「″″映画に殴られる″″とはこういう事」セッション ベチィさんの映画レビュー(感想・評価)
″″映画に殴られる″″とはこういう事
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ただのジャズ好き青年を鬼講師フレッチャーがその人格まで変えていく。
音楽に限らず芸術の世界に生きている人間は凡人には理解出来ないという意味で変態が多いように思う。プライドが高く、自分の信じたものを変えようとしない。
この映画でも自分をギリギリまで追い詰める主人公のドラムに、観ている方が苦しくなってくる。
その極限状態のニーマンを鬼教官フレッチャーが更に追い詰める。
彼は天使か悪魔か?
観ている人間を困惑させるストーリー。
音楽に限らず最高峰にいる人間達はここまで狂気じみた探求をしているのかもしれない。感動は楽しいだけじゃ生まれないのだ。
ラスト、全てが鬼教官フレッチャーの計算通りと主張する方は本当に本作をご覧になったのか?
劇中で語られるバードがシンバルを投げつけられたから名プレイヤーになることができたという逸話を根拠に鬼教官フレッチャーがそれを再現したという解釈は大きな間違いだ。
シンバルを投げつけられたバードはその屈辱をバネに練習したから開花したのであって、屈辱を受けたから開花したわけではない。
つまり、フレッチャーの行為を恩師の温情のように解釈するのは見当違い。
そこで逆襲してみせる主人公の姿が感動的なのだ。鬼から憎悪すら消し去ってしまうパフォーマンスを達成してしまう姿が感動的なのだ。
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YK2さんのコメント
2017年2月12日
まさに、当を得たレビューに思います。
最後のシーンは父親も他の演奏家も、観客もそれを眺めるしかできない意地と意地、狂気と狂気のねじ伏せあいバトル。ただ、その中から副次的に「本物の音楽」が生まれ、姉弟二人とも音楽家としてそれに感応せざるにいられない、という構造なのだと思いました。