「幸せになれない男たちのお話」セッション redirさんの映画レビュー(感想・評価)
幸せになれない男たちのお話
予告編では密室なスタジオでひたすら才能惚れ込まれた鬼コーチにしごかれるストーリーと思っていたが実際本作品を見たら、違う話だった。アメリカで1番と豪語する一流の音楽学院の教授であるフィッチャーは、自分のバンドを厳しく指導しバンドメンバーたちはバンドに入っていることを誇らしく思っているがフィッチャーがスタジオに入ってくると恐怖と緊張でみんな下を向いて萎縮してしまう。椅子を投げたり詰ったりしてこのような先生のもとでジャズと言う自由な音楽を楽しむ事はとてもできない。主人公のアンドリューは父子家庭に育ち友達もなく一流のドラマにあり親戚や彼女や周りの人に認められることをあまりに強く望んでいてそのストイックさはフィッチャーに負けず劣らず異常なレベル。
2人を見ているだけで気が滅入るしこんなバンドが素晴らしい演奏をしてコンテスト優勝できると言う所からして音楽アカデミズムの権威主義しか感じない。音を楽しむ音楽がそこにはなくかつて指導した生徒が精神を病み自殺したときのフィッチャーの涙もバンドメンバーへの話も保身のためのものだったし、一方のアンドリューもドラムを極めたい先生に認められたい一流になりたいと言う強い気持ちが純粋に音楽を愛する者と言うよりも周囲を見返したい、周囲に認められたいと言う意固地なものになっていく。サンクスギビングか何かで親戚一同が集まるテーブルを囲んでの会話どの国にも見られる自分の家庭自分の子供自慢、世間の物差しで見栄の張り合い。アンドリューと父親との関係は信頼と愛に溢れているが一度親子関係の外に出るとアンドリューは孤高を楽しむようなことを嘯きつつし満たされない承認欲求にや悩まされ彼女や周りの人にミーンな態度となっていく。社会的な賞賛や地位や承認でしか満たされない不幸な、幸せになれなそうな男たちが奏でる音楽には聴衆がほとんど出てこない。最後のアンドリウの圧巻の独断ドラムソロとジャズの精神に基づくかと思われたバンドへの合図呼びかけでのキャラバンの演奏も観客の拍手喝采からエンドロールとはならず。
師弟のかけひき、そこでごく稀に瞬間に生まれる音楽を通した理解疎通、ジャスクラブでの師のリラックスした演奏など救いは瞬間に訪れ魔法にかかったようにドラムに引き寄せられ血まみれになるまで練習、、、アメリカ的な家族の幸せごっこ見栄の張り合い、信田元教え子の件でヒアリングに来る弁護士弁護士に協力しようとする父親はいわゆるアカハラ問題を明るみにしようとしていてこれもアメリカや各国での現代的な問題提起。ジャズを聴いているとは思えない重苦しいシーンの連続だがCharlie Parkerの話をするフィッチャーやその話を自分流に理解し親戚との晩餐で披露するアンドリュー、などのちょっとした良い場面あり、また、入れ代わり立ち代わり3名のドラマーがらドラムセットにすわり罵倒を浴びがながらドラマーの座を得ようと何時間もバトルさせられるシーンなど素晴らしい場面あり、全く共感理解できないが凡庸な人間には理解できない異常な世界と、人間界の醜悪さを凝縮したような話を緊迫感あふれる映像で堪能した。