「狂気の果てのセッション」セッション タミヤモトオさんの映画レビュー(感想・評価)
狂気の果てのセッション
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承認欲求に囚われた若者と完璧を求める指導者それぞれの狂気の果てを描いた作品だと思います。
若者は、指導者が求める理想に追いつくために懸命に努力を続ける過程で人間性を失っていきます。そして、自分が代替可能な使い捨ての駒に過ぎないことを知って精神が壊れますが、それでもなお、手にしたポジションに固執することをやめられません。
指導者は、理想を追い求める過程で多くの若者を使い捨てにし、壊しながら、一時的に栄誉を勝ち取ります。しかし、最後は使い捨てにしてきた駒からの密告により地位を追われ、築き上げてきたものの多くを失ってしまいます。
若者、指導者のあり方は、それぞれの理想を実現するためのものでしたが、いずれも多くの代償を伴う狂気によるもので、それが故に最後は築き上げてきたものを失ってしまいます。ラストシーンの捉え方は様々あるようですが、私は、そんな2人による狂気の果てのセッションだと思いました。
若者をマイルズ・テラー、指導者をJ・K・シモンズが迫真の演技をみせているため、物語に没頭することができます。
ここからは推測ですが、伝統的な音楽であるクラシックやジャズは目に見えず、数値で表すことができないためか、指導者の立場が圧倒的に強く、それが故にこういったことが起きてしまうんだろうな、と思いながら観ていました。このあたりは、TARと共通する部分があるので、音楽業界の構造的な問題が、背景としてあるんでしょう。
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