百日紅 Miss HOKUSAIのレビュー・感想・評価
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陰間茶屋へオエイが行った? オエイへの評価
『オエイ応為』が『オーイ』なのは直に分かるだろうが、彼女が陰間茶屋に通った話は聞いた事は無い。また、美人であった可能性は大変に低い。寧ろ、醜女であった説もある。女性が肉体と美しさを売り物にして生きられる時代。つまり、応為はそれが出来なかったから、絵師になったのかもしれない。応為の吉原格子先之図を見ると花魁の能面の様な顔は1つしか描かれていない。全く格子を書いた絵で、一番目立つは『灯り』物悲しくもあり、祭りの中の孤独な気持ちを僕は持った。北斎の影響は全く無い。
ストーリーは一貫したテーマらしいものがなくて、ショートストーリーのつなぎで話が流れている。
僕は原宿の『太田記念美術館』へ『吉原格子先之図』を拝見しに行った。吉原の絵なので仕方ないが、人集りで拝見する事になり、本当は一人で竚み見たかった。滅多に見られないそうだが、来年の大河ドラマは蔦屋重三◯が主人公のようで、この絵の拝観(拝見)も増える事であろう。
エンドロールに椎名林檎さんの歌を使うのは合っていると思うが、出来れば『歌舞伎町の女王」辺りにして欲しかった。
やはり、応為の当該作品が生まれた経緯を知りたかった。北斎が素晴らしいのは分かっているが、富嶽三十六景の肉筆画は一枚もないはずだ。この絵は肉筆画であり、北斎晩年の肉筆画は応為の作品と言われる説もある。来年辺りにそれを言い始める者も出てくるだろう。
追記 ギリシャで発見された写楽の肉筆画が写楽の直筆と言う説は証明されているわけではない。ので、注意した方が良い。 『オレオレ詐欺』のキャンペーンをやるような放送局が特集を組んでやっていた事があるので。1つの説として、ロマンを持って客観的に対処されたし。
そもそも、絵を見ると値段を思い浮かぶなんて『ダサい』と思いが。
しかし、こんなのんびりした江戸時代。富国強兵、殖産興業を謳う明治維新なんてわけわからん時代になってしまうのか?不思議だね。もっともっと、日本は鎖国していても良かったような気がするが。どうせ絶滅する民族ならばね。
かなしい
名人が作っているので敢えてなのだろうけど、ストーリー展開を削ぎ落としたような日常スケッチのような構成で見ていて飽きる。当時の世相や風習なのだろうけど、現在の視点ではお父さんが盲目の女児をネグレクトしているように見えて、つらい。しかもクライマックスが幼い盲目の女の子の死というのがつらすぎる。現代にも名を轟かす絵師の因果なのだろうけど悲しい。人にはそれぞれ道があるけど、あんなの非道すぎるし悲しすぎて嫌だなあと思った。
声が合ってた
主人公のお栄の声がとってもよく合ってました。
ハリがあって、意思を持ってて、でも優しい時は優しい声でした。
描いた絵や、空想上の生き物たちが迫力をもって動き出すのは見ていて楽しかったです。
お栄と妹との関係が好きです。
船に乗って、橋の下をくぐる時の人々の足音が少し怖いようで、でも木の音が心地よかったです。
江戸の風景と、ロックとの組み合わせが意外に合うなあ!と思いました。かっこいいです。
江戸に行ってみたくなる風景でした。
江戸の画とロックが合う
百日紅、見てきました。
声で俳優の顔がちらついて…という話を聞いていてどんなもんかねと思っていました。
正直、お栄さんの声は演じた俳優の顔がちらつきまくってましたが、他の方はきにならず。あ、松重さんだ!とか、濱田岳だ!とか、わかりはするけど浮いてないというか…。特に美保純ね。普段のふわふわ感を消していい演技でした。
ギター系のロックがよくあっていて、疾走感がありました。劇伴は全編通してロックでよかったんじゃ?と思いました。
短編の連作漫画を長編映画に仕立てているので、エピソードの区切りが感じられた。そこは原作既読なので仕方がないですけど。
お猶のエピソードが膨らまされていたのは良かったと思う。不憫なまま果無くなった幼子が、世界に喜びを見出していたことを垣間見られて、よかったね、と思いました。
一番よかったのは椎名林檎の主題歌でした。すみません、林檎ファンなもので。
「最果てが見たい」の歌詞が、とても良いです。
江戸
オープニングの両国橋のCGが、とても壮観で立派だった。
当時のままを再現していたのだとしたら、大工の技術力はたいしたものだと感嘆してしまう。
その当時の情景は見てて楽しかった。
スマホも電話さえない時代。
人と接するには、それなりの労力が必要で、確たる手応えを感じるからこそ、深くも強くもなる時代。
今とはそこが全く違う。
良い悪いじゃない。そういうものが根っこなのだ。
さて…肝心の内容だが、よく分からない。
なぜ、これを作品として選んだのだろうか?
