きみはいい子のレビュー・感想・評価
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辛くて見ていられない
私が子どもを育て始めたのは、一人目が22 二人目が25。
貧乏で 一つ年下の夫も働くのに必死で 夫の側が子どもの面倒見るなんて雰囲気は 今ほど世の中にもなくて
休みの日は朝からパチンコで「俺はいないと思え」とまで言っていた。
それから ん十年。
あの頃の事は 全然覚えておりません と言う風に目尻下げておじいさんをしてるけども。
そんなだから 私は 夫がいなくても一人でなんでも出来る女になっていた。
もちろん 夫は仕事はちゃんとしてたので 貧しいながらもまあまあ普通にやって来れてたわけだけど。
でも 子どもが幼い頃の私は ほんとに余裕がなかった。
若さに任せて 許さないものは許しません といった育て方をした。
だから いわゆる 良い子に育っているんだけれど
この尾野真千子を見てるのが辛くて 見ていられない。
私は虐待されて育ったわけじゃないから
自分が嫌いとか タバコの火を押し付けるとか そんな事はもちろんしてもされてもないけど
厳し目に育てたなあと
思い返すと そう思う。
だから 娘たちの子育てには 出来る限り協力して
気持ちの余裕を与えてあげたいと思って日々暮らしている。
かなりのおばあちゃんっ子になっちゃったのを見て
どうしたものかと思う事もある訳だけど
こういう映像を見るのが辛過ぎる。
尾野真千子の あの愛情のない視線が もう耐えられない。
最後に どのストーリーにもあたたかみが残されてたのは救い。
この 呉美保監督の作品は
今後は 世の中がこんなに不安でいっぱいの頃などでなく
気持ちも明るめで気分も良いときに見よう
(現在 新型コロナで 世界まるごとで 大変な最中です)
では、悪い子は誰??
進んだ社会に住む大衆ほど、社会がより完璧であることを望む。しかし、社会がどんなに完璧に近づいても、決して完璧は訪れない。民主主義によって大多数は救われる世の中になったが、民主主義に選ばれなかった少数者は常に存在する。ネットの発達によって、苦しむ少数者の声は以前より拡散されるようになり、そんな人を無視する行政に対して外野から批判する活動家の声も大きくなった。
しかし、「迷惑をかけてはいけない」という意識が深く根付いている日本社会では、少数の大きな声「ノイジー・マイノリティ」のために必要性が疑われる行政対応がなされる場合がある。
本作にもその気配がある。「花びらを掃除するのが大変だ」という理由で学校の桜の木を切ることを求める近所の声に仕方なく従ってしまう学校。行き過ぎた男女平等意識から児童をみんな「さん」で呼ばないといけないルール。などだ。
もちろん市民の声が漏れなく掬い上げられることが悪いと言いたいわけではないし、少数者は諦めろと言っているわけでもない。むしろ、少数者の問題の中には無視できない重要なものも多い。
ただ、どうでもいい少数意見には従うのに、本当に苦しんでいる少数に対して行政が上手く立ち回れないことはあまりにも多い。虐待やいじめ問題などはその槍玉に挙がる典型だ。マスコミもネットも、虐待を見逃した児童相談所、いじめ隠蔽に走った学校を見つけては、強い口調でセンセーショナルに報道し炎上を引き起こす。
行政が分け隔てなく機能して欲しいのは確かだ。しかし我々はどこまで期待すればいいのだろうか。皆がコレ欲しいアレ欲しいと言うことが全て満たされる世の中などあり得るわけがない。ある問題を解決するために別の問題が生まれたりする。どんな名医も患部に傷を残さずにメスを入れることはできないのだ。
「きみはいい子」はそんな問題に板挟みされる現代社会と、それを構成する多様な人々を描く。
本作の登場人物のキャラ設定はある意味分かりやすい。...発達障害を持って授業中に時々発狂してしまう子とその母。知らないうちに万引きしてしまう認知症の老婆。虐待を繰り返す母と、帰ってこない父。虐待する父と、帰ってこない母。持病があって授業中にお漏らししてからかわれる子。いじめられる子。いじめる子。そんな我が子を愛する親たち。…などだ。
