「フレッチャーは来ていたか ネタバレ(妄想込み)」セッション 5150さんの映画レビュー(感想・評価)
フレッチャーは来ていたか ネタバレ(妄想込み)
2015年1月6日のラジオ『たまむすび』にて、映画評論家町山智浩さんはこの映画「セッション」を熱を込めて紹介している。
「…で、『あしたの朝6時に練習始まるから来いよ』って言われるわけですね。で、朝6時に学校に行くと誰もいないんですよ、その部屋には。で、9時になってやっとみんな来るんですね」「もう、最初っから“いじめ”なんですよ!」「ウソの時間を教えたんですよ、3時間早く」「そこからもう延々と、フレッチャー先生のいじめが始まるんですよ」
この部分が私にはどうしても納得できなくて、何度も映画を見返した。そして、見返す程に確信に変わった。
フレッチャーは、朝6時に教室に来ている。
以下にその根拠を書いていく。
① カギとほこり
主人公アンドリュー・ニーマンが1年生の授業に出席する。教室のドアを開けて、中に入り、ドアを閉める。0:06:49。ドアノブのカギ穴が大きく映る。
シェイファー音楽学院のドアノブがアップになるのはこの1回きりだが、しかし、ちゃんと映っている。
普段、放課後の教室にはカギを掛けているのだ。1年生の教室がそうなら、上級生の選抜クラスならなおのことそうだ。
つまり、ニーマンのために、フレッチャーが教室のカギを開けていた、ということだ。そこまで準備していた、ということだ。
0:15:47で床に落ちたホコリが映る。掃除をしていないことを表している。フレッチャーが、しなくていいと言ったのだ。職員に「今日はこのまま帰っていい。明日早くから使うから、カギもかけなくていい」と。フレッチャーはニーマンを迎え入れるために、段取りを整えていたのだ。
② 8:57
選抜クラスの生徒たちは8:57に教室に入ってくる。
何故なんだろう。
授業になったら全員が人種も含めて耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言をフレッチャーから浴びるかもしれないのに、なぜもっと早く来て練習しないんだろう。楽器の調整も含めて万全の状態を作り出すために、やることはいろいろあるはずだ。実際、1年生のクラスは、先生が来る前に音を鳴らしたり、おしゃべりしたり、彼女とキスしたりする余裕があった。
答えは簡単。フレッチャーにそうしつけられているのだ。最低限の時間で準備を整える。フレッチャーが登場する10秒前にバンドマスターが「音合わせ!」の号令を掛ける。早くに行っても教室にはカギが掛かっているし、仮に入れたとしても、勝手に長々と教室を使うことを、フレッチャーは許さない。
つまり、ニーマンを6時に呼びつけたのは、特別なことだったのだ。
③ イヤホン
9;00ピッタリにフレッチャーが入ってくる。
譜面台に楽譜を置き、帽子を取ってハンガーに掛け、イヤホンを耳から外してコートの内ポケットにしまい、コートをハンガーに掛ける。
これが証拠である。
フレッチャーは朝6時に来ていた。
フレッチャーは、プレイヤーを止めていない。すなわち、彼はイヤホンをしているだけで、聴いているフリをしているのだ。本当は朝6時ピッタリに来たのだが、誰もいないので3時間、ただ待っていたのだ。そしていかにも今自宅から音楽を聴きながらやってきた、というフリをしていたのだ。
④ 控室
では3時間、フレッチャーはどこにいたのか。教室に繋がっている教員控室にいたのだ。6時にニーマンが来ていないことにこれ以上ないほどに腹を立てたが、とりあえず控室に入った。ニーマンに手ほどきするために昨日から準備してきたのだ。それを、よくも…。しばらくして走ってくるニーマンの足音が聞こえた。急ぎ過ぎて階段でコケた音も。
フレッチャーは思わずにんまりする。まあいい。仕返しはゆっくりしてやろう。
と、いうところだろうか。
⑤ whiplash
この映画は真っ暗な中、ドラムの音から始まる。
ポツン、ポツン、ポツン。
ゆっくりこぼれ落ちる音が、段々、段々速くなる。
その音を背に文字が白く浮き上がる。
Whiplash
これは、この映画のクライマックスのシーンでもある。フレッチャーの指揮も無視して名曲「Caravan」のドラムソロを続けるニーマン。ドラムは激しさを増し、フレッチャーはハッキリと理解する。
ゆっくり。ゆっくりだ。
フレッチャーの仕草にニーマンが応える。ブレーキをゆっくり踏むかのように、音はゆっくりと静まってゆく。
ポツン。ポツン。ポツン。
速く。少しずつ、速くだ。
ドラムは再びうなりをあげてゆく。そして、フレッチャーが「もう、いってしまえ」とばかりに片手を振ると、豪雨のような音の乱れ打ちになる。
出会いのシーンで、フレッチャーはすでにこの音を聴いていたのだ。だから映画のタイトルが「whiplash(むち打ち)」なのだ。フレッチャーは初めから打ちのめされていたのだ。
この映画は生徒と鬼教官の話なんかではない。
音を愛するものたちの、嫉妬と狂気の物語なのである。