おみおくりの作法のレビュー・感想・評価
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シリアスなんだけどそれをやさしく日常として描かれていて不思議な空気...
シリアスなんだけどそれをやさしく日常として描かれていて不思議な空気感。
言葉少なな作品。表情の起伏もほとんどなく。
かといって観る人が誤解するでもなく導かれていくわかりやすい映画。
ところどころにふっと笑ってしまう場面もあり。品の良いユーモア。
ハプニングをもがあり得る日常であるのが最大の皮肉か。
穏やかな映画でした。
葬儀はだれのため?
「アイ・アムまきもと」を観たら、もう一度観たくなりました。
ロンドン市の民生係で孤独死した人の「おみおくり」が仕事。
ジョン・メイ(エディ・マーサン)の仕事振りとその生き様を
描いた作品。
「アイ・アムまきもと」はこの映画のリメイクです。
ラストの違いを見届けたいと観始めて、結局最初から最後まで、
観てしまいました。
面白さは尽きませんでした。
主役のエディ・マーサンの几帳面な仕事ぶりと、ハンを押したように、
決まりきった生活。
でもジョン・メイの生活には孤独死して彼が「おみおくり」した人々が
まるで生きているようでした。
弔いの仕事が終わり「済み」と書いて書類をしまうと、
遺品の写真を自分用の立派なアルバムに貼り付けます。
そして毎日それをめくってながめて思索にふけります。
「この人は人生をどんな風に送ったのだろう?」
ある朝、メイさんの真向かいのアパートで、ビリー・ストークという
年配の男性の遺体が発見される。
それも死後数週間も経ていた。
実はこの日、ジョン・メイは仕事を解雇されます。
理由は「時間と費用をかけ過ぎる」
ビリーの「おみおくり」がメイさんの最後の仕事になるのです。
結果メイさんは解雇された後3日貰って、ビリーさんの娘さんや、
海兵隊時代の親友そして別れた元彼女、その娘と孫・・・
そう言ったゆかりの人々駆けつける「暖かい葬儀」を実現します。
そしてビリーさんの娘さんと仄かな恋心を通わせたメイさんは、なんと葬儀を
見届けずに不慮の事故死。
眺めのいい自分のお墓は、なんとビリーに譲ってあげていたのです。
何という自己犠牲。
でもラストに大きなプレゼントが待っていましたね。
とても格調高く美しい映画でした。
人間らしい“作法”を排除されつつある人類の進歩には…
故郷山形県の従兄弟より、
酒田市と鶴岡市で撮影場所された
邦画「アイ・アム まきもと」は、
この映画の高アレンジ作品だった
との情報を得て、
録画していたオリジナル版を再鑑賞した。
それにしても結末の分かっている作品に、
どうしてこんな号泣させられるのだろうか。
自らが最後に弔った人に譲ったお墓に、
自らが手配したたくさん人々が参列している
埋葬地の近くで、
一人孤独に埋葬されている主人公を
弔うために、
アルバムの中の人々が彼のお墓を囲む。
そんなエンディングに改めて号泣したのも
つかの間、
こうしてこのレビューを
記入している際にも涙が止まらなかった。
ところで、主人公の正面を向いて
たたずむたくさんのストップシーンは
印象的だ。
主人公の生き様を表す原題そのものを
象徴させているのだろうか。
孤独な主人公だからこそ、
己の死に際しては
せめて誰かに見送られたいとの想いも
あっての仕事ぶりだったのかも知れないが、
それさえも報われないと思われた中での、
死して報われた結末は
幾分、宗教的解釈にも感じる。
死とは自身にとっては全てが無になること
と私は思っているが、
一方で、死しても心と心の結びつきは
こうありたいとの想いが
どこかにあるからこそ、
この作品のエンディングに感動を覚える
理由なのだろうと思う。
それにしても
「わたしは、ダニエル・ブレイク」や
「リトル・ダンサー」も含め、
下層社会の問題に触れると共に、
効率性の中で排除されつつある
人間らしい“作法”に想いを寄せる
英国映画には、
人類の進歩とは、と考えさせられる名作が
数多くあると気付かされる。
さて、「アイ・アム まきもと」で、
日本の現状をどう描いていてくれているかが
楽しみになった。
ある意味、日本でも人間的な“作法”が
排除されつつあるように思えるので。
本家もいいです
ラスト泣けた
孤独に亡くなっていった人々の身寄りを探し弔うことを仕事としている主...