「壮絶で陰湿ないじめ」や「残酷な虐待」というホラーでドラマチックなものではなく、本当にありそうな程度の事例を映像にしているため嫌なほどリアルに感じられる。それらを掻き集めて一本の映画にしているから極端に見えるかもしれないが、これと相似する物語はどんな町を舞台にしても現実として起こっているだろう。
主人公の一人である小学校教師である岡野(高良健吾)も小学校を中心に起こる問題対応に奮闘する若手教師だ。
さて、小学校は大変だ。閉じた環境は必然的にいじめを作り出し、いじめ以外にも様々な問題が起きる。そして子供に何かあれば親は学校を責める。教師たちは肝心の勉強よりも各方面から来るノイズキャンセリングと調整が業務の大部分を占めている。岡野がそんな学校に疲れて姉の家に愚痴を言いに行った際、姉の5歳くらいの息子が岡野を「よしよし」と抱きしめる場面がある。それに感銘を受けた岡野は後日「家の人に抱きしめられて来る」という宿題を児童たちに出す。次の日、いじめる側の児童、いじめられる側の児童、目立つ子、目立たない子も恥ずかしながら宿題をやってきた報告をする。そんな子供たちの罪のない純粋な表情が、小学校の主人公は子供であることを思い出させてくれる。
もう一人の主人公である水木(尾野真千子)は虐待をする側の母親として描かれる。水木自身が過去に虐待を受けており、その恐ろしさを知っていながら、我が子には同じように虐待をしてしまう。ある日の些細な出来事から、水木が娘に虐待していることをママ友である大宮(池脇千鶴)は気付く。優しい母として育児をこなす大宮も実は子供の頃虐待を受けていた。虐待をしてしまう水木の心の危うさは大宮に理解され、やはり大宮に抱きしめられると言う形で水木は愛の温もりを思い出す。
心理学の研究で「幼少時代にストレスが多かった子供はストレスに弱く育つ。」というものがある。多くのストレスに晒されれば鍛えられて耐性が付くという根性論はデータに否定されている。しかもストレスでDNAが書き換わりその弊害は遺伝するとも言われる。
虐待する親も心の闇を抱えていて、それは外部の人間が強引に解決できるものではない。
要所要所で描かれる抱きしめるシーンは愛に期待しなくなった現代社会に愛の力を思い出させてくれる。行政の不行き届きの問題も、最後は当事者同士の愛で補いなさいというメッセージを伝えているようにも感じた。愛で世界は救えるというのは絵空言葉かもしれないが、愛は自分くらいなら変えてくれるかもしれない。
三番目の主人公である認知症の単身老婆もあるテーマを物語っていた。自分が万引きしたことを覚えていない、発達障害の他人の子を家に上げてお菓子をあげては、彼の発達障害に気づいてもいない、ありもしない桜の花びらを綺麗だと言うなど、彼女の目に写る日常はズレている。もちろんそれは彼女が認知症を患えているからである。それ以外の理屈で彼女の見る世界を肯定するのはなかなか難しい。しかし、理屈で切り込みづらい問題が、理屈外の力でなんとなく良い方向へ運ばれる例を彼女は体現していた。
最後、父から虐待されている神田さんが、岡野が例の宿題を出した次の日から学校に来なくなってしまった。もちろん彼の問題は愛で解決できる類のものでないことは岡野自身も予想していたはずだ。親子関係から見れば岡野は部外者である。しかし岡野は意を決し、幻の桜の花びらが舞い散る道を駆け抜けて彼の家へ向かう。そして、ドアをノックするところで物語は終わる。
神田さんの父はどうして虐待しているのか。それを深掘っていくことも彼の救済劇の顛末も描かれなかった。そのため、映画の鑑賞後にはモヤモヤとした感覚が残る。しかし、もしスッキリする終わり方をしてしまえば観客である我々はこの問題を映画の中で終わりにしてしまう。そうしてしまうと誰かからノックされることを待っている現実世界の神田さんは救われないのだ。
