「JAZZのゴールとは?」セッション parsifal3745さんの映画レビュー(感想・評価)
JAZZのゴールとは?
確かに現代、誰かに叱責されたり、罵倒されたりすることは少なくなったのだろう。一人一人の個性や人権が尊重される。上手くいかなったら、すぐに諦め向いていないといって別なことに逃げることも多い。新たなJAZZの天才も生まれづらくなっているのだろう。(詳しくは知らないが)過去の黒人の天才たちは、ひどい貧乏や差別という境遇下にあっただろうし。それを大学という場で、作り上げるためには、フレッチャーのような指導が必要になるのか?彼が、どこまで意図的にやっているかは判断が難しい。生徒の状況を最大限に利用して、追い込んでいるようにも見える。生い立ちやら確執やらを利用して、ご無体なというような叱責を容赦なく浴びせる。
映画を通して、ニーマンがひたすら追い込んで練習する様、ドラム中心に流れる時間は、その情熱に触れているかのようで、惹きこまれた。家族にたてついたり、彼女との別れを決意したりする部分も、若い頃には徹底的にやり抜く時間も必要だと思った。ただ、この音楽映画が、フレッチャーとニーマンの対立に終始してしまうことが本当に良いのか?には疑問が残る。
「生きるか死ぬか」まで追い込まれて、初めて、彼らの信奉するJAZZが生まれると言っているかのようだった。承認欲求を満たすためにという解釈もわかるが、ゴールがそれでいいのかということ。それを突き抜けないと本物ではない。音楽する動機が、純粋に音楽を極めたい、楽しみたいとなった時に、本物になるっていうことだろうと思うのだが。フレッチャーの指導では、承認欲求を満たすことがゴールになってしまう。最後、ニーマンのドラムは、そこにまで到達したような描き方だっただけに、中途半端な達成感を感じた。
指導者と演奏者の火花散る対立という構図を主題にしたのだろうが、もう少し人間的、音楽的な深みが欲しかった。あまり聴かないほうだが、JAZZって、もっと即興性、瞬発力、情熱やロマンが必要なものだと思う。このストーリーだと、激しい感情をただぶつけているだけになっていた。そこが惜しい。