「アナログなやり取りから生まれる心地よさ」めぐり逢わせのお弁当 マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
アナログなやり取りから生まれる心地よさ
ウチで使っているのは3段重ねだが、映画に出てくるのは4段重ねの弁当。このステンレスの容器をマサラダッバーというとは知らなかった。この映画の原題は、このダッバー(Dabba)。
インドにはダッバーワーラー(弁当配達人)という職業があって、映画の冒頭でその仕事ぶりが披露されるのだが、その集配量がハンパじゃなく、よく配達先と返却先を間違わないものだと感心する。
これがもし間違ったらという「if」から始まる物語だ。
間違った弁当が届いたことから見知らぬ男と女が知り合う。発端はだれでも考えつくかもしれない。ところが、この作品が秀逸なのは、男女の触れ合いに関してだけ、やや時代を戻したことにある。
互いのやり取りに携帯やPCによるメールも通話も使わず、手描きの手紙だけを唯一の連絡方法にしたことだ。
手紙が相手に届くには時間を要する。想いのすべてが伝わらない。相手の感情を読み違えるなど、手紙という伝達手段には限界がある。
その「もどかしさ」と「すれ違い」こそがドラマを生む。
しかも配達が正常に戻ってしまったら、たった一つの連絡手段も途絶えてしまう。
現代のようにどこに居ようが連絡が取れる便利な世の中では、往年の名作「君の名は」のような作品は生まれない。
イラと上の階のアンティおばさんとのやりとりも、今では少なくなってしまったご近所付き合いだ。声掛けとロープで吊るしたカゴを使ってのコミュニケーションが面白い。おばさんの顔が出ることはなく、ロープの引き具合で感情を表す古典的な技法が却って新鮮に見える。
人手だけを使った弁当の配達といい、デジタルな便利さを大胆に取り払った社会の中で生きる心地よさを感じる。
テーマは”人はたとえ間違った電車に乗ったとしても、正しい場所へと導かれる”。いい言葉だが、そのためには途中で乗り換える勇気が必要だ。