きみはいい子だとしたら、悪い子は誰なのだろう。本作品は悪役を名指しするようなことはしていない。むしろ、複数の視点から悪い子にも実は罪がないことをしきりにほのめかしている。
だからと言って、この物語に出てくる人々を一括りにして「きみ”たち"は誰も悪くない」と言うことは違う。なぜなら、自分たちは悪くないと錯覚した集団は、その外に「悪い子」を探すようになるからだ。
そうではなく、「きみはいい子」だと慰め合える個人の関係を皆がこっそりと築くことが大事なのだ。そして、その一対一の関係を愛と呼ぶのではなかろうか。
なんとなくドラマ「夜行観覧車」のエンディング曲だったAIの「Voice」を思い出した。世の中、愛が足りてませんな。
愛は世界を救う?かもしれない
多くの方に見てもらいたい映画
名作
人を殺して血の抜き方を教える映画だったり、人が人を食う映画だったり、と、最近ちょっとやそっとの恐怖表現の映画は慣れっこだと思ってましたが、最大の恐怖表現を忘れてました。
子供への虐待=社会的弱者への暴力
韓国映画「トガニ」で怒りに打ち震えた体験はありましたが、あれは映像で虐待を見せたり説明してたりしてたのですが、この映画の中の(総じて)虐待は、その表面に見える事実の裏にはものすごく深い闇があることを容易に想像させ、その観客の想像こそ最大の恐怖という、ヒューマンドラマに見えて実はホラーという、たちの悪い映画でした。
話の展開も斬新で、3つの話がほぼ絡むことなく始まり終わる。いやあれとあれはたぶん絡んでる。ヒントはこの呉監督の「そこのみにて光り輝く」に隠されている、いや配役にもこんな妙があるのか、この監督只者ではない!
しかし自分はもっと最悪な展開を予想していたので、それより救いがあってホッとしました。
(ちょっと認知症のおばあちゃんと自閉症の子の話)
池脇千鶴の行動には見事に裏切られ、憎さ100倍だった尾野真千子も救われてホントにホッとした。
なんだかんだで大好きな作品です。
「自分の子どもに優しくすると世界が平和になる」
名言だと思います。
呼び鈴を押して逃げる小学生を咎めることもしない独り暮らしの老人あきこ。
沢山の人に観てほしい映画
真の、HUGっと!!プ〇キュア!!
日常会話で構成され、第一印象は是枝作品を思わせましたが、是枝作品より中身があって、時間を忘れて観入ってしまいました。子供の頃母親に繰り返し怒鳴られたり、ぶたれていた記憶が蘇りました。父親はいつも見て見ぬふりでした。おかげで私は怒鳴らず虐待も無視もしない大人になりました。子供にとっての牢獄と小学校教師の難しさを、臭い演出無しで上手く描いていました。高良健吾の先生役は全方位から舐められそうな感じが良く出ていました。池脇千鶴は「そこのみにて光り輝く」より光り輝いていました。虐待の描写だけで終わった「子宮に沈める」という映画もありましたが、HUGに救いを見たり、自閉症?の子がとても賢かったり、本作は前向きに描かれていて、難しいテーマなのにプロの仕事を観させて頂きました。HUGは正直全然足りないので、誰か毎日HUGして下さい。私の母はもういませんが、今でも母の作ったお握りが食べたくなります。アパートの子の母親が出て来ませんでしたが、虐待されようが子供にとって母親は一人しかいないのだと思います。尾野が決して頭を撫でないのが怖いです。
良い作品
子供が虐待されるシーンは過激ではなく、上手に撮っていると思う。
色々な問題が詰め込まれてるのに、静かに表現されている感じ
池脇千鶴の演技が好き
宿題出されてクラスのみんなの意見のシーンは感動するものがあった。
最後どうなったのかは見ている人に委ねる感じになっているけれど、あのお母さんの彼氏が改心しているとは思えず、ちょっともやっとしたものが残る。希望があるのかはわからない。
とはいえ、家族だったり、大切な人だったりを思い出す
良い作品だと思った。
誰かを抱きしめてあげたくなった。
子供はみんないい子なのよ。
子ども
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