシダトモユキさんの映画レビュー(感想・評価)
スゴイ承認欲求とその成就の物語
さて、この映画、ジャズ通がdisる筋合いの音楽映画でもなく、また師弟愛とか師弟対決がアツいスポ根映画でもなく僕には、「スゴイ承認欲求とその成就の話」のように観えましたよ。
主人公ニーマンがドラムに執着した動機が、「女にモテるため」でないことは明らかですよね。「偉大なドラムプレイヤへの憧れ」とか「自分が偉大なドラムプレイヤになりたい」とかはちょっとありそうですが、その象徴が後半でゴミ箱行きになってから戻った形跡はありません。親の兄弟家族との食事シーンでわりとしつこく描かれたのは、「オレを褒めてくれ!」でした。つまり動機は承認欲求です。ママに捨てられたパパはニーマンの反面教師であり、ニーマンはその息子であることのコンプレックスをこじらせているようです。“反面教師の反面教師”であるフレッチャー先生は、ニーマンにとっては“真正面教師”となるわけで、そうなれば人一倍「この人に褒められたい!」と承認欲求を募らせるわけです。またフレッチャー先生が「承認欲求を人に欲情させるタイプ」の人なので、承認欲求は“さらに倍”で暴走して、事故に至ったわけですね。
一方、フレッチャー先生も、満たされない承認欲求を持て余す人物のようです。教え子の死についての嘘、大会の順位についてのこだわり、ライブハウスでニーマンと再会したときに話したこと。この時までは「教え子の成長や成功のため」とか「本物のジャズマンを輩出したい」という“理想のため”なんだと観客は思わされるのですが、ラストのコンサートの“テロ行為”で化けの皮がはがれます。音楽の完成よりも復讐を優先するただのエゴイストで、結局は「オレのやり方を邪魔しやがって!オレのやり方が一番だったんだ!」と言いたい人でしたってことです。
この裏切りで、主人公をピンチに落としつつ(クライマックスへのバネを巻きつつ)、同時に映画の観客を「えっ?」とビックリさせてくれました。これがサスペンス映画だったら「おまえが犯人だったのか!」って感覚ですよね。
傷ついて出口に向かうニーマンは、反面教師パパに抱きしめられて「うわキモっ!アタシの承認欲求を満たしてくれるのはこの男じゃないわっ!」と気を取り直して舞台へ戻っていきます。
ここからの展開は、「ラストのコンサートに主人公が参加した動機」とか「ラストのコンサート前に主人公が、バンドメンバーと(せめてベースの人とだけでも)コミュニケーションを取る場面」がもうちょっとでもあればなぁという、細かい不満はいくつかあるにはあったんですけども、それを補って余りあるパワーで押し切ってくれました。
さて、クライマックス。演奏技術がどうとか僕にはわかりませんが、少なくとも、3交替でシゴかれた『caravan』の「400(という技?スピード?)」を難なくやり遂げる場面がちゃんとあり、ニーマンの成長は確認できます。その上で、フレッチャー先生がシンバルのセッテイングを直すところで「届いた!」という実感と、フィニッシュの指揮をしてくれたことで「認められた!」という承認欲求の成就を見届けることができます。
また同時に、フレッチャー先生側の「オレのやり方は間違ってなかった!オレのやり方に応えてくれた!こいつにシンバル投げて殺そうとしたけど、ホントに“バード”になってくれやがった!」という承認欲求の成就を目撃することにもなります。
この盛り上がりはある意味官能的ではありますが、ニーマンもフレッチャー先生も、結局はそれぞれ個人の欲求のために戦っているのであり、愛とか理想とか夢とかのための戦いではありません。元カノは来ませんし、バンドメンバーが「やったー!」となる場面もありませんし、聴衆が「すげー!」と歓喜する場面もありません。そのあたりでカタルシスの不足を指摘する人もいるでしょう。でも逆にそのカタルシスを排したことによって、僕は安っぽいスポ根映画にならなくてよかったなと思います。
「承認欲求」という言葉が、あまりポジティブな意味では使われない今日このごろですが、それを手近なところで“解消”するんじゃなくて、“成就”するまでとことん追求するのもいいかもしれない。そんなことをふと思いました。
解説が上手すぎます。
自分の中のもやもやを上手く言語化してくれてありがとうございます!
ラストは感動で終わったんですが、フレッチャーがどうにも気に食わなくて、自分の中で上手く消化できないでいたのですが、ウシダさんの解説でスッキリしました。承認欲求のぶつかり合いだったんですね
どう表現すればイイのかな?
と考えていましたが…
承認欲求
そぅですね、コレですね!
ニーマンはフレッチャーに認めさせたかったんですよね〜✨
スゴくスッキリしました、わかりやすい解説をありがとうございました((*´∀`*))