「残るものと消えるもの、描く画家描かれる女」チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛 imymeiさんの映画レビュー(感想・評価)
残るものと消えるもの、描く画家描かれる女
チューリップは短い間だけ綺麗に咲いて枯れ果ててしまうし、チューリップの球根の値段がバブルのように高騰し続けるのも短い間、美しくて儚い一瞬の幻のようなもの。
反対に、描かれた女の肖像は、歳を取らないし、美しいままで残り続ける。名のある画家の絵ならば、価値が落ちていくこともないもの、それが絵、という芸術。
画家はお金持ちに対しても絵を描いている間だけは、好きに振る舞えるし、ポーズや、動かないことを、指図することができる。立場の逆転。
画家は一方的にモデルを見つめ、モデルを描く。
モデルは見つめられ、描かれる。受動的でいるしかない。
それでも、最後の場面で、年老いた修道女が「この絵のモデルは美しい」と言ったことが印象的だった。決して「この絵は美しい」ではない。結局は描いた画家より、描かれたモデルに焦点化されていく。
謎めいたフェルメールの絵が、きらきらした光を内包するあの絵の雰囲気がそのまま映像になったかのような映画だった。
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