江戸時代でイメージする女性像とは一味も二味も違う女性が主人公。
浮世絵の世界観も、神秘的ではあるが、一つのエピソードの枠を逸脱はしない。
詰まるところ、作品のもつ主張がよく分からないのだ。
主人公はあんなに、ハキハキしてるのに。
声優じゃない演者を多数起用してる意味も分からない。
むしろ、失敗だ。
狙った意図はあるのだろうが、どうにもチグハグで客寄せパンダとしか思えない…。
原作が好きな方なら楽しめるのか?
主人公は何にも惑わされはしないし、引きづりもしないし、成長もしてないぞ?
あの百日紅の絵に集約されたエピソードとでもいうのだろうか?
前半の龍よりは、優しい画風ではあるが…そういう事なのか?
とまあ、江戸ッ子な主人公とは正反対な作品なわけだ。
◆よかった 江戸は今よりあの世とこの世の境界が もっと薄かったんだ...
◆よかった
江戸は今よりあの世とこの世の境界が
もっと薄かったんだろうなと、
浮世絵師はその間を時々つなげてしまうんだと
そんな雰囲気が伝わってきた
映像が綺麗
主人公の妹が可愛い
◆気になった
父親にもらったのは紙と画筆だったり、
男女を描けないといわれて男娼の所へ行ったり
さんざん絵描きとしての主人公を描いてきて
妹オチなのが少しわからなかった
小さいエピソードがそこまでつながってないので、オムニバスでもよい気がした
江戸の風俗は楽しめた
全編に渡る筋の通ったストーリーが病弱な妹についてで、そこに色々なエピソードが絡まるが、そのエピソードが散漫な印象。
お栄の絵に色気がない→陰間茶屋に行く→で、絵に変化はあったのか?
他にはお栄の絵は上手いが始末が無いので、父親がお地蔵様を書いて尻拭いするエピとか、花魁の首が伸びるエピとかあったけれど、それを取り上げた意味は?
お栄の未熟さを描いた?…と見終わっても映画の主題掴めなかった。
本編後にメイキングあり原作が有るのを知り、スタッフの思い入れのある作品だと知ったけどその意気込が映画に出ているかどうかは?
江戸の風俗がアニメで観られたのは面白かったが、ネットで映画版は着物の着付けがおかしいとあった(原作は正しい)
作画とCGの贅沢な調和
内容的にはかなり地味な話だが、映像的にはかなりの分量の3DCGの導入が見られたのが意外で、もはや題材を問わずとも、作画だけではアニメ映画が成立しないことを改めて認識させられた。そんな中で、クライマックスのお猶の死を直感したお栄が走る一連は恐らく作画の背動をやっていると思う。カメラワークの難易度の高さといい、あれはかなり贅沢な表現じゃなかろうか。
声に関しては素人ばっかり集めてしまうのは関心しない。いい棒は周りがしっかりして初めて意味がある。
お栄でござる。
杉浦日向子の本は読んだことがないのだが、TVでの解説者
とりわけ「コメディーお江戸でござる」が好きでよく見ていた。
見かけなくなったと思ったらあっという間に亡くなっていて
その急逝に驚いたが、こんな見事な代表作を遺していたとは。
葛飾北斎の娘・お栄(後の葛飾応為)を中心とした当時の江戸が
活き活きと甦る。短編集を繋ぎ合せた作風は、いま公開中の
井上ひさし原作映画と連なる出来映えで勉強できるうえ面白い。
歴史に興味がなくても、この時代にはこんな人達がこんな風に
生きていたことかと当時に想いを巡らせられること請け合い。
リズム感のあるべらんめえ調子が私には特に聞こえがいい^^;
しかし冒頭で唯一困ったのは、今作はアニメなのだが、その
声を担当する声優が有名俳優である点。主人公の杏をはじめ、
あっちでもこっちでも聞いたことのある声ばかり(松重、濱田)
こうなるとその俳優の顔ばかりが浮かんきて、キャラ負けする。
せっかくのいい話なのにこれじゃあ…と最初落ち込んだものの、
とにかく内容がストーリーが面白いので、ぐんぐんのめり込む
うちに声のことは気にならなくなっていた。北斎の一部代筆を
務めていただけあって、腕は一流のお栄。ところが男性経験が
なくめっぽう色気足らずの気性のため、その絵に色が入らない。
不器用ながらも真っ直ぐ浮世絵に取り組んでいくお栄だったが…
複雑な北斎家の事情もサラリと描かれるが、特に妹のお猶の
エピソードには泣けた。。目が見えず身体も弱かったお猶に
逢おうとしなかった北斎の真の理由。妖気心霊入り乱れる中、
頑固で偏屈極まりない親父の愛情が娘たちに享受されるシーン。
こりゃ叶わないよな、やっぱり。と天性の才能に惚れ惚れした。
(実写でやっても良さそうな顔ぶれ。朝ドラでもいいんじゃない)
傑作である。
光と音を与えてやると
ほのかに匂い立つ、「人間」の薫り。
アニメーションという手法は監督にとって、こういうことなのだ。
さすがの原恵一、足し算引き算含め、抜群の演出力。
傑作である!
