TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)のレビュー・感想・評価
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元気な人はちゃんと食べてる。ちゃんとしものを。ちゃんとした気持ちで。
築地で働く人や買いに来る客、関係者のインタビューが主なドキュメンタリー。みんな本気で語ってる。とても良い。
築地
ドキュメンタリーなので映画じゃなくてもいい気はしますが職人さんとか好きなのでこういうのは、ついつい見入ってしまう。
日本でよく知った食に携わる人達や海外の人達の語りもあって世界で認められてるんだなと再認識です。
この機能を移すなんて
海産物の大集積場である築地が、いかに特殊で多機能かを検証するドキュメンタリー。
和食の有名どころが名を連ねており、何処も美味そうだが、敷居は高そう。
関西の料理人と東京の職人の違いは興味深かった。
そこには職人が詰まっていた
とても勉強になったこと。
「職人」は、専門料理を提供する職人。所謂江戸(東京)。
「料理人」は、様々な料理を提供する職人。所謂大阪。
職人と料理人の違い。とても勉強になる。
天ぷら屋とかは専門料理なので職人に属する。
知っていることも沢山あったけど、意外に知らない事が沢山登場して来たり、築地の普段見れない領域が見れた事がとても良かった。
豊洲移転前にこの映画を観れた事はとても良かった。
盛り土問題とかで色々問題になっていることも多いけど、この映画は市場の本質を見事にカッコよく描かれていて、観てほしい。
きれいごとだけじゃない築地がそこにある。
●築地は美しい。
市場は楽しい。国内外を問わず、旅先ではほぼその土地の市場に足を運ぶ。築地は世界一、いや世界で唯一無二。たしかにこんな市場は世界中どこにもない。日本が世界に魚食文化を誇れるのは、まちがいなく築地があるからだ。
そして、この巨大市場で食中毒が起きないのは、日本にはきれいな真水が豊富にあり、低温保存できたから。島国の地の利。なにより市場の職人がみなプロフェッショナルだからだ。卸不要説なんてあるが、それは違う。築地は職人たちの愛が溢れてる。みな異口同音にいう。「お客さんのために」。
問題はその先だ。町の魚屋がスーパーに取って代わられる。スーパーのバイヤーはジョブローテとやらで3年くらいで持ち場が変わることも珍しくない。鮭・鯖・アジ・サンマ…。店先には誰もが知ってる魚しか並ばない。TVでノドクロが注目されれば、一斉になびく。魚価は暴騰して、漁師は魚が小さくても獲りまくる。その意味では浜にも遠洋にも家庭にも問題はあるのだが。
そろそろ本気で魚食文化の再生産にむけて行動しなくちゃね。築地は通らないが、一部で流通が本腰いれて船に乗ったりという動きもあって頼もしい。まずはいろんな魚を食べることから始めよう。豊洲移転を騒ぐ前にやることはあるハズだ。
非常に興味深い内容でした。漠然としか市場の存在を理解していなかった...
非常に興味深い内容でした。漠然としか市場の存在を理解していなかったので、よくわかりました。データ至上主義の世の中になって来ましたが、義理人情浪花節の日本人の良き心が残っている場所としていつまでも引き継がれて行って欲しいです。
築地の内部や歴史が良く分かる作品
以前にもすきやばし次郎を題材としたドキュメンタリー映画(タイトル忘れました)や、日本の食文化を紹介する映画で築地は何度か取り上げられてきたと記憶しています。豊洲移転を前に、実像を捉えたものとしてはおそらく最後となる作品でしょうか。仲卸や大卸を含め、築地に関わる人々の実に生き生きとした姿が映し出されます。また途中に出てくる寿司屋の名店の、職人達の見事な仕事振りも見所です。鮨さいとうの職人が、鮃を捌いて下拵え、最後に握って出すシーンは特に見事。
築地の民主主義
築地市場の豊洲移転についての連日の報道を見ていて、何か違和感を感じている。同じように違和感を持つ人もいるのではないだろうか。
映画の後半に出てくる小学生の給食の様子を見たら、ほとんどの子供が箸の持ち方を間違えていた。箸は道具なので、使いようによって働きが異なる。正しい持ち方をしたときに最も使いやすく便利になるのだ。間違った箸の使い方は無駄な力を使う上に、効率のいい食事ができない。見た目も美しくないし、見ている方はストレスがたまる。大人でも、正しく箸を使えない人がたくさんいる。
