「「立ち止まって考えて」というメッセージ」天空の蜂 ぽかりさんの映画レビュー(感想・評価)
「立ち止まって考えて」というメッセージ
…東野圭吾氏自身が「今まで書いた
作品の中で一番思い入れが強いのは
どれかと訊かれれば、これだと答える
だろう」
…という作品。
…私が受け取ったキーワードは
「蜂の習性」「原発」
「自動遠隔コントロール装置」。
…電気というエネルギーは、我々に
とって「蜜」なのか、それとも、
我々を絶滅に追い込ませるものか、
刺し違えるDNAを発動させるもの
なのか…。
…それとも「電気」という
エネルギーは、「目の前の餌」であり
我々は、それに群がる思考を奪われた
奴隷なのか…。
そんな事を考えていました。
例えば地上に、地下に上下に移動する
のに、階段では大変な駅や図書館など
公共施設を設計し、エスカレーターや
エレベーターを設置しては
「便利だ」「楽だ」という「蜜」を
吸わせて、大量の電気の消費を
当たり前そして「必需品」と思わせる
システムにより…洗脳されている我々。
今後、更に爆発的な電気を必要とする
リニア中央新幹線や電気自動車の
普及も、
「速い」「快適」「楽」「お得」…
という『システム』が用意する「蜜」
なのでは無いかと勘ぐりたくも
なりました。
「蜜」を吸わされては、
”自動操縦装置で操作されるかの
ように”抵抗もせず、考えること無く
ついていく私たち…
例えば、私の住んでいる市の市管轄の
エスカレーターやエレベーターや
照明代、空調費のの電気代は
公開されないまま、
誰もが税の費用対効果も考え
させられること無く
…自由に”使わされて”います。
…このまま飼い犬、いや、システムに飼育
される『社畜』でいいのかと。
劇中でも出てきましたが原発誘致地に
住む人、電源の存在をを意識する事
無く、
面倒だったり、罪悪感を感じることに
”目を瞑る”全ての電気を使う、
この国の殆どの人に対して
『考えろ』というメッセージに
感じました。
また、劇中で犯人に身体中を致命的に
傷つけられても、手錠をして
犯人を引き止める為に引きずられても
必死に抵抗するというシーンが
ありました。
…このシーンを観て
犯人が「原発推進するシステム」だと
したら、それに「抵抗無しについて
行っている」のが、今の日本人ではと
感じました。
…しかし劇中では命をかけて、
この日本を救おうと愛する妻子を
残して抵抗する人も存在する。
…自分には必死に出来るのか?
という疑問。
…一人では難しいかもしれません。
…でもこの映画を見て何かを感じた人
たちが、安保問題で団結したSEALDs
(シールズ)を中心にした若者達の
ように未来の日本を思いつながれば…
という可能性も感じました。
また別のシーンでは原発関係者の
子供がいじめで自殺する場面があり、
原発への悲しさ、怖さが脳内で変換
され、怒り、攻撃力となり、
それらが弱者に向けられるという
事も描かれていました。
私たちは「悪いこと」と知り
ながらも、”やってしまった”
事に対して意識的、無意識に
罪悪感を持ちます。
仮に感情に流されたり、悲しみが
脳の自己防衛機能によって、
攻撃に変換される本能によってでも
です。
それは、私たちの中にある本質…
「すべての存在に対し与えたい、
愛したい」に反するからです。
ですので…
「罪悪感を持たない為に、あなたが
命をかけれる事は何ですか」
…改めて自分に問いたいと思いますし、
今後は、自動ドアと手で開けるドアや
エスカレーターと階段が併設されて
いる施設を前にした時に、
私は、あなたが、どちらを
意識して選ぶのか?…という形で
自問する形で「考える」事、罪悪感を
なくすにはどうしたら良いのかを、
忘れないようにしたいです。
…この作品は1995年発表で、311が
起きる前の作品ですが、まるで
311を予測した後の世論を語るような
内容には驚きました。
…予告にあった「映画化不可能」と
言われた…は、実は技術ではなく、
スポンサー不足なのではと感じました。
…製作委員会の顔ぶれを見る限り、
普段出てくる、大手マスコミ
(TV会社や新聞社)、
など原発村に関わりそうな企業が
不在なのが分かります。
参考「天空の蜂」製作委員会
(松竹、木下グループ、講談社、
ローソンHMVエンタテイメント、GYAO!)