追記:
足し算と引き算について、もう少し。。
この物語には、インプットと、アウトプットのちがうもの、という対比の構造で人物が描かれている。
光と影。
動と静。
男と女。
恵まれた男と、恵まれない男。
目の見える男、目の見えない娘。
目の見える姉、目の見えない妹。
男である父、女である娘。
絵の達者なもの、達者でないもの。
絵の達者でない女である母、絵の達者である女である娘。
未来と、過去。
漫画と、アニメーション。
浮世絵と、アニメーション。
すべてが、違う要素を背負って登場する。
其のコントラストが美事なのだ。
其処に、底に、「人間性」というものが、立ち薫ってくる。
そこに、ドラマという波が押し寄せて、消えてゆく。
それが見事だと言っているのだ。光と音を与えてやると
ほのかに匂い立つ、「人間」の薫り。
アニメーションという手法は監督にとって、こういうことなのだ。
さすがの原恵一、足し算引き算含め、抜群の演出力。
傑作である!
追記:
足し算と引き算について、もう少し。。
この物語には、インプットと、アウトプットのちがうもの、という対比の構造で人物が描かれている。
光と影。
動と静。
男と女。
恵まれた男と、恵まれない男。
目の見える男、目の見えない娘。
目の見える姉、目の見えない妹。
男である父、女である娘。
絵の達者なもの、達者でないもの。
絵の達者でない女である母、絵の達者である女である娘。
未来と、過去。
漫画と、アニメーション。
浮世絵と、アニメーション。
すべてが、違う要素を背負って登場する。
其のコントラストが美事なのだ。
其処に、底に、「人間性」というものが、立ち薫ってくる。
そこに、ドラマという波が押し寄せて、消えてゆく。
それが見事だと言っているのだ。
これは凄い傑作。
実写を撮ったせいなのか、よい意味で凄いアニメになった。“素晴らしい”ではなく“凄い”だ。アニメだけでいうならかなりの冒険をしているといっても言いすぎじゃない!
アニメならクライマックスを盛り上げるために。例えば『かぐや姫の物語』なら空を飛ぶシーンやお迎えのシーンなどの派手なシーンの画を出してゆく、『風立ちぬ』だと飛行機が空を飛んでいたのに対して、これはまったくの逆。一番派手なのは初番の「竜の降臨」からで徐々に派手をダウンサイジングしてゆく。そしてクライマックスのお猶との死別まで文字どおり見せ続けてゆく。
ようするに“退屈”ではあっても“つまらない”わけでは無いところが凄い。これは皮肉ではなく本心である。まるで落語を見ているような心地よさがある。
そして、本来ならアニメでやるべき通常展開の逆をやっていると失敗作&駄作に確実なるのに。これはそうなっていない。これが“凄い”
そして、これが意図してやっているのがはっきりとわかるのはエンドロールに入る瞬間に現在の両国橋のバックにアニメの空が入っているからだ。「恋をしたり悩んだり大切な人と別れたりするけど、それが人っていうものさ」と言っているだけだ。
ほぼ原作どおりや90分という時間のおかげかもしれないが、この冒険は絶対に評価する。アニメでありがちな“ベタベタ”や“感動”という物語ではなく、まさしく“粋”そのものを語ろうとしたからだ。
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