ザ・シャウト さまよえる幻響のレビュー・感想・評価
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ある古い建物にひとりの女性が駆け込んでくる。 「3体の遺体は食堂に...
ある古い建物にひとりの女性が駆け込んでくる。
「3体の遺体は食堂に安置されている」と職員が告げる。
白布を一枚一枚めくりあげ、遺体の主を確認する女性・・・
さて、その建物は、とある精神病院であった。
病院が開催するクリケット試合のスコアラーとしてやって来た青年(ティム・カリー)は、スコアラー小屋の中で髭面の奇妙な患者と一緒になる。
その男(アラン・ベイツ)は、試合に参加している痩せた男性(ジョン・ハート)を指し、「彼はかつて結婚していたんだ」と過去の物語を語りだす・・・
といったところからはじまる物語で、一種の怪奇劇。怪奇劇など、いまはあまり使われない言葉ですね。
痩せた男性は、特殊効果音響を採取し、日曜のミサでは協会のパイプオルガンを弾いている。
妻(スザンナ・ヨーク)との関係は良好で、誠実そうだが、靴屋の女房と不倫関係にある。
彼が髭面の男と知り合ったのは教会を出てすぐのところ。
不倫の情事のあと帰宅すると、玄関扉の前に髭面男が座っており、「2日ほど何も食べていない。昼食に招待してほしい」と慇懃に乞われ、招じ入れると・・・
髭面男は、かつて滞在したオーストラリアで現地妻との間に出来た子どもを何人も殺し、太古から伝わる超自然的な力を得、自分は叫び声で相手を殺すことができる、などと語りだす。
薄気味悪く感じていた夫妻だが、いつしか妻は髭面男に好意を示し、夫は、叫び声で相手を殺せるという髭面男の能力に関心を抱き、悲劇が訪れるのであるが・・・
とあらすじを書いていくうちに気づいたのだが、これは割とよくある「奇妙な訪問者モノ」の変型なのですね。
ロバート・グレイヴスの原作を、『氷壁の女』『グレイストーク 類人猿の王者ターザンの伝説』のマイケル・オースティンがスコリモフスキと共同で脚本化。
『氷壁の女』『グレイストーク』の2本を並べることで、どことなく本作の雰囲気が伝わるかもしれません。
荒涼とした英国の風景もよく(撮影はマイク・モロイ)、主要3人を演じる役者たちもそれぞれよいが、中でも優れているのはスザンナ・ヨーク。
髭面男の呪術にはまって、意のままに操られるさまは、抑えた演技の中に不気味さが表現されています。
誠実そうだが、どことなく掴まえどころがなさそうなジョン・ハートも好演。
髭面男役のアラン・ベイツは、顔がコワすぎ。
また、精神病患者のひとりをジム・ブロードベントが演じています(最終盤の突然の豪雨落雷で、衣服を脱ぎ棄ててしまう患者の役)。
『ウィッカーマン』(1973年)とあわせて観ると雰囲気が出ます。
淵に立つ
いや最初に言わせて貰うと、これ「淵に立つ」です。あれは、ただ胸糞悪いだけのサイコパスものだったが、こちらは70年代のカオスを背景にした奇譚として成立してる。
オーストラリアで18年間、アボリジニと共に過ごし、妻をめとり、設けた子供全員を自らの手で殺したと言うクロスリー(アラン・ベイツ)。アボリジニの呪術師から、全てを引き継ぎ、声で人を殺す能力まで授かったクロスリーは、呪術の力でレイチェルを虜にする。そもそも、アンソニーも村の靴屋の女房と出来てたりします。だからクロスリーに妻を寝取られることになっても、あまり同情できない。
今の時代のスリラーに慣れてしまうと、どうって言うことない物語。映画公開は1978年。同じ年、日本では松本清張原作の「鬼畜」が公開されているんですね。漆黒の奈落の底へ精神的に追いやられて行く物語をスリラーと呼ぶのなら。鬼畜の方が怖かったか。と言うか、映画見過ぎて、こういうのに慣れっこになってるだけなのかは不明だけど。
画に頼らず、「話」だけで演出する「薄気味の悪さ」。エクソシストやジョーズが世を賑わせた70年台、こんな手法の奇妙な物語は、やっぱりアンチ・ハリウッド。自身の能力だけを武器にしようとした異才の作品にリスペクト。監督はイエジー・スコリモフスキ。アベンジャース(2012年)にも俳優(ゲオルギー・ルチコフ役)として出演しちゃってます。
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