「反戦か、ヒローものか?」フューリー xtc4241さんの映画レビュー(感想・評価)
反戦か、ヒローものか?
戦争映画というと「プラトーン」や「硫黄島から手紙」のように反戦を謳っているのか。それとも「ランボー」や「永遠の0」のように主人公をヒーローに祭り上げるのか。この「フォーリー」もそんな2極化した概念で見てしまう自分がいました。
主演にして、プロデューサーであるブラッド・ピットはことしのアカデミー賞をとった「それでも夜は明ける」で、アメリカの恥部ともいわれる黒人差別の歴史を勇気をもってプロデュースした男である。彼はなまじ戦争ヒーローものはつくらないだろう。そんな期待もあったのだが、戦争のうち最も激しい地上戦が行われるという戦車ものということころに一抹の不安も感じたのだ。
結論から先にいおう。
「フォーリー」はどちらでもあり、どちらでもない。逃げたようだけど、それがいまの結論である。「理想は平和だが、歴史は残酷だ」と主人公のウォーダディが言った言葉が象徴している。
戦争現場に行けば、殺すか、殺されるか。どっちかしかないのだ。
はじめのうち、理想を持っていてドイツ兵を殺すことをためらっていた新兵が、そのうちやっつけてやると叫びながら撃ちまくるとシーンがある。その新兵が、陥落させた街で、ドイツの女性と出会い結ばれる場面がある。まだ敵も味方もなく、男と女がこころとからだを通わせる。でも次の場面ではドイツの爆弾投下によって女性は粉々になってしまう。新兵は嘆き悲しむが、次にはドイツ軍と敵対しなければならないのだ。
戦争のむなしさともいえる場面ではあるが、300人のドイツ兵と1台の戦車と5人のアメリカ兵。この戦いには思わずアメリカ兵に肩入れしている自分もいたことも事実なのである。
戦争や喧嘩には嫌悪するが、プロレスやボクシングには人一倍思い入れが強い。自分でもやっていたという矛盾した存在、それが自分自身だし、多かれ少なかれ人間はそんな動物であるのだろうと思う。