「祓っていいの?」NY心霊捜査官 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
祓っていいの?
イラク戦争のアメリカ軍兵士が、古代遺跡に中に入り、という「悪魔もの」の定番のイラク、古代遺跡から物語は始まる。
発掘でなく、信仰でもなく、ある意味おんなじだが、「侵攻」という、より現在風の、分かり易い形で、兵士はそこで「もらってしまう」のである。
エリック・バナ演じる主人公は、いわゆる勘が働く警官で、わかりやすく言うと、「霊感」を持って、事件に臨んでいる。
序盤で彼は、それを「レーダー」というのだが、それは正義感、というよりも刺激ある事件を好んで求めている、という一面もある。
邦題は、まあ、そういうことで、全く外れではない。
ただしこの「レーダー 霊感 SHINING」が物語自体にはあんまり関係なくなってくる。ただ持っているから、巻き込まれた、というわけでもないし、それが特に捜査に活きているわけでもない。
その兵士がらみで、次々と奇っ怪な事件が起こるのだが、これらがまあ、全部、
部屋に入る、暗い、懐中電灯点ける、大きい音で、わっ!
この繰り返しなんである。ここまで懐中電灯推しの映画もそうそうない。3Dで見たくなったわ。
さて、エクソシストもの、というか、この映画では、その道の「スペシャリスト」という表現だが、悪魔憑きモノは、基本「自分との戦い」がテーマ。
「エクソシスト」のカラス神父、「エクソシスト・ビギニング」のメリン神父など、悪魔と対決、は実は自分との対峙を意味する。
本作も主人公は自分のかつての怒りに任せての所業に悩まされている。また主人公とともに悪魔と戦う神父も、体を鍛え、走り込みをし、そのあとわざわざBARに入って、女から熱視線を頂戴するセクスイー神父だが、過去に傷がある。
しかし、これが本作、みょうちくりんに「セブン」を混ぜるから、弱いのである。
悪魔に憑りつかれた人間が、普通に警官とバトルを演じ、普通に刃物で刺し殺したり、誘拐して監禁したりと、それは悪魔のせいなの?そもそもそいつ自身がそうなの?とよくわからないのである。その辺は、「セブン」やりたかっただけじゃん、としか見えない。
ハイライトの悪魔祓いシーンも、それなりに盛り上がるんだが、
「おいおい、主人公の家族を誘拐、監禁したのは、悪魔だとしたら、祓って、大丈夫なん?居場所は抜け殻が知っているの?」
とこればっかりが、頭に引っかかってしまうのである。
こりゃー、致命的にいかんだろ。
「Deliver Us From Evil」
「我らを悪魔から救いたまへ」
主人公は自分の正義感を振りかざしたため、その過去にさいなまれている。悪魔にそこを付け込まれ、家族を危険にさらしてしまっている。
主人公=アメリカ、という図式は定番だが、本作もそれにあたる。だから原題の「我ら」とは映画の登場人物ではなく、「アメリカ」を指している、と言ってもあながち間違いではない。
だが一方、自分たちが始めた戦争なので、悪魔とは「アメリカ」そのもの、というのも定説としてある。原題からすると、アメリカは懺悔をしなさい、という意味も含んでいる。
「Drag Me To Hell」よりはるかに真面目な原題だが、とは言っても、雰囲気や、やってることは「セブン」と「エクソシスト」の上っ面をなぞっただけにしか見えなかったりで、ちょっと悲しい。
ドアーズ=悪魔の扉、というのも、本気なのか、ふざけてるのかよくわからない。
追記
「エクソシスト・ビギニング」という映画について
名作「エクソシスト」を汚した、とか駄作、とか色々言われているが、かなり凝った、見ごたえある映画だと思う。全部レニー・ハーリンのイメージだけで文句言われている、と言っても過言ではないので、ちょっとそこは、推しておこうと思う。