独りと独りが向き合って
静かなるミスター・ビーン
間も無く公開される阿倍サダヲ主演の「アイ・アム まきもと」が
この映画のリメイクだと、番宣にラジオ出演した
阿部サダヲさん本人が話していたので
こんな地味な映画を紹介する人も
そりゃ〜〜いないわな〜〜と思って再投稿しました。
イギリス映画のせいか淡々としたミスター・ビーンと言った風情の作品。
大笑いでなく、クスリと笑えるシーンが随所にあります。
言葉少ない中でのちょっとした間のおかしみとでも言いますか
ほんと、じわ〜〜〜と後を引く映画です。
伊丹十三監督の「お葬式」を引き合いに出すまでもなく
お葬式って言うのは厳かな中にも何となくおかしみが漂うもんで、
そのあたりの表現が上手いなあ〜と思いました。
(話は全然似てません…)
主人公ジョン・メイの死者へのこだわりは
黒沢作品「生きる」の主人公に似た静かな執念を感じましたね。
最後まで、死者の生きていて時間にこだわる事で、
反転して自分自身の生きた証しを残そうとしたジョン・メイ。
「死」を考える事は生き方を考える事。
ラストシーンはキリスト教的な表現だな〜と感じましたね。
ある意味での復活と言う感じ。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
私自身も、今まで生きてきた時間より
この後の時間の方が間違いなく短い人間にとっては
死を考える映画はかなり響くわけです。
例え、一見何の取り柄も無く、有名人でも無い
平凡な人間であっても、
その人の死を丁寧におみおくりする事は
その人の生き方を肯定、尊重すること。
主人公自身が自分の「死」を間近に感じているからこそ
出来る仕事かもしれないですね。
静かな映画なのでこういう映画は本当は
映画館でしっかり集中して観た方が良いと思います。
結構時間が経ってるし、地味な映画なので
沢山の映画配信サービスがある現代でも
観られないかもしれないけど
もう一度、改めて観たい映画です。
悲しい度半端ない。
イギリス版おくりびと
ジョンメイがいれば生きていける
孤独死。監督が日本のニュースでこの言葉を知って、感銘して制作された映画。監督ご自身が”孤独死”の予備軍だそうだ。
メイのコレクションの孤独死した人々の写真。本当に孤独死された方々のものだそうだ。
(新聞インタビューから)
自分のことを誰が理解しようとしてくれているのだろう?時折、叫びだしたくなるような思いに駆られる。
それは、たくさんの人に、家族に囲まれていようと、時折心の中をよぎる思い。
せめて、ジョンメイのように、理解しようとしてくれる人がいればと涙が頬を伝う。
そして、まさか、それはないだろうという展開。
人のためにと心を砕くことに疲れた心に衝撃の展開。
それでも、そこからまた思わぬ展開のラストに、こんなことがあるのなら、もう少し人のために頑張ってもいいかなと背中を押してくれる。
映像の一つ一つが、額に入れて飾りたいほど、魅力的。
ビリーを追っていく中で、少しずつ今までやらなかったことに踏み出すメイ。
色使いも、カメラワークも、ある時点を境に変わっていく。
丁寧に計算し尽くされた映画。
そして、エディ氏の虜になる。電話の応答の一人芝居。抑えた演技の中の情緒の豊かさ。笑わせようとしていないのに、その佇まいにくすっとくる絶妙な演技。目が離せなくなる。
静物画のような淡々とした映画。
だのに、みぞおちをえぐられる。
心の宝物にしたくなるような映画。
物静かな映画で雰囲気はかなり好きだった。 ジョンは何故ビリーにあそ...
物静かな映画で雰囲気はかなり好きだった。
ジョンは何故ビリーにあそこまで深く関わったのか。
ビリーは簡単にいうと荒くれ者でそこまで惹かれる理由もないような。
荒くれ者なのに周りの人達から人望があった、そういう不思議な魅力に惹かれたのかもしれない。
もしくは自分とは全く違う人生の男に興味をもったのか、単に最後の仕事だからと気合いを入れて頑張っただけなのか。
墓まで譲るあたりただ仕事で頑張っただけとは考えにくい。
しかしまあ最後の最後にあんな事になるとはなんともやり切れないというか酷というか。
ラストシーンをあぁしたかったからジョンをあぁしたとしか思えないけど他にもっとやりようがあったんじゃないかと思う。
あのあと普通に彼女とうまくいき、天命を全うし、あのラストシーンでも良かったのに。
このラストシーンも好きだけどジョンには幸せになってほしかった。
ただ、最後の最後に今までしてきた事が報われた場面はすごくよかった。
死人に想いはないと上司に言われたけど、そんな事ないんじゃないかと思わせてくれた。
故人の皆ジョンには感謝していた。
そういう意味では、ジョンは幸せになれたと思う。
死をもって生の時を表す。
言いたい事は分かるけど…
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