正しく箸を使えるのが偉いと言っているのではない。外国人は大抵、箸の使い方が下手だ。ピアノほどではないが、箸は慣れないと使うのが難しい。しかし箸の食文化を持つ共同体に生まれて小さい頃から箸に親しんでいるにもかかわらず箸が使えないのは、勿体ないことだと思う。箸は正しい使い方をするのが合理的で、見た目も美しい。歩くときに右足と左足を交互に出すのと同じだ。美学ではなく実用性の問題である。
箸が正しく使えるかの問題はさておき、食材の見極めは素人には困難なものだ。複数の秋刀魚を見て、どの秋刀魚が一番おいしい秋刀魚なのかを当てるのはプロでなければ難しい。
そういうプロフェッショナルがいるのが築地市場だと、この映画は主張する。実際にその通りなのだろう。魚介類のひとつずつを見て瞬時に分別している映像を見るとなおさらそう思う。
昔の人が箸を正しく使えたかどうかは分からないが、食材の見極めについては、昔も今も庶民のレベルは同じだという気がする。昔から素人には食材の目利きはできなかったのではないか。目利きだけではない。実際に食べても判別できないことが多々ある。高級食材と安価な食材の料理を、目隠しをして食べ比べて、瞬時にどちらが高級食材かを百発百中で当てられる人は少ないだろう。
場合によっては、どれがおいしいかだけではなく、どの食材が安全かということも、区別できないことさえある。動物には衛生の知識などないが、見た目と匂いで判断しているように見える。以前猫を飼っていたとき、食べたことのない餌を与えると猫はまず前足で触り、よく見て、匂いを嗅ぐ。見た目でも匂いでも判断できないときは口に入れて、食べられるものは食べ、そうでないものは吐きだしていた。人間もかつては同じように自分の五感だけに頼って判断していたと思う。しかし知識があると、自分の感覚よりも知識や他人の評価を優先するようになる。安全な食材とそうでないものを判断するのに、自分の感覚ではなく品物の表示に頼ったりする。
消費者がこのレベルになると、生産者の中には食の安全よりも効率を優先してしまう人も出てきそうだが、築地のシステムがそれを許さない。日本の食を支える築地のプロフェッショナル達が、一切の妥協なしに高品質の食材を求めることで、生産者も品質優先にならざるを得ない。目利きのプロたちの厳しいチェックを受けることで生産者のみならず、外食の人間にとっても品質のさらなる向上が必須となる。このプロセスがある限り、たとえ消費者の安全衛生の感覚が劣化しても、食の安全は保たれるのだ。
問屋の人も仲買の人も外食の人も、口について出るのは「お客さんが喜んでくれれば」という言葉だ。日本国憲法の柱が国民主権であるように、築地のルールは消費者第一主義だ。いわば築地の民主主義である。映画の中に何度も出てくる「お金ではなくて気持ち」という言葉が示すのは、ルールは罰則ではなくて気持ちだということだ。築地の人々の爽快なまでの民主主義の神髄がそこにある。日本の食文化は政治家や役人が法律や条例で定めるものではなく、人々の「気持ち」に支えられている。
にもかかわらず豊洲問題は、食文化を支える人々を抜きにして、予算の問題と調査の内容や結果の問題と建築談合の話と政治家と役人の思惑などの相互的な連関で片づけられようとしている。我々が豊洲市場への移転を不安に思うのは、いつ誰が豊洲に決めたのかではなく、築地の人々の「気持ち」がこれからどうなってしまうのかがわからないからだ。それは日本の食文化と食の安全がこれからどうなってしまうのかわからないということに等しい。
報道を見ていて感じた違和感の原因はそのあたりにある。映画はとてもためになったが、我々の不安は依然として続くのだ。
今の日本人が見るべき映画
ツキジの価値とは本当は何なのか。
豊洲移転問題で揺れている今だからこそ、全ての日本人に見てほしい映画。築地に対する深い理解と愛情が、ドキュメンタリーの枠を超えた映画体験に連れて行ってくれる。
日本食が、日本人が大切にしてきた価値が失われていってるこの時代。築地がなくなったら私達の食生活はどうなるんだろうと心配になります。
映画好きな人、グルメ好きな人、歴史好きな人、日本好きな人、すべてが今年見るべき映画だと思います。私はすごく好きでした。
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