ニンフォマニアック Vol.1 : 映画評論・批評
2014年10月7日更新
2014年10月11日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
女性のセックスを真剣にとらえ、深く心を揺さぶるトリアーにそそられる!
ラース・フォン・トリアーほど誤解されている監督もいないのではないか。日頃の口の悪さもたたって「人間嫌い」「女性蔑視」などと形容され、人が見たくないものを無理矢理見せるタチの悪い挑発家のように思われている。挑発家なことはたしかだが、その作品をよくよく吟味すれば、彼はアナーキックな“パンク”でこそあれ、決して人間を軽蔑しているわけではないことがわかるだろう。自分も含め、人間のどうしようもなさに限りないシンパシーを感じ、それを理解しようと努めているからこそ、真理を突いた深く心を揺さぶる作品を作り得るのだ。実際「ニンフォマニアックVol.1/ Vol.2」を見ると、誰よりも女性の性(セックス)を真剣に捕え、色眼鏡で見ることなくその本質に迫ろうとしているのに驚きを覚える。
本作は自ら胸を張って「自分は色情狂だ」と告白するヒロイン、ジョーの物語。ある冬の晩、道に倒れているところを通りがかりの年配の男セリグマンに助けられた彼女は、彼の家で気力が回復すると、その半生を語り始める。どんどん自虐的な壮絶さを増すVol.2に引き換え、ジョーの幼少時の性への関心から、妙齢を迎え男を漁る時期までを描いたVol.1は、むしろユーモラスなトリアー節が展開する。
たとえばジョーのナンパ体験に、魚釣りの理論を持ち出して大真面目に解説を加えるセリグマン。ジョーの処女喪失を、まるで数学の方程式のようにパターン化して描くシーン。女友だちとチョコレートを賭けて列車の中で男たちを落としていく場面では、男たちが大いに情けない存在に見えてくる。若きジョーに扮したステイシー・マーティンが妖艶に脱ぎまくる以外は、それほどハードなシーンもなく、覚悟してみるとあっけないぐらいかもしれない。
ラストも連続テレビ・ドラマの「続く」のように唐突で、それが嫌がおうにもVol.2への期待を煽る。ともあれ、シャイア・ラブーフをはじめ意表を突くキャストにも魅せられる、大いにそそられる伏線に満ちた導入編だ。
(佐藤久理子)